HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:ゼミ
「夜間課程」(↑、3月28日)ではゼミは3年生の時に1年だけで、担当者も私も自主休講が多かったせいか(→「がまぐちの貯金が二円くらいになりました」、1986年)、ゼミらしい時間がほとんどなかった感じだが、山の中の院(→「キャンパスライフ2」、6月15日)では、入学した最初の週から修士論文を提出する1月末までゼミの時間は続いた。
国語と英語の壁を取り払う「言語表現」が教職大学院の目玉だっただけあって(→「大学院大学」、6月13日)、入学した時点で自動的に「言語表現学会」の会員になっていた。経緯はどうであれ、業績が必要だった私には「黒人研究の会」とは別の発表の場があるのは有難かった。修士課程が終わるまでに、「言語表現研究」(↑、2019年10月20日)で1本、「黒人研究」(↓、2019年9月20日)で2本が活字になった。口頭発表も合わせて5回ほどさせてもらった。時間に追われっぱなしで何の準備も出来ずに駆け込んだ挙句の2年間のわりには、上出来だった。どちらも業績欄に項目がある。
1学期のゼミはワーズワーズやキーツの詩を一つ一つ丁寧に「味わう」時間だった。担当者は英文学専攻で詩人のキーツをやっていたらしい。ゼミ生は二人、もう一人は現役入学の学生だった。野球で有名な神戸の私立高校で野球をやっていたらしく、大半が現役の教員だったので、教員再養成のコースには極めて珍しい例だったと思う。明石から高校に通っていたらしい。英国紳士風の担当者に私は合わせられなくてゼミの時間は居心地が悪かったが、二人はえらく波長が合ったのか、学生の方が合わせたのか、ほぼ心酔の域に達していた感じだった。私が歩み寄ろうとしなかったから余計に、かわいく見えたのかも知れない。二人で楽しそうにキーツ論議をやっていた。あとでわかったことだが、授業で毎回していた英詩の話は。何冊かあった著書の中にそっくりそのまま載っていた。もう一人のゼミ生は、予めその本も読んで、優等生の答えを褒められて楽しそうだった。話し方も英国紳士風に穏やかで、毎回、丁寧に丁寧に豆を挽いて珈琲を淹れてくれた。
2学期からは英詩購読はなく、書いたものを見てもらうか、修士論文の英語を添削してもらう時間になった。言語表現学会で口頭発表もするように言われて、二人で準備して別々に発表した。修士論文は英語での提出なので、ある程度書いた分をその都度一文一文丁寧に添削してもらえるのは有難かった。何十年も英語に接している人の英語は、それなりに含蓄があって、その点は感心し、納得の行く時間になった。「修了するまでに髭を剃らせるのが私の目標」と他の学生に漏らしていたと聞くが、目標は達成されないまま終わってしまった。英文学と米文学と分野が違うのでほとんど口出しされずに、我儘放題させてもらえたのは、幸運だったと思う。
次は、修論あれこれ、か。