つれづれに

つれづれに:最後の疫病

エイズに関するアフリカの10回目で、エイズの最終回、今回は最後の疫病である。前回の『ナイス・ピープル』(↓)が絞り取る側の金持ち層(the rich, the robber, the haves)を描いた作品なら、今回の『最後の疫病』(The Last Plague、↑)は搾り取られる側(the poor, the robbed, the haves-not)を描いた作品である。

『ナイス・ピープル』はケニアの友人から借りたのだが、『最後の疫病』はロンドンのアフリカブックセンターから取り寄せた。アフリカ文学と医学の狭間(はざま)で、のタイトルで科研費をもらった時に出遭ったダウニングの著書(↓)の中に紹介された19冊の1冊である。結構な厚みのある本である。

ケニアッタの取り巻きの金持ちたちの実態を描き出す『最後の疫病』の舞台は大都会のナイロビが中心だが、『ナイス・ピープル』はギクユの農民が住む田舎の小さな村が舞台である。前回、ナイス・ピープル・Sugar daddyを説明するのに、いっしょにシンポジウム(↓、→「シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告1」、→「報告2」、→「報告3」、→「報告4」、→「報告5」、→「報告6」)をした卒業生のタンザニアでの経験を紹介したが、Sugar daddyと性的な関係を持つ代わりに金銭や物品をもらう若い女性の話の続きには、若い女性や田舎の女性も含めた女性の置かれた実情についての解説がある。

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‥‥アフリカの場合、学費を得たり家族を養ったりする目的、つまり、生活上やむを得ずこうした関係をもつ若い女性がいます。

 また、先進国と比べれば女性の地位の低さや交渉力の弱さは明らかです。伝統的に男性には複数の女性との性関係が容認される傾向にあったりするのですが、女性が安全な性行為を男性に要求する・・・具体的にはコンドームの使用を要求する・・・ことは困難ですし、そもそも男性の方が優遇される社会であり教育の機会も少ない傾向にあることからHIV/AIDSに関する知識が少ないなどの問題があります。更に、地域によってはイスラム教などの宗教とは別に伝統的に一夫多妻制が残っていたり、Wife inheritance(=亡くなったご主人の兄弟や親戚が、残された未亡人と結婚して彼女を養う制度)や、Purification(=未亡人の「禊ぎ」あるいは「清め」のためにある特定の男性と性交渉を行うこと)などといった、我々には馴染みのない風習が今も存在しており、HIV/AIDSの拡散につながっているという指摘もあります。
これらは、いわゆる「ジェンダー不平等」と言って途上国に共通した問題ではあるのですが、SSAに見られるこうした習慣、考え方、行動様式などを、私達の、あるいは西洋的な尺度だけで「未開」であるとか、「野蛮」だなどと即断しないように注意する必要があると思います。我々には理解しにくいものであっても、それぞれの民族、人々の中で長く受け継がれてきたのには、当然、何らかの理由が存在するからです。例えば、Wife inheritanceは未亡人やその子供をClan(部族)の中で継続的に扶養する目的で生じた制度であると考えられますし、Purificationについても霊的な存在を意識しての儀式的なものであると考えられるのです。現地の状況を客観的に評価した上で、適切な対応(ex. 行動変容のためのアプローチ)をとることが必要です。

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『ナイス・ピープル』が都会の金持ちたちを描いているのとは対照的に、『最後の疫病』は疲弊(ひへい)する農村でエイズに苦しむ農民や労働者の姿を描いている。著者メジャー・ムアンギは、厳しい抑圧の時期も国内で作品を書き続けてきた中堅の作家である。

主人公のジャネットは子供3人と母親の5人暮らし、夫は他の女性と家を出た。自殺未遂のあと、子供と母親を抱えて生きるしかなかった。田舎での女性の自立は極めて難しく、生計のために政府のエイズプロジェクトの仕事を選ぶ。無償でコンドームや避妊薬などを配布する仕事だった。

「ジャネットは毎日、自分の村クロス・ローヅの丘を何十キロも自転車で越えて、歩き回りました。毎日、たくさんの人に説いてわまりました。コンドームはとても大事なのよ、家族計画のためにも必ず要るし、性感染症からみんなをちゃんと守ってくれるのよ、と自信を持って話しました。なるほどとジャネットの話に耳を傾ける人もいるにはいましたが、大抵は話を聞きたがらず、訪問先で煙たがられる場合の方が多かったのです。ジャネットが来るのを見つけるとそそくさと家に逃げ込む人もいましたが、ジャネットは逃げた人を捕まえて、相手の敵意もお構いなしに、すべきことをし、言うべきことを言いました。それが自分の仕事で、それもとても大切な仕事だったからです。ジャネットは自分を信じて疑いませんでした」

