つれづれに

つれづれに:いのち

 テレビドラマ『ER』の→「『悪夢』」では、いとも儚(はかな)く人のいのちが消えて行く。それまでコンゴについてはよく知らなかったが、医学と一般教養と繋(つな)げないかと考えて1995年のエボラ出血熱から始めてみたら、知らない世界が広がっていた。植民地時代→独立・コンゴ危機→モブツ独裁と、長期間に渡って社会はすっかり荒廃し切っていた。賄賂(わろ)が横行し、豊かな鉱物資源をめぐって血なまぐさい紛争が続いていた。道路も荒れ、経済もとっくに破綻(はたん)していた。ことに、皺(しわ)寄せをもろに受ける医療施設は悲惨だった。エボラがエイズに追い打ちをかけていた。医者が主人公で、舞台が病院の設定で作られた「悪夢」は、そんな惨憺(さんたん)たるコンゴ社会を映し出していた。そこでは、消えなくて済むいのちが消えていた。

 医学生の英語の授業だけでなく、本学の教養科目や非常勤の英語の授業でもこのコンゴの医療ドラマを観てもらったが、気分が悪くなって部屋にいられなくなり、外に出て行く学生が何人かいた。その点、さすがに医学科と看護学科では途中で出る学生はいなかったなあと思いながら、変に納得をしたことがあった。アフリカにエイズ患者が出始めたのが1985年辺りだから、カーターが行った北東部キサンガニの病院でも、当然エイズ患者がいた。ある日、夫と夫の左肩に寄りかかっている夫人が壁を背に並んで座っていた。カーターが老夫人の頸(くび)の脈を診ると、すでに死んでいるのがわかった。近くの看護師に通訳を頼み、死亡を伝えてもらうと、老人はそっと口を開いてカーターと話す。

「知ってる。弱ってた」

「早く言えばいいのに」

「この2、3ケ月調子が悪くて。エイズだったが、行くところがなくて。僕もすぐに行くよ。愛してるよ」

 奴隷貿易の蓄積資本で産業化に突き進む欧米諸国が狙った豊かな鉱物資源や農産物をめぐって争い、戦後は多国籍企業の貿易と資本投資の体制をアメリカ主導で再構築したために、宗主国のベルギーにアメリカまでコンゴにしゃしゃり出て来た。宗主国に独立過程の邪魔は任せて国内を大混乱させ、アフリカ人を立てて傀儡(かいらい)の独裁政権を作ってしまった。2回目のエボラ騒動の翌年にカビラが多くの勢力に担(かつ)がれてキンシャサに入り、モブツはモロッコに逃走、そこで前立腺癌(がん)で死んでいる。独裁体制は1997年まで続いた。当然、欧米資本に対抗するアフリカ人の武装組織が出来る。武器の出所は先進国のどこかの国からか、東側の国からの場合もある。武器を売りつけるのは、自国の重工業の維持にも繋がるのだから、力も入る。かつての奴隷商人のような武器商人が、裏社会で跋扈(ばっこ)する。フランスとユダヤ系が一番あくどいと言う人もいる。

 しかし、犠牲になるのはいつもごく普通の人たちである。一握りの欧米の金持ちとアフリカの金持ちが潤(うるお)う分、その皺寄せは国民に来る。カーターたちがワクチン接種のために出かけたマテンダの診療所に車が着いたとき、人が列をなしてカーターたちの到着を待ちわびていた。カーターとコバチュは一人一人と二言三言(ふたことみこと)交わしながら、淡々とワクチンを接種した(↓)。

 カーターの患者のなかに苦しそうに咳(せき)をする少年がいた。症状からして百日咳のようだった。病気だからよくなる薬を出すと言い、看護師に点滴をするように言った。高い抗生物質はないので、効かないアモキシしか出せなかったのである。ワクチンが終わり、二人は少し離れたところの空き箱を置いて座り話し始める。

「百日咳か?アモキシを出して、治せると言った?」

「言った」

「アモキシじゃ治らない。死ぬよ。10ドルのエリスロマイシンの処方で根絶できる病気で、死んでいく」

「今日200人に接種した。一日に200人も救ったことあるか?」

 キサンガニのある東部は政府の支配の行き渡らない地域で、反政府軍の拠点である。最近は希少金属をめぐって、隣国の国々も派兵して駐留している。案の定、一人の少女が爆撃のあおりを受けて診療所に運ばれて来た。吹き飛ばされて、片方の膝から下がない。反政府軍が迫るなか、のこぎりで足を切断して緊急手術(↓)を終えた。点滴をつけたまま、密林の中に避難した。カーターたちがキサンガニに戻ることになったとき、その少女たちのためにコバチュと補助員は残る決心をした。

