つれづれに:畑12月(2025年12月25日)

つれづれに

つれづれに:畑12月

12月 メリーちゃんとクリスくん(6号)

12月もあと僅かになった。術後、身体はほぼ元通りにはなったが、その前に痛めた腰がまだ尾を引いている。それでも、毎日ほぼ支障なく生活できているので有難い限りである。

高校の時に担任した人の父親と今も遣り取りしている。今年は干し柿も出来たし、送ったら大層に喜ばれた。干し柿の反応が直に返ってくることが少なかったので、嬉しかった。第2弾の干し柿に添えて、今まで干し柿について書いた「つれづれに」(↓)を印刷して送った。また、それも喜んでくれた。なんと御年93歳。筆もしっかりしている。感服である。
「柿干して 今年も暮れる」(2003年12月11日)、→「干した柿に、ひよも飛んできて」(2004年11月27日)、→「寒空に、祭りの後の花火が儚げに」(2005年11月20日)、→「渋柿を吊せなかった、今年が暮れる」(2008年12月31日)、→「過ぎ行く秋の陽に、柿を干す」(2011年11月23日)、→「句も出ず、霧島降ろしに柿を干す」(2011年11月23日)、→「今年も過ぎて行くようです。」(2014年12月29日)、→「昨日やっと柿を干しました」(2017年10月30日)、→「西条柿6個」(2021年10月23日)、→「かき顛末記③西条柿」(2022年12月18日)、→「かき顛末記②」(2022年12月17日)、→「かき顛末記」(2022年12月7日)、→「柿干せど」(2024年10月23日)
母親の借金で世話になった弁護士の人とも遣り取りが続いている。その人が「玉田さんの小説に興味があるので、売ってもらえませんか?」と書いていた。まだ、本にはなっていないが、小説の中にもその人は登場している。最初の7冊は自伝的スケッチの色彩が濃い。今書いているのは、半分以上はフィクションである。自伝的スケッチとは全く違う内容も書いてみたいと、最近は思うようになっている。例によって、今は固まりみたいなものが胸辺りにもやもやとしているだけだが、書き出せばだんだんとはっきりして来そうな気はする。担任した人の父親も弁護士の人も、どちらも最初に出会ってからほぼ45年ほどになる。

私の絵画館2→「水仙」(No. 18:2010年1月)

生まれつき喉が細くて、食べても戻してしまうことが多いので、2時間ごとくらいに少しずつやる必要があるので大変だが、夜は妻が昼は僕がご飯に付き合って、猫のぴのこ(↑)は元気でいてくれている。それも有難いことである。

なかなか畑に出る時間を取れないが、何とか土の部分が多くなった。ネギも絹鞘豌豆もリーフレタスも植え替えを待っている。もう少し待ってもらうしかない、ごめんなさいと毎日思ってはいるんだが。ブロッコリーも大きくなっている。出来るだけ陽が当たるように、南側の金木犀の生垣も伸びた枝を切らないといけないんだが。畑だけでも、することが一杯である。今年も、歳月が過ぎて行く。