 ジャネットの住む村はエイズにやられて今まさに死にかけていた。

「見渡す限り、至る所に墓土が盛られていました。かさばって陰気な固まりで、暗くて死の臭いが漂っています。人の無益の忌まわしい残り滓の墓土を一つも盛らなかった家はありませんでした。そして、今日は墓土が一つ、明日は二つになりそうです。、二つが四つ、四つが八つになりました。墓土は増え続けて、突然変異を起こし、遂に怪物になってしまいました。人の生活に墓碑銘を刻み続ける飢えた野獣となったのです」

ジャネットの級友フランク。村の寄付で大学に行ったが、卒業出来ずに村に戻ってきた。HIVの検査結果が陽性で、やむなく戻って来たのである。村は荒れ果てていた。

Eliza検査器具

 「旧の高速道路を横切って村に入りながら、フランクは クロス・ローヅもすっかり変わり果ててしまったなあと感じていました。子供の頃には楽しかった町もすっかりくたびれて、荒廃していました。家の壁や屋根は崩れ落ち、おびただしい数の廃屋から出るごみの山が通りの両脇に積まれていました。壊れた石造建築の山、崩壊する夢の山また山。クロス・ローヅはすっかり意気消沈していました。病気にこっぴどくやられ、回復の見込みもなく絶望の淵にあり、まさに苦痛に苛まれるもの、その苦境に対しえほとんど抵抗すらも出来ずに、鳴き声すら出せずに死にかけている、そんな生き物のようでした」

ジャネットの元夫ブローカーも村に戻って来た。HIVに感染して帰郷して、モンバサにいっしょに行った女性の家を訪ねている。本人もエイズで斃(たお)れ、たくさんの子供と祖母だけが取り残されていた。

「ブローカーはすっかり当惑した面持ちでジェミナの墓を後にしました。墓を案内してた少年がブローカーの両手を引いて他の少年たちのいる小屋に戻りました。小屋の二つの戸は開いたままになっていました。ブローカーは戸を押しやって暗がりを覗き込みました。薄汚れた室内は小便と貧乏の臭いが立ちこめていました。鼠が何匹も屋根裏にこしらえた巣に戻るために我先に壁をよじ登っていました。部屋には家具らしい家具も見あたりません。床じゅうに麻布やら敷きマットやらが広げられていました。二つ目の小屋も同じように惨めな様子でした。寝床は一日中、鼠の天下ででした。小屋から飛び出して来た痩せこけて、ねじれた角をした乳山羊にブローカーは死ぬかと思うほど仰天しましたが、山羊はそのまま駆けていきました」

 ジャネットに好意を寄せていたフランクと、ジャネットへの未練を捨てきれないブローカーは、ジャネットの仕事を手伝うようになる。村人に染みついたタブーや旧弊との戦いだった。

「意味ある発展をするためには、タブーと旧弊は消え去るべきで、排除しなければなりません。エイズ撲滅の戦いには、凝り固まった信念と思いこみが一番の障害でした。実際には、その人たちには複数の妻、いわゆる安全な連れ合いがいて、売春婦と付き合ったりはしなかったからです。しかし、その人たちの安全な連れ合いにはまた安全な連れ合いがいて、その連れ合いにはまた安全な連れ合いがいる、そんな安全の環が永遠に繋がっていて、実際にはその安全な繋がりが空恐ろしい大惨事を招いているのです」

 偏見や旧弊との戦いは外だけではなかった。毎日毎日、祖母の偏見と思いこみに苛まれた。結婚せずに自立をめざすジャネットが祖母には理解出来ない。援助してくれる男性の何番目かの夫人になれと譲らない。「自分のことを考えてみなよ。自分の旦那もいないじゃないか。どうするつもりなんだい?」と繰り返す祖母。妹の夫カタはエイズで死亡した弟の妻と結婚しようとして譲らない。カタは占いをしたり薬草を煎じたりしてするウィッチ・ドクター、金持ちである。弟の妻が亡くなれば兄が妻を引き受ける伝統的な習慣を信じて疑わない。しかし、エイズでなくなった弟の妻を夫人に加えれば、ジャネットの妹ジュリアも無縁でいられない。ジャネットは、カタを説得するようにジュリアに言って聞かせる。家族の遣り取りである