 診療所を攻撃されてそこに残っていた人たちとカーターとコバチュと補助員は少女に点滴をつけたまま、逃げ惑った。それでも夜は明けて、密林のなかで座ったまま、二人は話し出す。

「経験あるんだな?」

「あるよ。初めは国家だ、愛国心だと建前は立派だが、結局待ってるのは死と悲しみだ。望みはごく平凡だよ。子供たちが幸せに育ってくれればいい。領土や大統領は関係ない。平和を望んでいる」

「最初は政治も理解しようとしたよ」

「カーター、君はアメリカ人だ。民主主義が世界を救うと思っている」

「代わりは何だ?軍事独裁か?」

「君たちはミサイルを撃ちこんで空母へ引き揚げて、テレビに興じていればいい」

「アメリカ人もイラクで犠牲を出している」

「でも餓死する子供たちはいるか?レイプされる女性はいない‥‥テレビや新聞で正義の戦争だと言っていたと思うが、私には家族がいなくなった。あの戦争の何が正義だったんだ?家族を亡くして‥‥」

 政府軍の兵士の治療をして、手術に成功した。目覚めた兵士は充分に政府軍の怖さを知っていたので、無理を承知で部隊に戻りたいと必死に懇願したが、カーターは「歩けるようになれば行っていい」と言って許可を出さなかった。トラックに乗せて運ぼうとしたが、運悪く巡回して来た反政府軍に見つかってしまった。トラックから引きずり降ろされて、誰もが見つめるなかで、至近距離から虫けらのように撃ち殺された。そして、いのちは消えた。

 最初は鉱物資源を狙った欧米が仕掛けたが、違う先進国や東側諸国が反対勢力に武器を送り込むので、複雑に絡(から)んだ糸はもうほぐせる段階にはないようだ。本来中立であるべき国際医療団も中立ではいられない。ひっしにコバチュが中立を訴えても、無理やりねじ伏せられた。『ER』には『悪夢』の続編がある。混沌(こんとん)の世界である。続編の前に、次回は紛争についてである。

つれづれに

つれづれに:銃創

 日本は銃社会ではないので、銃による傷、銃創をみかけることは少ない。しかし、アフリカでも紛争地帯と言われるところでは武器として銃などが使われるので、当然銃創の手術も必要となる。キサンガニの診療所でも、反政府軍の兵士(↓)が担ぎ込まれて、大手術となった。銃社会アメリカに住むカーターは近くに下町のあるシカゴの救急の専門医なので、もちろん銃創手術の経験もある。しかし、医療器具もまともに揃っていない病院での手術は初めてだった。キサンガニの診療所は紛争地域に近いので、反政府軍がしょっちゅう送電線を切断する。緊急手術のために発電機をまわすが、燃料が長くは持ちそうにない。いつ電気が切れるかも知れない中での手術だった。

 インド人のNGO現地医師が手術の指示を出していた。ここでの経験が豊富だったんだろう。カーターが手術した患者は、左胸に銃弾を受け弾は肺と腹部を貫通して大腿骨(だいたいこつ)を砕いて止まっていた。女性医師は「資源の無駄使いだわ」と言いながら開腹して銃弾を取り出した(↓)あと、銃の型と特徴を解説している。

 「完全装甲のライフル弾よ。狙撃用ね。ドラグノフ銃は800メートルから殺害可能、内臓も破壊」

「死んでも当然か?」と食い下がるカーターに「時間をかけてもいずれは死ぬ。自家発電は4時間で、重症患者が3人もいるの。そっちが終わったら戻ってくる」と言い残してその場を離れていった。

 ワクチン接種に出かけたマテンダの診療所では生き残った政府軍の兵士を治療した。手術は成功して安静が必要だったが、反政府軍に見つかれば殺されるのを知っていた兵士は、軍に戻ると必死に訴える。しかし、結局はその兵士は反政府軍に発見されて、至近距離から銃で撃ち殺されてしまった。カーターも額に銃を突き付けられた(↓)が、最後まで諦めずに兄の手術をしてくれた医師だと弟がリーダーに耳打ちしたので、辛うじて命だけは取り留めた。コバチュは医師は中立だと訴えたが、紛争地域では中立さえも成立しないのである。コバチュと補助員の2人は、手術した患者を放ってはおけないからと、しばらく反政府軍に壊されたクリニックに残って患者の治療に当たることにした。カーターと看護師はキサンガニの診療所に戻ることになったが、カーターにとってもまさに→「『悪夢』」の連続だった。

