概要
エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の7回目で、アフリカのエイズ問題を捉えるにはです。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)
『ナイスピープル』(Nice People)
本文
アフリカのエイズ問題を捉えるには
アフリカ大陸がエイズの猛威に晒されて危機的な状況にあるのは間違いないのですが、私たちが目にする新聞やニュースなどの報道が必ずしも実相を伝えているとは限りません。エイズの報道に限らず、アフリカに関しての報道は西洋中心のものが多く、実際に苦しむアフリカ人の声も、アフリカ人がエイズをどう考え、エイズ問題にどう対処しようとしているのかは、あまり伝わって来ません。
その点で、レイモンド・ダウニングさんの著書『その人たちはどう見ているのか?―アフリカのエイズ問題がどう伝えられ、どう捉えられて来たか―』(2005年出版)の中の主張は示唆的です。ダウニングさんはアメリカ人の医師でアフリカでの生活の方が長く、日々エイズ患者と向き合っているそうです。欧米の抗HIV製剤一辺倒のエイズ対策には批判的で、病気を社会や歴史背景をも含む大きな枠組みの中でアフリカのエイズ問題を考えるべきで、そのためには大半のメディアを所有する欧米の報道を鵜呑みにせずに、南アフリカの前大統領ムベキが提起する問題や、アフリカ人が執筆する「ニュー・アフリカン」などの雑誌やアフリカ人が書く小説などを手がかりに、アフリカ人の声に耳を傾けるべきだと力説しています。本の中で、2003年に米国大統領ブッシュがアフリカなどのエイズ対策として抗HIV製剤に150億ドル(約1兆350億円)を拠出したあとで応じた前ザンビアの大統領カウンダのインタビューを紹介していますが、印象的です。エイズ問題の根本原因は貧困であると発言したムベキについて聞かれて、次のように答えています。
ダウニング著『その人たちはどう見ているのか?』
違った角度から見てみましょう。私たちはエイズのことがわかっていますか?いや、多分わかってないでしょう。どしてそう言うのかって?欧米西洋諸国では、生活水準の額は高く、HIV・エイズと効率的にうまく闘っていますよ。1200ドル(約10万8千円)、1200ドル(約108万円)で生活していますからね。数字は合ってますか。年額ですよ。アフリカ人は100ドル(約9千円)で暮らしてますから。もしうまく行って・・・将来もしアフリカの生活水準がよくなれば、生活も改善しますよ。たとえ病気になっても、もっと強くなれる・・・私は見たことがあるんです。世界銀行の男性です、HIV陽性ですが、その人は頑健そのものですよ!基本的に強いんです。それは、その男性がしっかり食べて、ちゃんと風呂にも入り、何もかも何不自由なく暮らしているからです。その男性にはそう出来る手段がある。だから、ムベキの主張は、わざと誤解されて来た、いや、わざと言う言葉は使うべきじゃないか、わざとは撤回しますが、ムベキの言ったことはずっと理解されないままで来たと思いますね。
カウンダ自身も子供をエイズでなくし、貧困の原因があからさまな植民地支配だけでなく、今も容赦なく続く、開発や援助の名の下の経済的な支配であることを、政権を担当した当事者として身に沁みていますので、巨額の援助金が、実際には抗HIV製剤を製造する巨大な製薬会社に戻っていくのが予測出来るから、そんな発言になったのでしょう。
ケネス・カウンダ
2000年のダーバンの国際エイズ会議は主に欧米の製薬会社の資金で開催されましたが、病気をもっと広い観点から捉えるように提言したムベキは欧米のメディアに散々に叩かれました。しかし、免疫不全の病気と戦うのに、免疫力を低下させる根本原因である貧困や栄養不良などの要因を考えずに、ウィルスを撃退する抗HIV製剤だけを強調する欧米や日本の対応の方が、むしろ不自然です。
タボ・ムベキ
西洋社会は1505年の東アフリカのキルワでの虐殺を皮切りに、西海岸での350年にわたる大規模な奴隷貿易によって莫大な富を集積し、その資本で産業革命を起こしました。大量の工業製品を生み出し、その製品を売るための市場の争奪戦でアフリカを植民地化し、やがて第一次、二次世界大戦を引き起こしました。大戦で総力が低下したために一時アフリカ諸国に独立を許しますが、やがては復活を果たし、今度は援助と開発の名の下に、新植民地体制を再構築して今日に至っています。侵略を始めたのは西洋人ですが、奴隷貿易や植民地支配では首長などの支配者層が西洋と取引をし、新植民地支配でも、少数のアフリカ人が欧米諸国や日本などと手を携えて大多数のアフリカ人を搾取して来ました。何よりの問題はその搾取構造が今も続いているということです。エイズ問題もそういった歴史の延長線上で考えなければ、実像を捉えることは出来ません。私はアフリカ系米国人の文学がきっかけでアフリカの歴史を追って30年近く、医科大学に職を得て医学に目を向けるようになって20年余りになりますが、その過程で得た結論から言えば、アフリカとエイズの問題を考えても、根本的な改善策があるとは思えません。根本的な改善策には先進国の大幅な譲歩が必要ですが、残念ながら、現実には譲歩のかけらも見えないからです。
しかし、文学や学問に役割があるなら、大幅な先進国の譲歩を引き出せなくても、小幅でも先進国の人々に意識改革を促すような提言を模索し続けることでしょう。僅かな希望でも、ないよりはいいのかも知れない、そう自分に言い聞かせています。おそらく、『ナイスピープル』の翻訳も解説も、その延長線上にあると思います。
1992年に門土社が南アフリカの作家アレックス・ラ・グーマ(1925-1960)の『まして束ねし縄なれば』(And a Threefold Cord)を出版して下さいました。ラ・グーマは反アパルトヘイト運動の指導的な役割を果たしていましたが、同時に、大半が安価な労働者として働かされ、惨めなスラムに住んでいる南アフリカの現状を世界に知らせようとこの本も書きました。そこにはケープタウン郊外のスラムの厳しい状況の中で懸命に生きるカラード社会の人々の姿が生き生きと描かれています。観光客を誘致し、貿易を推進して外貨獲得を目論む政府が強調するきれいな海岸や豪華なゴルフ場とは違った、南アフリカの人々の姿が浮かび上がります。
『まして束ねし縄なれば』
1930年代から、貿易や投資を通して南アフリカから莫大な利益を得ながらほとんど関心を払わない日本人が、その国の実情を知るのは難しいと思いますが、ラ・グーマを読めば、少なくともメディアで伝えられている映像とは違った人々の様子が垣間見られます。おそらく、文学にはそういった人々の姿や心の襞を伝える働きがあるのだと思います。(作品論「アレックス・ラ・グーマ 人と作品6 『三根の縄』 南アフリカの人々 ①」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題、「ゴンドワナ」16号14-20頁)と「アレックス・ラ・グーマ 人と作品7 『三根の縄』 南アフリカの人々 ②」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題、「ゴンドワナ」17号6-19頁)はこのブログに載せてあります。)
アレックス・ラ・グーマ
次回は、南アフリカと抗HIV製剤について書きたいと思います。
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執筆年
2009年10月10日