2000~09年の執筆物

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の12回目です。日本語訳をしましたが、翻訳の出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や雑誌を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。

日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)

解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)

本文

『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―

(12)第13章 行方不明者

ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)

第13章 行方不明者

 ウェケサ警部補はンデル警察の全警察20人の会議を招集しました。

「この1週間で、妊婦や売春婦、愛人に診療所、それとバー関連で起きた怪しいことがないか、何でもいいので、みんなに思い出してもらいたい。」と、警部補はンデルの法と秩序を管轄する集団を見据えて言いました。

「警部補、何を調べるんですか?」と、キプランガット巡査長が尋ねました。
「現段階では、普段と違うことが起きていた可能性があること全てが対象だ。私の所に11時までに文書にして出してくれ。以上だ。」と、ウェケサ警部補は会議を締めくくりました。

これが、私の友人ジョエル・キプランガットが診療所に訪ねて来たときに説明してくれた、その日の朝の出来事でした。私はてっきりキプランガットが、テトラサイクリンを催促に来たのだと思っていました。前から何度も調達してくれと頼まれていたカプセルでしたが、代わりに、ンデルから出来事を運んで来ました。

「ムングチ先生、水曜日の晩は、ンデルにいましたね。ママ・ンジェリの店で相手してた女性は誰ですか?」
「ああ、私に会いに来た患者のことですか?」と、私は正直に答えました。

「その人、妊娠してたみたいですね。」
「そうですよ。近頃は、妊婦している人でもパブくらいには行くんです。あの患者が何かよくないことでもしましたか?」
「いえ、ただちょっとその人に聞きたいことがあったんですがね。」
「そうですか、タンザニアの出身ですが、ナイロビのどこに住んでるかは知りませんね。診療所には1、2度来ましたが。でもその人を僕よりもっと知ってるのは、僕の雇い主ですよ。」
「ワウェル・ギチンガ先生?」
「そうです、ケニア中央病院の20病棟にいらっしゃいますよ。」
「どうも、ムングチ先生。いつか一緒に飲みましょう。」と言ってから、キプランガットは診療所を出て行きました。

堕ろすか堕ろさないかの問題でドクターGGに助けを求めて来ていたタンザニアのブコバ出身の娘ハリマを連れて、私は水曜日にンデルに行っていまいした。朝9時にハリマをドクターGGにあずけて、クリスパス(地元の森林で働いている人)の車でギクユに行きました。木曜日にドクターGGは私に電話をかけてきて、祝杯を挙げるからンデルに来るように言いました。老人を喜ばせようと思い、3時に診リバーロード療所を閉めて、ナクル行きのバスに乗ってザンベジまで行き、そこからンデルまで歩いて行きした。その晩は、診療所で酒を飲み、山羊肉をちぎり、昔のギクユの祝宴には付き物だった民間伝承の歌を歌って過ごしました。ドクターGGは、奇跡に近い手術を完璧にやり、自殺をしようとしたブコバの娼婦を救って妊娠の悩みも解決してやったんだとくどくどと私に解説しました。どんなふうに手術が行なわれたかは聞きませんでしたが、複雑な手術が含まれていたに違いありません。私はンデル診療所と診療所の医師の能力には疑問を持っていました。しかし、珍しくドクターGGは、そわそわしてぎこちなく、いつもと様子が違っているのがわかりました。ドクターGGは診療所で山羊を殺して解体し、蹄と頭と白い毛皮を薬の保管場所に入れ、診療所の壁の四方に飛び散った血の跡にはお構いなく、山羊の解体に使った診察台の掃除もやっていませんでした。全てが極めてグロテスクな感じがしましたが、私は老人の痴呆症状が進んでいると解釈することにしました。

ナイロビ市街

ウェケサ自身が金曜日の朝に診療所にやって来ました。木曜に診療所でやった祝宴について私が知っていること全てを知りたいと言うことでした。私は知っていることをすべて話しましが、何のためにこういう尋問をするのかを知りたいと強い口調で聞きました。診療所で山羊を殺したのがいけなかったのでしょうか?それとも夜中の1時まで歌を歌ったことでしょうか?ウェケサは、数日中に私にすべての経緯を知らせると約束しました。

「ムングチ先生、署で少しご協力をお願いしたいことがあります。」
「何をですか?」
「なに、ちょっとした医療上の問題ですよ。」と、背が高く厳しい表情をした警官が言いました。

ンデルの地方森林局の敷地内で胎児が発見されたため、殺人の取調べが進行中であることを、私はキレレシュワの警察署で聞かされました。森林局につながる路上には女性の手首が、また、ングリウンデツと呼ばれる、森林労働者が住む村に続く道は、首のない女性の遺体の一部が、等間隔で発見されました。修復された遺体の一部と衣服の様子から、金曜の夜にンデルのママ・ンジェリでムングチ医師が会って一緒に飲んでいた女性ではないかと、ンデルのキプランガット巡査長が水曜日の夜に報告しました。捜索願は出されていませんでしたが、私がその女性について供述することになりました。供述だけだから、とその時は思いました。しかし最終的には、この事件が私の生涯で一番辛くて骨にまで沁みる経験になってしまうのです。