つれづれに

つれづれに:診療所

 アメリカNBCのテレビドラマシリーズ『ER緊急救命室』(↓)の→「『悪夢』」は、もちろん架空のものだが、いろいろと想像を膨らませてくれる。『ER』は海外での臨床実習に行く医学生にだけでなく、一般の学生にもアフリカの現状を知る生きた素材である。想像力を広げてくれる。すでに読んだ「1995年のエボラウイルスの発生によって、再び世界中がザイールに目を向けるようになった」という→「ロイター発」の新聞記事にも、モブツの独裁でザイール社会全体が想像できないほど悲惨な事態に陥っていることを報じていた。医療施設についても、一部言及されている。

 「『医療関係施設は悲惨な状況です。私たちは長い間、大災害が起きてもおかしくない方向に向かって進んできました。』とザイールの野党指導者エティニュエ・ツィセケディのスポークスマン、ランバエルト・メンデは言いました。ウィルスはザイールの老朽化した医療機関に広がっており、医療機関はたいていの国よりも激しくザイールを襲っているエイズ禍の対応に追われています」

私がいつも世話になっている小さなクリニックや、最近出かけた大学病院などの日本の医療が当たり前になっている人間からみたら、別世界である。この流行がある前に家族でしばらくコンゴの南東部からそう遠くないジンバブエの首都ハラレで暮らしたとき、医療についての噂は聞いていたので、病院にかからなくても済むように毎日細心の注意を払った。おかげで行かなくて済んだが、体験する機会を失ったので残念な気持ちもある。行く前に、バングラデシュの留学生とよく英語でしゃべったが、その人がジンバブエにいる従弟の医師に問い合わせてくれた。本国では内科医で、国費留学生として高血圧の研究に来ていた。残念ながら、すでに南アフリカに異動したらしかった。マンデラが釈放された直後の激動期だった。その時期の病院を見るいい機会を逃したのも心残りである。懇意になったジンバブエ大学の英語科の人が「田舎でエイズのドキュメンタリーを作ったけど、ヨシ、見てみるか?」と誘ってくれたのに、機会を逃したのも心残りである。

 キンシャサから→「エイズハイウエィ」で北東部のキサンガニ(↑)に到着したとき、カーターは圧倒された。暗い中に病院の外にも患者が溢れかえっていたのからある。翌朝病院に案内してくれたインド人の女医が簡単に医療事情を解説してくれた。二人(↓)の遣り取りである

「仏語が苦手なら通訳をつけます‥‥ここはとてもシンプル、発熱と咳(せき)は肺炎でコトリモウサゾールを。発熱と下痢(げり)はコレラで点滴とドキシサイクリン。患者が無痛で熱があればマラリアでファンシダール。感染症を繰り返して日々衰えていればエイズで、家族に告知する」

「使える薬は?」

「アモキシシリン、ドキシサイクリン、ファンシダール、メトロナイダゾール、クロラムフェニコール‥‥」

「安いから?再生不良性貧血は?」

「新生児はほとんど1年で死ぬ。貧血などは問題外。抗生物質はアンピとゲンダ、ペニシリン」

「ユナシンやシプロは?」

「ない」

「抵抗性の菌には?」

「お祈り」

患者は200人、オペ室は2つ、医師がカーターも入れて4人、看護師が5人。扉を開けて、カーターはまた圧倒された。人でごった返していたからである。「ここは何病棟?」の質問の返事が「受け付けよ」(↓)だった。

 最初に診た患者は少女(↓)だった。看護師に「熱は40度で頭痛、下痢と咳はない」と言われて触診した。

「黄疸(おうだん)も出ている。ファンジダール?」

「そうね。2錠」

「これで治るよ。あの娘は入院が必要?」

「ただのマラリアじゃねえ」

 父親が抱きかかえてきた少年(↓)はポリオだった。排尿障害と熱と咳があって来院した。腰椎穿刺(ようついせんし)などの検査をせずに、看護師が膀胱(ぼうこう)不全麻痺、前傾姿勢で呼吸補助筋を使う呼吸、筋肉で頭部をささえられない状態を確認して小児麻痺(ポリオ)という診断を出した。カーターを睨(にらむ)父親の目が鋭い。

 ある日、道路封鎖が解かれたので、更に小さなマテンダの診療所にワクチンの接種にいくように誘われた。国際電話でボランティアを誘った同僚がすでに出向いていたので、看護師1人を同伴して行くことに決めた。政府軍と反政府軍が戦闘を繰り広げている危険地帯だった。

