つれづれに

つれづれに:連休

 昨日も自転車で白浜(↑)の鍼灸整骨院に行って来た。有難い。いつもよりずいぶんと人も車も多かった。運動総合公園(↓)前のラーメン屋さん辺りでそれに気づいたのだが、普段は車が停まっていてもせいぜい3、4台くらいなのに、駐車場には空きスペースがほとんどなかった。初めて見る光景だった。その場所には、ラーメン屋さんが入っては、潰れている。

「あれで店やっていけんのやろか?」

客の入りを見ていると、今の店も先行きが長いとは到底思えない。

 その点、ラーメン屋さんの少し南にあるパスタ屋さんはわりと客入りがいい。以前カナダ人の同僚が店を利用していると教えてくれた店屋である。駐車場が埋まっていることが多い。今日は満車で、「引き込み」通路にも何台か溢れた車が停められていた。

「引き込み」通路の言い方でわかるのかは自信がないが、ウェブで確かめてみたら「通路上を歩行する被験者から見て、通路の内側に飛び出している部分を『張り出し』、 通路の外側に窪んでいる部分を『引き込み』と呼ぶ」とあったから、それでいいのかも知れない。

「引き込み」通路脇の内側のすすき

 ただ、余り使うことがないので、表現が正しいのかどうかの確信は持てない。最近は「どう表現したらええんやろ?」と思うことが増えている。小説を書き始めてからである。こんなときは物知りの元同僚寺尾さんか、一橋の院にもぐりこめて寺尾さんの世話になっている川越くんに聞けるといいんだが。二人とも、無駄に物知りである。二人の好奇心の賜物だろう。

曽山寺浜にはサーファーが多かった。レストランに引き上げている人もいたので、その一人に「今日は多いですね、波がいいんですか?」と尋ねたら「いい波、もう終わっちゃいましたよ」という返事が返って来た。レストランは外の座席にも人がいた。この光景(↓)も初めてである。

 海の青さにつられて、木崎浜から曽山寺浜に架かる橋の下から、海の写真(↓)を撮った。橋の脇から少し見上げると、橋の側面に橋の出来た日時と橋の名前が刻んである銅版が埋め込んであった。初めて知ったが、トロピカル橋というらしい。横浜のレインボーブリッジと違って、橋には漢字が使ってある。

 「誰が名前、考えたんやろ?」

曽山寺浜から青島への橋はみらいはし、名付けた人が違うようである。今日もみらいはしからの海(↓)は素敵だった。

 青島の参道にも人が多かった。いつも思うのだが、参道を歩いて行っても小さな神社があるだけなのに、よくあれだけの人が行くものである。コロナ騒動で人影がぱったりと途絶えた時も白浜に通っていたので、ほぼ普段通りに人出が戻った感じがする。自転車と人専用の海岸道路にもサーファーや観光客以外にも、何人もが走っていた。それなりの服装だったので、近いうちに5キロとか10キロのミニマラソンの大会でもあるのかも知れない。

 最近は長距離の自転車もきつくなっているので、時間をかけてゆっくりとこいでいる。揉(も)んでもらいながら「今日は人も車も多かったですねえ」と話をしたら「今日は祭日で、連休ですからね」と言われた。祭日はいつもは休みなのだが、先週の金曜日は臨時休業だったのでその振替で祝日でも揉んでもらい、おまけに連休で人も車も多かったというわけである。

すすきも盛りを過ぎて、秋も深まって行く。

青島と白浜の間の海岸道路のすすき

つれづれに

つれづれに:郁子(むべ)

 毎日は歩けないでいるが、できるだけ一日に一時間前後は歩くようにしている。血の流れをよくするための私の方策の1つである。

家を出てすぐの家の庭の植え込みの郁子が2つ(↑)、少し色づき始めた。もう11月である。

 ずいぶんと秋らしくなった。30度を越えて畑に出られないということはなくなった。今度は気温が下がって、体を冷やさないようにと心配する必要が出て来た。陽の高いうちの何時間しか作業できないわけである。体調を維持するのもなかなか難しいので、少しずつでも継続するのが大事なようである。レタスと葱(ねぎ)と絹莢豌豆(きぬさやえんどう)を何回か撒(ま)いたが、芽の出る率が低い。レタスと葱は芽が出ない。何とか芽がでたのがブロッコリー(↓)だけである。一昨日、また新たに撒い分の芽が、無事出てくれるといいが。

