つれづれに

 

2024年3月「つれづれに」一覧

 

「ZoomAA5第5回目報告」(2024年3月31日)

「つれづれに:共著」(2024年3月28日)

「つれづれに:春の嵐」(2024年3月27日)

「つれづれに:出版」(2024年3月25日)

「つれづれに:小説」(2024年3月23日)

「つれづれに:鎌倉」(2024年3月19日)

「つれづれに:江之電と『天国と地獄』」(2024年3月18日)

「つれづれに:海岸道路」(2024年3月16日)

「つれづれに:湘南」(2024年3月15日)

「つれづれに:春模様」(2024年3月3日)

「つれづれに:落とし物」(2024年3月2日)

つれづれに

つれづれに:国連軍

 身の危険を感じたルムンバは国連に支援を要請したが、国連はルムンバを助けなかった。要請通り国連軍を派遣はしたが、傍観するだけでなく、政府軍を押さえにかかっている。

いち早く危機を察知できたのは、閣僚の一人トーマス・カンザが国連大使として国連にいて、不穏な動きを予感してルムンバに知らせていたからである。しかし、予め察知して防げるくらいなら、事態は起こっていない。国連大使だったカンザがデヴィドスンの取材を受けて「アフリカシリーズ」にも登場している。当時の状況を次のように語る。

私は27歳でキンシャサのルムンバ内閣の国連大使になりました。閣僚36人中、大卒は私を入れて3人でした。大国がコンゴで利権を確立するためには、ルムンバのような人物は脅威でした。私は国連でコンゴ危機を予感しました。国連軍の介入が遅れると‥‥しかも国連は欧米から資金を得ています。コンゴはたちまち国際的な植民地と化したのです。

 当時の状況をデヴィドスンは「アフリカシリーズ」で以下のようにまとめてくれている。

ルムンバの要請で国連軍がやってきた。ところが国連軍はルムンバ政権を守るどころかカタンガ州を守り、政府軍を押さえ込みにかかったのです。これは国連軍の汚点、ルムンバには死の宣告でした。彼はアメリカの援助のもとにクーデターを起こした政府軍のモブツ大佐に捕らえられました。そして、利権目当てに外国が支援するカタンガ州に送られ、そこで惨殺されてしまったのです。

ガーナの外交官だったヤー・テルクソンが「アフリカシリーズ」のインタビューを受けて、次のようにコンゴ動乱の結果を総括している。

コンゴ動乱は我々には悲劇でした。エンクルマやパン・アフリカにストの願いは破れました。アフリカの統一はならず、アフリカ諸国の間でコンゴ1国もまとめられなかった。

 のちに、カンザは『パトリシュ・ルムンバの盛衰ーコンゴの紛争』を出版している。私も購入して読むことになったが、若くして閣僚の一員として国連大使となり、国連で外交にもまれた眼をとおして赤裸々に当時の成り行きを綴(つづ)っている。若くして身をもって大国の横暴を思い知らされたわけである。

 国連は第二次大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえて、1945年10月に51か国でスタートし、日本は1956年に加盟、現在は193か国が加盟している。英語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語、アラビア語が公用語である。元々主に欧米の資金で運営されているので、大国の都合のいいように運用される。憲章の第1条で「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること‥‥」と規定されているが、条文だけに終わることも多い。コンゴの場合、国連軍を派遣してルムンバの惨殺を見届けるのが「国際の平和及び安全を維持する」ことだったわけである。非難決議や経済制裁を決めても、守らないだけである。罰則規定があるはずもない。アパルトヘイト政権に経済制裁を決めて迫っても、政権もとお得意先のどの国も貿易を止めてはいない。与党自民党に取っても、高度経済成長を止める政策を進めるわけには行かなかった。南アフリカからアフリカ人の安い賃金で掘り出された金やダイヤモンドを輸入し、車や家電を大量に売りつけ続けた。与党で経済界と白人政府の橋渡し役だった石原慎太郎は議員のあと都知事を3回もやっている。都民が選んだわけだが、建設や農産物やの利権の橋渡しもしているので、自民党にたくさんの人が票を入れる。連立を組んだ宗教団体を基盤にする党に建設の利権を渡しても、票での見返りを優先するわけだ。世の中の人がコロナで大変な時にオリンピックなんてといくら反対しても、全通などの大手と組んで利権にしがみついた。仕切った長老は、裏金疑惑の張本人でも罰せられることはない。遠いコンゴの出来ごとの構図は、日本でも同じだったわけである。また、溜息が出る。