マテンダの診療所に着いたとき、すでに患者が列をなしていた

つれづれに

つれづれに:エイズハイウエィ

 広大なアフリカ大陸の赤道に近いところを走る高速道路の話である。西端の首都キンシャサとケニア東海岸の港町モンバサを繋(つな)ぐ道路である。

英語の授業で一般教養と医学を繋ぎたいと考え→「エボラ出血熱」から始めたら、思わぬ視界が開けた。映像や歴史を探していると、国全体が想像以上に大変な状況にあると知った。モブツの長年に渡る独裁で、ザイール社会には賄賂(わいろ)が横行し、経済は破綻(はたん)して、エイズにエボラが追い打ちをかけて医療施設は散々だった。手袋やマスクなどの必需品さえも絶対的に不足していた。

1995年のCNNニュース

 1995年の1回目のエボラの流行に、同年のアメリカ映画→「『アウトブレイク』」(↓、→「音声『アウトブレイク』」)とリチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』(Hot Zone)が大きく影響していると知って、どちらも手に入れた。ページを開いてみると、『ホット・ゾーン』にコンゴの地図が挿入(そうにゅう)されていた。その地図で、初めてエイズハイウエィの言葉を知った。アフリカにエイズ患者が出始めたのが1985年くらいだから、10年ほどで地図に書かれるほど言葉が定着していたと言うことだろう。長距離トラックの運転手が先々で買春をしてHIV感染の拡大の要因になっているというわけだが、ベラルーシでの話を読んだ時、ベラルーシ?と思ったことがある。政情の不安定なところの方が感染率が高かったのは無理からぬ話だろう。

 医学部の図書館に文献依頼を出したら、すぐに本が届いた。見ると、宮崎県立図書館の蔵書印が押してあった。英文なので、へえー、誰が購入依頼したんやろ?とふと思ったのを覚えている。その時は、最初の20ページほどと2ページにわたる地図のページをコピーさせてもらった。地図はB4サイズで印刷して、毎年授業で配った。20ページの方は、希望者がいればコピーを渡した。そこには1976年にCDC(米国疾病予防センター、↓)の医師2人がヤンブクの教会に派遣されたときの詳細が記されていたので、医学生にも役に立ちそうな気がしたからである。レベル4のウィルスの初動操作を間違えればどれだけ感染が広がるかが書かれていたし、→「ロイター発」の英文で読んだ賄賂の実態を知るいい機会になると思ったからでもある。医師2人は飛行機や自動車の手配をする時に、賄賂を要求されて大変だったと書いていた。プリントにした原稿は綴(と)じて大事に保管していたが、再任終了時に整理して捨ててしまって、今は手元にない。県立図書館に行けば、コピーはできるが、今日の間には合わない。それでウェブで地図を調べて見たが、描いていたイメージと食い違いがあった。

 実際の道路はこれも想像以上によくない。ERの映像では、空港から北東部のキサンガニに行く途中の道(↓)が映っていた。ハイウェイの言葉とは程遠い。政府軍の車のようだ。東部で出る希少金属をめぐって、政府軍と反政府軍の衝突が絶えない。隣国のタンザニアなどの軍隊も駐留して、一触即発の危険地帯になっている。

 ERの主人公カーターは後部席の義足を見て驚いていたが、窓から見える光景も強烈だった。政府軍と反政府軍の衝突から逃れ、文字通り家財道具を担いで避難中の人がたくさん歩いていた。後に、キサンガニの診療所から派遣された小さな診療所でその衝突を目の当たりにすることになるとは、この時のカーターは夢にも思わなかっただろう。

 出所がどこかはわからないが、ウェブで探してみたが『ホット・ゾーン』の地図は見つからなかった。一番よく出て来た道路地図(↓)である。わかりやすいように、画像はいつもより大きめにして載せている。

 侵略者は収奪したものを運ぶのに大きな道路を作る、北海道の道路は広くてまっすぐでしょう、とよく出版社の人が言っていた。ツングースに追われて北に逃れたアイヌの人たちと南に逃れた沖縄の人たちの彫りの深い顔、あれは縄文人の顔です、とも言っていたのをなぜか思い出した。地図にある緑の線⑧がケニアのモンバサとナイジェリアのラゴスを結ぶ道路である。この線が基幹道路で、ウガンダの首都カンパラ、今回カーターが行った診療所のあるキサンガニ、中央アフリカの首都バンギを経てラゴスに至る。『ホット・ゾーン』のエイズハイウェイの起点キンシャサは、この地図では南アフリカのケープタウンーリビアの首都トリポリ線③の途中にある。カーターが通ったキンシャサーキサンガニ線の道路は、アフリカ全体から見れば基幹道路ではないようだ。今回は地図からコンゴを見てみたが、次回はキサンガニの診療所とそこから出かけた小さな診療所(↓)である。

列をなして患者が待つ小さな診療所に到着