ギチンガ医師はハリマについては何も知らないと供述し、ドクターGGも同じ供述でしたので、私は極めて苦しい立場に立たされました。ドクターGGは、情報は開示出来ませんが、それぞれ違った病気の女性患者をたくさん診てきました、と言いました。ギチンガ医師とギチュア・ギケレが患者について得る情報は、全て秘密でした。

私は知っていることは全部供述しましたが、ハリマが中絶をしてくれる医者を探していたことだけは黙っていました。ブコバから出て来たこと、常にお腹をすかせた子どもがいること、最近ではマジェンゴのパムワニで体を売っていたことなどを、ハリマが私にどのようにしゃべったかを警察に話しました。友人を訪ねてンデルに来ていたのですが、ママ・ンジェリで気分が悪くなった時に、私がンデル診療所を紹介して9時に訪ねて行くようにハリマに言ったということも話しました。

ウェケサは、思ったより頭の切れる男でした。ウェケサはンデル診療所に行って科学捜査を命じ、遺体の一部と胎児が診療所にあったのを明らかにしました。しかし、ここで問題が生じました。警察にも行方不明者の報告はなく、入国管理局にもマジェンゴに住むタンザニア人で行方不明になったという記録はなかったからです。全くの展望が見えずに、ウェケサは私の所に来て、どうすべきだと思いますかと私に聞きました。カムンディア警部がドクターGGとギチンガ医師から賄賂を受け取った気がする、とウェケサは言いました。カムンディア警部はその朝、ンデル診療所の捜査についてしつこくウェケサに説教をしたと言います。診療所は性感染症患者の温床で、ウェケサが実際には存在しないもののために50人の警官を何日も動員して、新たに胎児4つと頭蓋骨3つを、草の茂みとごみ箱から発見した!とカムンディア警部は言いました。

私はかわいそうなウェケサをなだめて、これまで得た情報は、新たな捜査や殺人の裁判で必要になるまで取って置くように頼みました。私にはカムンディアが誰なのかも判りませんでしたが、ドクターGGと私の雇い主がハリマについては何も知らないと言い張ったことで、私自身も何かが(怪)おかしい(ものを)と感じるようになっていました。日が経つにつれて、私たちの間でもリバーロード診療所でも、ハリマの件は話題に上らなくなりましたので、ポール・ウェサカは虹を追いかけてはいなかったのだと、私は確信するようになりました。ある日私は、ドクターGGが焼いたハリマのあばら肉を私とウェサカの目の前に置くという生々しい夢を見て、起きてみたら汗びっしょりになっていました。

HIV

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執筆年

2009年12月10日

収録・公開

モンド通信(MomMonde) No. 16

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『ナイスピープル』─エイズ患者が出始めた頃のケニア物語(12)第13章 行方不明者

2000~09年の執筆物

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の11回目です。日本語訳をしましたが、翻訳の出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や雑誌を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。

日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)

解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)

本文

『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―

(11)第12章 初めてのX線機器

ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)

第12章 初めてのX線機器

 3人の男性が3つの小型の木箱をリバーロード診療所に運び込んで来たのは、普段と変わらない冷えた7月の朝のことでした。

「ワウェル・ギチンガ先生に頼まれて配達に来ました。」と配達人の1人が、患者用の待合室に木箱を置きながら言いました。木箱はかなり重そうでしたが、中身が何なのかは特に聞きませんでした。

そのあと当日の午後に、ギチンガ医師から電話があって、荷物が配達されて来たかと聞いてきました。やっと何とかX線機器が購入出来たよ、とギチンガ医師が言ったのはその時でした。これで収益があがるのはもちろん、仕事がずっとやり易くなると思って、私はひどく有頂天になっていました。しかし、ギチンガ医師は、融資を受けた銀行に機器の設置場所を知られたくないので、この新しい機材を導入したことについては他に洩らしてはいけないよと言いました。かなり怪しい説明だと思いましたが、その時は特に気にも留めませんでした。分かっていたのは、そのX線機材を診療所の専用機器として使えるということだけでした。

私の初めてのX線患者は、診療所に折れた鼻を診てもらいに来たジェーン・アチエングという35歳の大柄なルオ人女性でした。

「あの男は動物です。野蛮なことは嫌だと断ったから殴られるなんて信じられますか?」とアチエングはすすり泣きを始めました。

私はアチエングをなだめ、顎と鼻のX線写真を撮りました。それから、殴られたために結膜炎を起こしたと思われる左眼の治療をしました。よほどひどく殴られたに違いありません。アチエングは自分と退役陸軍少将との悲しい話を詳しく話し始めました。