 郁子も道草も3月に赤みを帯びた薄紫色の可憐な花を咲かせる。ある年、郁子がよく目に入った。自転車でよくうろうろしていたからだろう。電動自転車を買って使ってはいたが、まだ充電を使わないでこいでいた時期である。清武川にかかる橋の近くの堤防脇の崖に咲いていた大群(↓)も見事だったが、電柱を伝って登り切った辺りに咲いていたいた大量の花も見事だった。電柱の方は、翌年にはばっさりと切られて跡形もなかった。蔓(つる)植物は他の樹には迷惑なことが多く、突然切られてしまう運命にある。

 その時にどっさり採って自転車に積んで持ち帰り、描いてもらった→「郁子(むべ)」の花はカレンダーにもなっている。

小島けい「私の散歩道2010~犬・猫・ときどき馬」3月

 花カレンダーの中にも入れて、長崎の企業にも採用してもらった。花カレンダーは3年ほど使ってもらったが、最近は経費削減のあおりを受けて、カレンダーを配るところもずいぶんと減った感じがする。紀伊国屋や旭屋、東急ハンズなどでも販売をしてもらえたが、お金にならないので、一年だけだった。利益を見込めるだけのお金を払って買う人の需要がないということだろう。いろんなところでいろんなカレンダーが売られている。

小島けい「私の散歩道2010~犬・猫・ときどき馬」3月(企業採用分)

 先週、93歳になる人から手紙の返事をもらった。毎年カレンダーを送っているが、そのお礼である。玄関に並べて下さっているようだ。筆もしっかりとしている。あなたはまだ「若い」、と書かれている。凄いとしか言いようがない。研究会で世話になった神戸の人は、毎年筆が乱れて行って、最後は乱れすぎて送るのが却って気の毒になり、自然と送れなくなった。訃報が届くほど家族の人とは親しくなかったので、その後の詳細はわからないが‥‥。

退職するとすることがなくて‥‥と言う人もいるらしいが、朝起きてから寝るまで何やかかやすることがある。決まった時間に出かけることはほとんどないが、することはある。折角畑に出て作業が出来る季節になったのだから、時間的には一日中でも土を触れるのだが、実際には数時間も作業が出来ればいい方である。出られない日も、実際には多い。そんな「若い」人の日常が続く。

レタスも4度目で、やっと芽を出してくれたようである

つれづれに

つれづれに:畝(うね)1号

 →「9月になって」(1日)、→「畑を始め‥‥」(2日)ようとしたが、なかなか作業がはかどらず、このままでは畝第1号の完成がまだ延びそうなので、途中の写真を載せることにした。

作業開始前

 先々週は白浜の鍼灸(しんきゅう)整骨院に行く直前に3度も吐いてしまい、先週はまだぐずぐずしていたので車の送迎をお願いしてしまった。夜中にエアコンを切り、襖(ふすま)を閉めて寝ていたら、翌朝起きる時にくらくらして不安定な感じがした。自転車で行く自信がなかったので、車の迎えをお願いし、甘酒にお粥(かゆ)とヨーグルトと流動食を食べて準備をした。しかし、迎えの時間が近づいた頃、急にむっとして吐いてしまった。久しぶりである。喉(のど)をやられるのは時々あったが、吐くのは記憶にないくらい前のような気がする。そんな話をしたあと、言われた。

「話を聞いてると、熱中症の症状に似てますね」

なかなか思うようにはいかないようである。おまけに、親猫は家出をしたまま、16歳の子猫の片方(↓)がぐったりとしたままである。思い余って、青島の獣医さんにお願いして、家で点滴を始めた。もう先は長くないのかも知れないが、動きたい意思はあるみたいで起き上がって歩いたりはするので、それを生きる意思と思って、点滴することに決めた。体の衰えが急速で、今年の暑さに耐えきれなかったようである。

