つれづれに:残忍
「アフリカシリーズ」から
ベルリン会議で個人の植民地として承認された「コンゴ自由国」でレオポルド2世(↑)は暴虐の限りを尽くした。
ゴムが最大の原因である。密林に天然ゴムがあったこと、自動車のタイヤにゴムが使われたなどの要因がそれに拍車をかけて、悲劇が生まれた。1884~85年のベルリン会議で承認されたあと、王は1888年にベルギー人とアフリカ人傭(よう)兵で軍隊を組織した。多くの予算を拠出(きょしゅつ)したので、中央アフリカでは最強の軍隊となった。しかし当初は植民地経営はあまりうまく行っていない。最初象牙(ぞうげ)を輸出用商品として独占したが、乱獲したために象牙を増産が出来なくなって、象牙に代わるものが必要となった。そこで、ジャングルに自生しているゴムの木に目をつけたのである。軍隊を利用して、力でアフリカ人に採集させ、人頭税として無償で取り立てるシステムを作り上げた。
「アフリカシリーズ」から
ゴムはアメリカ大陸の原産で、樹皮に傷をつけてバケツなどで受けて集める。ゴムは樹皮から分泌した樹液(ラテックス)が凝固してできる。天然ゴム(生ゴム)はラテックスに硫黄(いおう)を加えて性質を一定にし、さらにカーボン粉などを混ぜて耐久性を強めて用途が広り、実用化された。実用化で自動車のタイヤの需要が高まったわけである。
アフリカのゴムの木は南米原産と違い蔓(つる)性なのでジャングルの高い木に巻きつき、原液の採取は難しかった。おまけに畑に植えることも出来ず、アフリカ人の労働は過酷を極めた。悪名高い隣国のフランス領コンゴに逃げる人もいた。ジャングルに入るのを嫌がる人には、家族を人質にして無理やり働かせた。決められた量のゴム原液を納められなかったアフリカ人は厳しく処罰され、反抗すれば手首を切断された。
暴利を横目にイギリスが指をくわえているわけがない。ブラジルから木の種を盗み本国で栽培して、植民地のマレーシアで生産を始めてた。しかし、ゴムが採れるようになるまでに10年以上はかかる。レオポルド2世には急いでゴムを集める必要性があったわけである。
デヴィドスンは「アフリカシリーズ」の中で写真も交えながら当時の様子を解説して、総括している。
かつてベルギーのレオポルド2世が美味しいケーキにたとえたアフリカはこうして貪(むさぼ)り食われていきます。悲惨な時代です。しかし、この時代を抜きにしては現代のアフリカ問題は理解できません。今日のコンゴやザイールの紛争は元をただせば悪名高いレオポルド2世の王国「コンゴ自由国」に端を発しています。ここではゴムの採集に力を注ぎました。しかし、その方法たるや残忍そのものでした。住民に強制的にゴムを集めさせ、指定した量に満たないと手足を切断する。恐ろしいことが行われていたものです。レオポルド2世が個人的に支配した20年もの間に、およそ500万もの人が殺されたとも言います。残虐行為の事実が明るみに出ると、ヨーロッパでも轟轟(ごうごう)たる非難が起きました。しかし、負わされた傷は余りにも大きいものでした。それがコンゴの未来に暗い、血なまぐさい翳(かげ)を落とすことになったのです。
深い傷跡が次回である。