ジュリア「カタに何かを辞めさせるなんて出来ないことくらい知ってるでしょ。あの人がどれくらい伝統を大事にして生きてるかも知ってるでしょ」

ジャネット「あんた、何もわからないの?カタかサイモンの奥さんを引き取れば、あんただって確実に死ぬんだからね」

祖母「あんたに死ぬ時期がわかるのかい?」

ジュリア「姉さんには、何でもわかるわけ?私にああしろ、こうしろと、もううんざりだわ」

ジャネット「あんたが心配なのよ」

ジュリア「心配しないでよ。あんた、わたしの母親じゃないでしょ」

ジャネット「あんたの姉よ。心配をして当然じゃないの」

ジュリア「モニカは私には姉妹以上よ。みんな男たちを頼りにしてるわ。わたしたち、売春婦じゃないわ」

結局、ジャネットの懸命の説得にも応じず、カタは弟の元妻モニカと結婚してしまった。

 ジャネットは子供に希望を託して、学校を回って性教育をしようとするが教師たちの反応は鈍い。教会を訪れて会衆にコンドームの必要性を説き、使い方を説明するが、こちらも反応がよくない。また、ウィッチ・ドクターを訪ねて、割礼(かつれい)の儀式での血液感染の危険性を説いても、逆鱗(げきりん)に触れ、協力してくれるフランクの動物診療所が壊されてしまう。

ある日、ジャネットが政府から派遣されたオスロからの視察団を、学校や教会、ブローカーの開いたコンドーム販売所などに案内して高い評価を得、財団の援助が決まる。その援助で村をあげてのHIV検査が実施され、フランクが陽性でないことも判明するが、結局は、八方塞(ふさ)がりの中での援助頼みの哀しい結末である。

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ケニアでも他のアフリカ諸国のように、経済搾取の対象は常に農民と労働者である。イギリス人入植者は、アフリカ人から武力で土地を奪って課税した。多くのアフリカ人は税金を払うための現金を求めて村を離れ、出稼ぎに出ることを余儀なくされた。多くの場合、白人の大農園で紅茶を摘んだり、白人家庭の召使いをするしかなかったのである。

ニエリ珈琲農園

 ヨーロッパ人による搾取機構の中に組みこまれたアフリカ社会は変容せざるを得ず、かつての自給自足の制度も形骸化してゆく。一夫多妻制も割礼も、乳児死亡率の高い現実に対処して労働力を保つ有効な手段だったはずである。しかし、形骸化した伝統は、弊害をもたらす。ジャネットがたたかわなければならなかったのは、そういった形骸化された伝統やタブーだったのである。『最後の疫病』には、そういった農民や労働者がエイズにやられて、今まさに朽ち果てようとする様子が描かれていたわけである。

南アフリカからの入植者によって侵略されたケニア社会は、かつての自給自足の豊かな農村社会ではない。土地を奪われ、無産者にされて課税される農民や、都市部で働かされる出稼ぎの賃金労働者に、旧来の制度を踏襲し発展させる力は残っていない。割礼や複数婚の制度が残っていても、かつての共同体を基盤にして機能していた制度とは全くの別物なのである。

 大多数の農民や労働者は食うや食わずの生活を強いられ、国全体も、西洋資本と手を組む一握りの貴族やその取り巻きの豊かさと引き替えに、背負いきれないほどの累積債務に喘(あえ)いでいる。そこにHIVが出現し、猛威をふるい始めたわけだ。

5世紀余り前に、アングロ・サクソン系を中心に侵略を始め、地理的に近かったアフリカ大陸も餌食になった。社会の中の勢力争いの中で生き残るために侵略者と手を結んだアフリカ人もいる。ケニアの場合もホワイトハイランドと呼ばれる住みやすい高地を狙って南アフリカから入植者がやって来たとき、アフリカ人は一丸となって闘ったが、リーダーのケニヤッタと取り巻きは、侵略者たちと手を結んでしまった。『ナイス・ピープル』はケニヤッタに群がる取り巻きの腐敗ぶりを、『最後の疫病』はずっと搾り取られて来た農村の人たちの悲惨さを描き出している。何とも哀しい人間の哀しい性である。

エイズは今回で終わり、次回からはアフリカ小史について書こうと思う。並行して、小説の5冊目も書き上げたい。

遠くにナイロビ市街を望む

つれづれに

つれづれに:エイズ関連(2024年8月31日~)

