つれづれに:テキスト編纂1(2024年4月4日)
つれづれに:テキスト編纂(さん)1
最初の本(↑)は→「共著」で、出たのは正規の職が決まる直前だった、気がする。非常勤が5年と長かったので、急遽(きょ)決まって赴任した→「宮崎医科大学 」では初めて経験することが多かった。(→「大阪工大非常勤」、→「二つの学院大学」)自分だけの研究室も有難かった。研究室が講義棟から学生食堂に行く途中にあったこともあるし、髭(ひげ)生(は)やして先生らしからぬ言動もあって、学生がたくさん立ち寄ってくれた。親しみやすかったのかも知れない。授業が終わったあとも定期的に来てくれる学生も各学年とも増えていった。科学研究費も考えたことがなかったものの一つである。締め切り間際に殴り書きして提出するはめになったが、次の年に単年で100万円が交付された。(→「 科学研究費 1」)7年間の学術的な業績に加えて、雑誌の記事もよかったのかも知れない。かなりの数があったし、なぜか大学の業績には出版社から出たものの評価が高い。(→「ゴンドワナ (3~11号)」、→「 ゴンドワナ (12~19号)」)
赴任した当時の宮崎医科大学(大学HPから)
→「 MLA(Modern Language Association of America)」で発表するのに南アフリカの歴史も辿(たど)り始めて、たくさん記事を書いていたし、→「LL教室」を使った英語の授業でも→「『ルーツ』」の他に→「『アフリカシリーズ』」を使ってアフリカについても映像を紹介し始めていた。
サンフランシスコの発表会場で、座長の伯谷嘉伸さんと
自分が使う教科書を出してもらうのも初めてだった。テキストを編集しませんかと連絡が来るまで、その発想すらなかった。高校では教科書が決められていたし、非常勤の時も大学の生協から使うテキストの冊数を聞かれて返事はしたものの、深く考えたことはなかった。(→「黒人史の栄光」)従って、テキストに註をつけて出しませんかと連絡が来たとき、へえーという感じが強かった。電話のあと、テキストが送られて来た。東京の私大の人が編註をつけたテキストで、再版するらしかった。出版事情をきかされたのはずいぶんと後になってからである。
作品は→「A Walk in the Night」(↓)だった。初めてであったし、舞台の南アフリカのカラード居住地区第6区はまったく知らなかったし、イギリス英語でもあったので、少し手こずった。しかし、講演会で知り合ったケープタウン生まれの女性に助けてもらい、初めての学生である2年生の何人かに校正を手伝ってもらって、何とか出来上がった。表紙絵は出版社の人の依頼もあって、妻に描いてもらった。当時日本でも上映されていた南アフリカ映画「『ワールド・アパート』 愛しきひとへ」の一場面を使ってくれた。
次の年から、英語の授業で使い始めた。(→「註釈書1」、→「アレックス・ラ・グーマと『夜の彷徨』 」)