コンボ元少将がとても親切で、出身地に関わり無く、特に女性に清掃の仕事を世話をしてくれるとアチエングは前から聞かされていました。役場の事務所に訪ねて行って面接を受けるだけで、仕事がもらえるということでした。他のナイロビの雇い主のように賄賂を受け取ることもなく、用事をたくさん言いつけることもない、となかなかの評判でした。草刈りが出来るか、1日に最低3キロを歩くだけの体力があるか、しっかりした母親であるかをテストするだけだというのです。コンボ元少将はかなりの大金持ちでした。それもかなりの。

アチエングはその日曜の朝、一階にあるコンボ元少将の仕事場を訪ねました。知り合いのグレイディスはアチエングに道案内をしたあと、別れてアンバサダーホテルの近所の職場に行きました。アチエングが座って元少将を待っていた隣りの部屋を60歳くらいの男性が密かにドア越しに見ていました。

ナイロビ市街

その男性はアチエングに設備の整った執務室に入って来るように手招きしました。市の最高責任者の部屋だったようです。半円形の執務用机の中央に座って、アチエングに年齢、出身地、現在の職業、配偶者の有無、子どもの数、滞在年数、住んでいる地区などの詳細を尋ねました。すべての質問にアチエングは一つ一つ丁寧に答えました。ルオ出身で35歳、現在は無職、第3夫人で子どもが二人いて、この5年間はジワニに住んでいます、と。

「あんたはこの5年間、何をしていたんかね?」と、元少将が横柄な命令口調で聞いたため、ジャネット・アチエングは固まってしまいました。

「あのう、たまに魚を売ったりしてましたが・・・」

「他には何を?さあ、部屋の中を歩き回れ!」と、元少将は命令しました。アチエングは歩き出し、ケールの葉と牛肉の煮込みを売ることもありましたけど、大体は主婦をしてました、と口ごもりながら答えました。

「止まれ!」と元少将は怒鳴りました。

「そら、服を脱ぐんだ!」と吠えるように大声で命令しましたので、アチエングはますます縮み上がってしまいました。子どもの頃、人前で服を脱いで湖で泳ぎ、魚釣りもしていましたので、服を脱ぐこと自体は大したことではありませんでした。しかし、元少将の部屋でそんな事をするとは思いもしませんでしたし、グレイディスからも何もこの件については聞いていませんでした。ただ、この偏った金持ちの老人に、体を張って何らかのなお世話をすることがあるかもしれない、ということだけは聞いていました。

アチエングは命令に背こうかとも思いましたが、もう1人の自分が、面接を最後まで見届けるように強く急き立てました。それでベルトを外し、途中で止めるように言ってくれないかと祈りながら、胸のホックを外し始めました。しかし元少将は止めとは言わずに、いやらしい目つきでアチエングを見続けました。服の左袖の部分を掴んでいた左腕が出て、次に同じように右袖の部分をしっかり押さえていた右腕出て両腕が剥き出しになりました。アチエングは、諦めてくれないかと、元少将の顔をまじまじと見つめました。コンボ元少将の目蓋が少し膨れ、唇が僅かに開いているのが分かりました。元少将は一言も喋りませんでした。口元をほんの少し歪めながら、アチエングは服を足元に落とし、一歩前に出ると、狂人と向き合って立ち、次の命令を待ちました。元少将は両手を挙げ、ブラジャーを指差しました。アチエングはブラジャーも取りました。コンボ元少将は、もっと脱ぐのを期待するような目つきでじっと見続けました。いまや、ジャネット・アチエングは素肌に短いペチコートとショーツをつけていただけでした。ペチコートまでは脱いでも、それ以上は脱ぐまいと決めました。

「全部脱ぐんだよ、お母さん。」と元少将は、この常軌を逸した面接を切り抜けられるかな?と言わんばかりに、穏やかに、しかしきっぱりとジャネットに警告しました。

ジャネットはさっさとことを進めて面接を済ませ、出来るだけ早く部屋から出て行こうと決めました。ジャネットがショーツを脱ぐと、元少将はますます気がおかしくなり、部屋の中で行進を始めるよう命令しました。そして、この仕事にはスタミナが必要だと説明しました。裸で2度部屋の中を廻ったあとジャネットは、この老人が何を本当に望んでいるのかに気付きました。

ジャネットが拒んだあと、気違いじみた老人はジャネットの顔を殴りつけ、鼻の骨を折ってしまいました。ジャネットは後で知りましたが、その老人サディストは、自分の目の前で裸の女を歩かせると勃起するという理由で、たくさんの他の面接希望者にも同じようなひどい目に遭わせていました。私はジャネット・アチエングを治療しながらコンボ元少将の件を警察に通報しようという思いに駆られましたが、私の役目は病人を治療することで、強姦未遂を刑事的に起訴するように申し入れることではないと思い留まりました。

HIV

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執筆年

2009年11月10日

収録・公開

モンド通信(MomMonde) No. 15

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