2024年10月

23→「つれづれに:最後の疫病」(2024年10月16日)

22:→「つれづれに:ナイス・ピープル」(2024年10月15日)

21:→「つれづれに:タボ・ムベキ」(2024年10月14日)

20:→「つれづれに:HIV人工説詳細」(2024年10月13日)

19:→「つれづれに:エイズ検査」(2024年10月12日)

18:→「つれづれに:性のあり方」(2024年10月11日)

17:→「つれづれに:エイズの起源」(2024年10月10日)

16:→「つれづれに:ニューアフリカン」(2024年10月9日)

15:→「つれづれに:アフリカ人に聞け」(2024年10月8日)

14:→「つれづれに:アフリカ」(2024年10月6日)

13:→「つれづれに:HIV人工説」(2024年10月4日)

2024年9月

12:→「つれづれに:大統領選」(2024年9月23日)

11:→「つれづれに:製薬会社」(2024年9月21日)

10:→「つれづれに:多剤療法」(2024年9月15日)

9:→「つれづれに:医師の苦悩」(2024年9月13日)

8:→「つれづれに:国際エイズ会議」(2024年9月12日)

7:→「つれづれに:CDC」(2024年9月11日)

6:→「つれづれに:エイズ発見の歴史」(2024年9月5日)

5:→「つれづれに:HIV増幅のメカニズム」(2024年9月4日)

4:→「つれづれに:免疫の仕組み」(2024年9月3日)

3:→「つれづれに:血液」(2024年9月2日)

2024年8月

2:→「つれづれに:ウィルス」(2024年8月31日)

1:→「つれづれに:エイズ」(2024年8月30日)

つれづれに

ZoomAA一覧(2023年12月15日~、2024年5月19日更新)

(前の括弧内の数字はZoomAAの回数、アルファベットは補足)

36:(AA)→「つれづれに:大統領選」(2024年9月23日)

35:(AA7)→「ZoomAA第7回目報告」(2024年9月22日)

34:(AA)→「つれづれに:混沌」(2024年5月19日)

33: (AA)→「つれづれに:モブツの悪業」(2024年5月16日)

32: (AA)→「つれづれに:カビラ」(2024年5月15日)

31: (AA)→「つれづれに:紛争」(2024年5月14日)

30: (AA)→「つれづれに:いのち」(2024年5月13日)

29: (AA)→「つれづれに:銃創」(2024年5月12日)

28: (AA)→「つれづれに:診療所」(2024年5月11日)

27: (AA)→「つれづれにエイズハイウエィ」(2024年5月10日)

26: (AA)→「つれづれに:『悪夢』」」(2024年5月9日)

25: (AA)→「つれづれに:レオポルド2世」(2024年5月6日)

24: (AA)→「つれづれに:国連軍」(2024年5月5日)

23: (AA)→「つれづれに:コンゴ動乱」(2024年5月4日)

22: (AA)→「つれづれに:ペンタゴン」(2024年5月2日)

21: (AA6)→「ZoomAA6第6回目報告」(2024年4月21日)

20:(AA5)→「ZoomAA5第5回目報告」(2024年3月31日)

19:(AA4)→「ZoomAA4第4回目報告」(2024年2月25日)

18:(AA)→「つれづれに:1860年」(2024年2月16日)

17:(AA3a)→「ZoomAA3a:口承伝達」(2024年2月5日)

16: (AA)→「つれづれに:アメリカ1860年」(2024年2月1日)

15:(AA3)→「ZoomAA第3回目報告」(2024年1月28日)

14:(AA2h)→「ZoomAA2h:シンプソン」(2024年1月21日)

13:(AA2g)→「ZoomAA2g:小屋」(2024年1月19日)

12:(AA2f)→「つれづれに:戦士」(2024年1月18日)

11:(AA2e)→「奴隷船一等航海士」(2024年1月17日)

10:(AA2d)→「奴隷船船長」(2024年1月16日)

9:(AA2c)→「積荷目録」(2024年1月15日)

8:(AA2b)→「水先案内人」(2024年1月9日)

7:(AA0)→「ZoomAA」(2024年1月7日)

6:(AA2a)→「下り行け、モーゼ」(2023年12月18日)

5:(AA2)→「ZoomAA第2回目報告」(2023年12月17日分)
4:(AA1b)→「深い河」(2023年12月17日)

3:(AA1a)→「誰が奴隷を捕まえたのか?」(2023年12月16日)

2:(AA1)→「ZoomAA第1回目報告」(2023年12月3日分)
1:(AA0)→「英語で」(2023年12月15日)