 充分に→「秋」(8日)になって、→「気温も下がり」(7日)、環境的には充分に畑作業の時間が増やせるのだが。

畑作業はわりと根気が要る。左側の手前の胡瓜(きゅうり)と奥の方の茄子(なす)の枯れた枝を取りのぞき、その場所に肥料を入れて絹莢豌豆(きぬさやえんどう)の種を蒔(ま)いた。土をほぐして種を蒔く周辺を深く掘って肥料を入れる。通路を挟んで右側に大根の畝第1号である。これは深く掘り、畝も高くする必要がある。東南の辺りは以前の借家の黒土をもらって来て入れたので、非常に土壌がいい。大根もよく育つ。畝を高く摘むために通路を深く掘って、その土を積んでいく。通路に草や生ごみや肥料を入れるのは、夏野菜の時のためである。そこを掘り返せば、いい塩梅の土壌が出来ておる。その作業で、草ぼうぼうだった場所が下のようになった。

右手の大根が少し大きくなっている

 通路には、畑に生い茂っている雑草を入れ、その上に家から出た生ごみを放り込み、土をかけて肥料を入れる。

 土が足りないので、今回は近くの雑木林の落ち葉の下の腐葉土を取って来て上に乗せた。

 この作業から始めてたが、まだ暑くてなかなか時間が取れず、作業がはかどらないままである。

少し前からやっと金木犀がにおい始めた、なんともいえないいい香りを漂わせている。南側を中心に、外から見えないように30本も大き目の苗木を植えた。樹が一本一本しっかりしていて、たくさん花をつける。ただ、いい香りを放つ期間が極めて短い。あと1週間もすれば、ほとんどぽろぽろと花が落ちてしい、明るい黄土色の絨毯(じゅうたん)が出来る。まだ他は荒れ放題なので、作業はこれからである。

南瓜の柵、作るのに時間をかけたので解体作業も大変そうである

つれづれに

つれづれに:秋

勢いのある凌霄花(のうぜんかずら)も

 一気に気温も下がり、秋になった。3日前にかろうじてレタスと小葱(ねぎ)とブロッコリーの種を蒔(ま)いた。9月の半ばころに、やっと畝(うね)の一部を拵(こしら)えて、去年採った鞘(さや)から種を取り出して蒔いた大根が、少し大きくなっている。10日ほど畑には出られなかったので、虫にやられてしまっていると思い込んでいたが、希釈した酢をかけたのが効いていたようで、このまま大きくなってくれるかも知れない。

 この前の金曜日は白浜(↑)の鍼灸整骨院に行くことが出来た。ただし、車で送り迎えをしてもらってである。その前の金曜日、朝から頭がくらくらしていてが、揉んでもらってしっかり休めばよくなるだろうと思って、車での送迎をお願いした。しかし、まさに出かける直前に、かろうじて食べていた流動食を3回も吐いてしまった。喉をやられたことはあるが、ここ数年吐いたのは初めてだった。

揉んでもらいながら症状の話をしたら「熱中症の症状に似てますね」と言われた。30度を越えるなかで、夜中はエアコンで冷えないように襖を閉めて寝ていたので、熱中症にかかったようである。75歳になったところだ。これから、老いてゆくばかりだから、覚悟する必要がありそうである。それだけに、自転車をこいで自力で行ける日常は有難い。来週はまた、秋の海の青さ(↓)に感謝しながら、自転車がこげるのを祈ろう。

曽山寺浜みらいはし

 妻は今年の個展の準備に忙しい。それも有難いことである。コロナのために今年は本人不在の東京での個展が3回目になるが、娘やドッグカフェのオーナーさんたちに助けられて何とか続いている。続けられるのは、有難いことである。個展を目安に絵を描き続けているからである。来年のカレンダーの表紙にした絵の原画である。

ウユニ塩湖

その案内(↓)ができた、少し前にブログも再開(→「小島けいの世界☆1 お知らせ」)して案内を載せた。毎回個展が終わったら、また次の年の個展の準備で描き始める、今年も何とか準備が出来て、今日2024年度のカレンダーが届く予定である。今のところまだ届いていない。

PFF→小島けい個展2023

 葛や彼岸花やパンパースも盛りを過ぎて、今も継続的に勢いがあるのは「ハイビスカス」(↓)だけのようである。しばらくしたら、金木犀。いろんな種類の薄(すすき)もあちこちで摘めそうである。