つれづれに

つれづれに:ナイス・ピープル

 エイズに関するアフリカの9回目で、今回はナイス・ピープルである。ナイス・ピープルはエイズの小説のタイトルに使われた言葉で、どんな素敵な人たちの話かと思って読んでみたら、とんでもない、エロ親父の話だった。英語ではSugar daddy、いっしょにシンポジウム(→「シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告1」、→「報告2」、→「報告3」、→「報告4」、→「報告5」、→「報告6」)をした卒業生がタンザニアでの経験を次のように紹介していた。

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私がタンザニアで教えていた学校の近くにも、このような看板を見つけることができました。書いてあるのは「Say No! to sugar daddy」とか、「Refuse offers from sugar daddies」とかだったりします。それぞれ「Sugar daddyにはNoと言おう!」とか、「Sugar daddyからの申し出を断ろう」という意味ですが、ここで言うSugar daddyとは、若い女性と性的な関係を持つ代わりに金銭や物品を与える年上の男性のことです。Sugar daddyそのものは欧米に元々あった概念ですし、日本では「援助交際」などという言葉もあるわけですが、アフリカの場合、学費を得たり家族を養ったりする目的、つまり、生活上やむを得ずこうした関係をもつ若い女性がいます。

発表後にもらった資料の中の写真、使う諒解ももらった本人が撮った写真

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小説はたまたまケニアの友人に借りたものである。その友人ともいっしょにシンポジウム(「 シンポジウム『アフリカと医療』~世界で一番いのちの短い国~」、宮崎大学医学部国際医療保健研究会編)をしたことがあり、貴重な記事や図書を紹介してもらっていた。その中の1冊である。知り合いの書いた本だと紹介された。後にアフリカ文学と医学の狭間でというタイトルで科学研究費をもらったときに出遭ったダウニングの本の中に、エイズの小説として紹介されていた19冊の中の1冊で、1992年の出版である。

 1981年にアメリカで最初のエイズ患者が出た。アフリカで最初の患者が出たのは1985年で、欧米より急速に感染が拡大した。1992年に在外研究でジンバブエ大学に行ったとき、シェラトンホテルの前でブックフェアが開催されていた。ケニアからの出版社の主催で、ナイロビの出版社のヘンリー・チャカバさんは私が世話になっていた横浜の出版社の人とも知り合いだった。グギさんの翻訳出版がきっかけで知り合ったようで、書かせてもらっていた雑誌の創刊号でチャカバさんが寄せてくれた祝辞を読んだところだった。事情を話すと、とても喜んでくれた。「南アフリカ、このジンバブエからタンザニア、ケニアの東海岸一帯は広大なサバンナに牛を飼う人たちが代々住んでいて、バンツーと呼ばれてるよ。People of the peopleという意味で誇りに思ってるね。ケニアから見たらハラレは庭みたいなもんだから」そんな話を一しきりしてくれた。『ナイス・ピープル』の話をしたら「うちから出してるね」と言っていた。当時はイギリス資本のハイネマンナイロビ支社の支社長のようだった。

 1985年に最初の患者が出た後のケニア社会を描き出したわけだが、歴史的に見ても貴重な本である。

舞台はケニア中央病院(Kenya Central Hospital, KCH)である。在外研究から戻ったあと何年かして、その病院で実習をした学生が3人、研究室に来て話をしてくれた。医学科では英語の授業で全員にアフリカとアフリカ系アメリカの歴史とエイズとエボラ出血熱の話はしていたので、ケニアでの体験を話に来てくれたんだろう。人事の採用制度を変えた立役者の一人、基礎医学の教授の薦めだった。ずっとず教授の推薦によるずぶずぶの採用人事だったが、公募で残った3人が講演をして直後の投票で決めるという透明な制度に変えた。まだ学生交換制度のない時で、今から思えば、画期的な試みだったと思う。学生の一人は神戸の第3学区の進学校を出ていた。私は理解して覚えるのが主体の制度に馴染めずに受験勉強が出来なかったので、進学校では嫌な思いしか残っていない。教師は県下一斉の模試試験のある度に神戸第3学区と姫路の進学校と平均点を比較して文句を言っていたので、全く関係ないのに散々名前を吹き込まれていた。関西や中部や関東やからの学生は、地元の医学部には点数が足りずに地方を選んだ人が多かった。その学生もその理由で入学して来たと言っていたが、まさかケニアの病院で臨床実習を体験できるとは想像もしていなかっただろう。部屋に来て、楽しそうに報告している3人を見て、なぜか嬉しかった。部屋で話してくれた内容は、2002年の大学の「学園だより」に、「ケニア滞在記」として紹介されていた。

 大学の職が決まっても大学用のテキストと翻訳だけはしたくないとなぜか思い込んでいたが、出遭ってしまった出版社の人に次から次に言われて断れないまま押し切られてしまった。最初で最後の日本語訳の本が形になったのは、1992年である。その後も、グギさんの評論(↓)と、このエイズの小説の翻訳も依頼された。どちらも日本語訳をつけるのに2年ほどかかったが、結局は出版されずじまいである。いろいろ勉強はさせてもらったが、なかなかきつかった。特にグギさんの評論は、ギクユ語も混じっていたし、グギさん自身の何冊かの大作の作品論に加えて、反体制の韓国の詩人の詩と、アフリカ系アメリカの歴史まであって、最初はうそぉーと思ったくらいである。アフリカ系アメリカの歴史はやってはいたものの、作品を理解するためにケニアと韓国の歴史を辿(たど)ってからと考えると、とてもやないけど今の自分では手に余る、そんな思いが強かった。しかし、流れには逆らえなかったのだろう。ただ、エイズという免疫不全の病気がテーマなので、医学科や看護学科の英語の資料に使えたのは有難かった。2000年くらいから半期15回の授業形態になって小説を読む時間を取るのは難しかったので、文字にして要約を紹介したり、参考資料として配ったりした。アフリカ文学を読む機会はあまりないので、貴重な機会を提供したいという思いもあった。

 グギさんの翻訳を機にケニアの歴史を辿ってわかったのだが、ケニアも恐ろしい国である。南アフリカの入植者が侵略してきた時、ケニヤッタの下で国をあげて団結して侵略者と戦った。1952年10月から1959年12月まで国内は緊急事態下に置かれ、長く険しい闘いを強いられた。そして、1963年に独立した。

独立戦争の戦士の一人

 ケニヤッタ(↓)が初代首相になった。しかし、独立して間もなく、多国籍企業が資本投資や貿易を展開するアメリカやイギリス、日本などと手を結んでしまったのである。ケニヤッタは1969年に左翼野党ケニア人民同盟(KPU)を禁止して、一党独裁政治を始めた。ケニヤッタが変節したからだが、変節の背景はケニヤッタが率いたケニア・アフリカ人民族同盟(KANU, Kenya African National Union)の変容にあった。KANUは様々な階級からなる大衆運動で、主導権は、帝国主義と手を携える将来像を描く上流の小市民階級と、国民的資本主義を夢見る中流の小市民階級と、ある種の社会主義をめざす下流の小市民階級との三派が存在していたが、1964年にケニア・アフリカ人民主同盟(KADU, Kenya African Democratic Union)がKANUに加わったことで、上流の小市民階級の力が圧倒的に増してしまった。ケニヤッタとその取り巻きは外国資本を後ろ盾に、数の力で、誰憚(はばか)ることなく、自分たちの想い描いた将来像を実行に移し始めた。外国資本の番犬となったケニア政府は、植民地時代の国家機構をそのまま受け継ぎ、政治、経済、文化や言語を支配したというわけである。選挙・投票という「民主主義」と数の力を駆使して完全勝利を果たした。1978年にケニヤッタが死んだ後も、モイが大統領になり、一党独裁政治はしっかりと維持・強化されていった。独立をいっしょに闘ったグギさんたちはケニヤッタの変節を批判して、亡命を強いられた。その人の評論の翻訳を頼まれて、日本語訳をつけたのである。自分の著書の作品論と、アメリカに亡命中に発表した評論を集めた本だった。

ジョモ・ケニヤッタ

 出版社の人からは『ナイス・ピープル』のタイトルは考えないといけませんねと言われていた。色事師、エロ親父、好きものたち、どれもしっくりいかないままである。小説の主人公は医者のジョセフ・ムングチ (Joseph Munguti) で、ナイジェリアのイバダン大学(↓)医学部を卒業後、KCHで働き始めたという設定である。卒業論文のテーマに性感染症を選んだこともあって、先輩医師ギチンガ (Waweru Gichinnga) の指導を受けながら、ギチンガ個人が週末に経営する診療所でも稼ぎながら勤務医を続ける。ギチンガは国立病院では扱えないような不法な堕胎(だたい)手術などで稼ぎを得ていたようで、やがては告発されて刑務所に送られてしまう。10年後、ギチンガから譲り受けた診療所の看板に「性感染症専門医」と記して、ムングチは念願の売春婦などを相手にひとりで診療を継続する。

 金回りはよかったので、金持ち階級の仲間入りをした。その人たちはナイス・ピープルと呼ばれ、高級クラブに出入りしていた。

「ムングチも、今では、役所や大銀行や政府系の企業の会員たちが資金を出し合う唯一の『ケニア銀行家クラブ』の会員だった。クラブには、ナイロビの著名人リストに載っている人たちが大抵、特に木曜日毎に集まって来る。テニスコート5面、スカッシュコート3面、サウナにきれいなプールも完備されており、ナイロビの若者官僚たちの特に便利な恋の待合い場所になっている」

「開発」や「援助」の名の下に、西洋資本と手を携えて大多数の人たちから搾り取る現代のアフリカ社会は、一握りの金持ちと大多数の貧乏人で構成されている。資本を貯め込める中産階級が極端に少なく、大抵はいつでも国外に追放できる外国人で政府はその階級を埋めている。

 1984年12月、「ケニアでは指折りの性感染症専門医であり、診断を下せない性感染症はない」と自負するムングチの元に、年老いたコンボ (Kombo) と名乗る中国人がやってきた。「やあ、先生さんよ、わしは金持ちじゃよ。2万シリング持ってきた。わしのこの病気を治してくれる薬なら何でもいい、何とか探してくれんか」と言って、大金を残して去った。

法外な大金に戸惑いを見せて一度は辞退するものの、格安の料金で社会の底辺層を相手に性病の治療を続けるムングチには、断る理由もなく、謎の病気の正体を突き止めることになった。最初はトラコーマクラミジアにより生じる性病性リンパ肉芽腫かと思ったが、どうも違うようである。その日から、ケニア中央研究所 「the Kenya Medical Research Institute (KEMRI, ↓)」の図書館に入り浸り、2日目にようやく、同年12月にアメリカで発行された以下の症例報告に辿り着く。

 「あらゆる抗生物質に耐性を持つ重い皮膚病の症状を呈し、生殖器に疱疹が散見される。下痢、咳を伴い、大抵のリンパ節が腫れる。極く普通にみられる病気と闘う抵抗力が体にはないので、患者は痩せ衰えて、やがては死に至る。病気を引き起こすウィルスが中央アフリカのミドリザルを襲うウィルスと類似しているので、ミドリザル病と呼ばれている。サンフランシスコの男性の同性愛者が数人、その病気にかかっている」

老人の症状から判断して診断に確信を持たざるを得なかったが、元同僚の意見を求めた。大学でも講義を持つケニア中央病院の2人の医師は、未知のウィルスによって感染する新しい性感染症の診断に間違いはなく、すでに同病院でもアメリカ人2人、フィンランド人1人、ザイール人2人が同じ症状で死亡しており、3人のケニア人の末期患者が隔離病棟にいる、と教えてくれた。興奮気味の心を抑えながら、隔離病棟に出向いたムングチは、改めて死にかけている老人の症状を確かめる。

 「私は調べた結果と比較して患者を見てみたかった。目的を説明すると、看護婦は3人が眠っているガラス張りの部屋に連れて行ってくれた。私たちを怪訝そうに見つめる救いようのない3人を見つめながら、私は言いようのないわびしさを感じた。そのとき、その老人が目に入った。私の患者、コンボ氏に違いなかった。口から泡を吹き、背を屈め、ひどく苦しそうに繰り返し咳き込んでいた。渇いた咳は明らかに両肺を穿っていた。老人には私が誰かは判らなかったが、隔離病棟の柵を離れながら、後ろめたいほろ苦さを感じた」

患者コンボ氏は、実は以前ムングチの診療所を訪ねてきたルオ人女性の鼻を折った張本人で、ナイロビ市の清掃業を一手に引き受ける大金持ちだった。ルオ人の女性は清掃会社の就職面接でコンボ氏から裸になって歩き回るように命令されたが抵抗したために暴力をふるわれたのだが、噂では、肛門性交嗜好家の異常な行動の犠牲者が他に何人もいたようである。ムングチは、コンボ氏の死に際の哀れな姿を思い浮かべながら、神が犠牲者たちに代わってコンボ氏の蛮行への鉄槌を下されたに違いないと結論づけた。

元同僚の医師Dr GG (Gichua Gikere) は、「スリム病」と呼ばれるこの病気については既に知っており、唯一薬を提供出来るだろうと「ウィッチ・ドクター」と呼ばれる地方の療法師・呪術師を紹介してくれたが、実際の役には立ちそうにはなかった。こうして、性感染症専門医ムングチのエイズとの闘いが始まるのである。

 幼馴染(おさななじ)みのメアリ・ンデュク (Mary Nduku) の愛人イアン・ブラウン (Ian Brown) も Dr GG の娘ムンビ (Mumbi) の愛人ブラックマン (Blackmann) も、ムングチが高級クラブで出会ったナイス・ピープルである。

南アフリカからの入植者を祖父に持つブラウンは、高級住宅街に住む34歳の青年で、ジャガーを乗り回し、一流のゴルフ場でゴルフを楽しむ。勤務する大手の「スタンダード銀行」で秘書をしているンデュクと愛人関係にある。エイズを発症し、イギリスで治療を受けるために帰国しようとするが、航空会社から搭乗を拒否されて失意のなかで死んでゆく。

ブラックマンはモンバサの売春宿でムンビと出会い、常連客の一人となったフィンランド人の船長で、結果的には、2人の間に出来た子供を連れてヘルシンキまで押しかけてきたムンビを引き取ることになる。エイズに斃れたムンビの亡骸は、ケニアに送り返される。

高級住宅街に住むマインバ夫妻もナイス・ピープルである。妻のユーニス・マインバは、ある日、額から夥しい血を流しながら病院に担ぎ込まれる。その傷が夫の暴力によるもので、のちに、夫とメイドとの浮気の現場を見て以来、精神的に不安定な症状が続いていることが判り、精神科の治療を受けるようになる。数ヶ月後、コンボ氏と同じように肛門性交を好む夫が、かかりつけの医者からHIV感染の疑いがあるので血液検査を薦められていると、ムングチに訴えにやって来る。

 作者は小説の中で「ウィルスは金持ちにも貧乏人にも感染する」と書いているが、実は、病気の治療を担う側の医者や官僚などの専門職の人たちも多数 HIVに感染しており、その感染率の高さを作者は問題にしている。冒頭の「著者の覚え書き」からその深刻さが伝わってくる。作者がオーストラリアに留学していた時に読んだ以下の新聞記事である。

「著者の覚え書き

『ナイス・ピープル』でどうしても書いておきたかった一つに1987年6月1日付けの「シドニー・モーニング・ヘラルド」の切り抜きがあります。3年のち、ここでその記事を再現してみましょう。

ハーデン・ブレイン著「アフリカのエイズ:未曾有の大惨事となった危機」

(ナイロビ発)中央アフリカ、東アフリカでは人口の四分の一がHIVに感染している都市もあり、今や未曾有の大惨事と見なされています。

この致命的な病気は世界で最も貧しい大陸アフリカには特に厳しい脅威だと見られています。専門知識や技術を要する数の限られた専門家の間でもその病気が広がっていると思われるからです。

アフリカの保健機関の職員の間でも、アフリカ外の批評家たちの間でも、アフリカの何カ国かはエイズの流行で、ある意味、「国そのものがなくなってしまう」のではないかと言われています。

病気がますます広がって、既に深刻な専門職不足に更に拍車がかかり、このまま行けば、経済的に、政治的に、社会的にかならず混乱が起きることは誰もが認めています。

世界保健機構(WHO)によれば、エイズは他のどの地域よりもアフリカに打撃を与えています。今年度の研究では、ある都市では、研究者が驚くべき割合と記述するような率でエイズが広がり続けているというデータが出ています。

第3世界のエイズのデータを分析しているロンドン拠点のペイノス研究所の所長ジョン・ティンカー氏は「死という意味で言えば、アフリカのエイズ流行病は2年前のアフリカの飢饉と同じくらい深刻でしょう』と言っています。

しかし、飢饉は比較的短期間の問題です。エイズは毎年、毎年続きます」

最初は友人から借りた本という認識で気軽に読み始めた。まさか、ケニアッタの取り巻きの金持ちたちの実態を描き出す小説に出会えるとは思ってもいなかった。搾り取られる側(the poor, the robbed, the haves-not)を描いた作品は数多いが、絞る側の金持ち層(the rich, the robber, the haves)これほど細かく描いた作品にはなかなかお目にかかれないからである。変節したケニアッタにぶら下がっていい思いをしていた人たちはこんな生活してたんや、改めてそんな思いがした作品だった。

次回は『最後の疫病』(The Last Plague)である。