『レオポルド王の亡霊』には、ルムンバ殺害はアメリカ大統領がCIAに暗殺命令を出していた、とあった。いわば、誰かが内部告発したということだろう。1998年にアメリカで出版されている。アダム・ホックシールドの著書で、モブツの独裁、コンゴ動乱と独立を、植民地自裁のレオポルド王まで詳しく遡(さかのぼ)ってくれている。この書も、後世畏るべしを感じた1冊である。次はレオポルド王の個人の植民地コンゴ自由国である。

つれづれに

2024年4月「つれづれに」一覧

 

「つれづれに:コンゴの独立」(2024年4月30日)

「つれづれに:映像1976年」(2024年4月29日)

「つれづれに:1976年」(2024年4月28日)

「つれづれに:音声『アウトブレイク』」(2024年4月27日)

「つれづれに:『アウトブレイク』」(2024年4月26日)

「つれづれに:ロイター発」(2024年4月25日)

「つれづれに:ロイター」(2024年4月24日)

「つれづれに:CNNニュース」(2024年4月23日)

「つれづれに:エボラ出血熱」(2024年4月22日)

「ZoomAA6第6回目報告」(2024年4月21日)

「つれづれに:四月も下旬に」(2024年4月20日)

「つれづれに:読む」(2024年4月18日)

「つれづれに:ニュアンス」(2024年4月17日)

「つれづれに:想像力」(2024年4月16日)

「つれづれに:旅番組」(2024年4月15日)

「つれづれに:薊」(2024年4月14日)

「つれづれに:ニュースを聞く」(2024年4月13日)

「つれづれに:面接」(2024年4月日)

「つれづれに:独り言」(2024年4月11日)

「つれづれに:花が咲き」(2024年4月10日)

「つれづれに:研究費」(2024年4月8日)

「つれづれに:衛星放送」(2024年4月7日)

「つれづれに:テキスト編纂2」(2024年4月6日)

「つれづれに:イリスが咲き出した」(2024年4月5日)

「つれづれに:テキスト編纂1」(2024年4月4日)

「つれづれに:きんぽうげ」(2024年4月3日)

「つれづれに:桜まつり」(2024年4月2日)

「つれづれに:4月になった」(2024年4月1日)

つれづれに

つれづれに:コンゴ動乱

ペンタゴンの環太平洋構想が書かれた岩波新書

 なぜアメリカがコンゴの独立時にしゃしゃり出て来たのか?理由ははっきりしている。コンゴが利益を生み出してくれる宝庫だったからである。独立に便乗して、南アメリカ、環太平洋構想の国々(フィリピン→オキナワ→ソウル→ハノイ→モガジシオ→アフガニスタン→イラン→イラク)と併行して、アフリカにも本格的に参入してきたわけである。植民地支配だと宗主国は既得権益を手放さないので、一人勝ちした第2次大戦のどさくさに多国籍企業による資本投資と貿易に体制を再構築し直して、誰憚(はばか)ることなく大手を振ってアフリカに進出したわけである。

 独立の妨害は宗主国に任せて、アメリカはルムンバ内閣の閣僚の一人モブツに目をつけ、クーデターを指揮させた。直接にはアフリカ人の手でルムンバを惨殺させて排除するとともに、もう一人のアフリカ人カサブブに目をつけ、中央政権の力を殺(そ)ぐために豊かな埋蔵量を誇るカタンガ州(現シャバ州)の分離工作を企てた。銅の権益を手に入れられてしまうとルムンバ政権の経済力が飛躍的に上がるからだ。手に入れる前に叩いたわけである。「アフリカシリーズ」ではその一連の出来事が、コンゴ動乱として紹介されている。

民衆から選ばれた首相ルムンバ(↓)をアフリカ人の手で殺害させ、カタンガ州の銅を確保したのだから、だれが新政権に就いても機能するはずがない。モブツを東側の侵入を防ぐ盾として、アメリカはモブツの独裁を支援した。モブツの故郷の村への道は整備された。有名な話である。どうも同じような話をどこかで聞いた気がする。

小島けい画

 宮崎に来た当初、家の近くの道路が市長道路(↓)と呼ばれていたので、その訳を聞いたことがある。市長が建設を優先して通したので、市長道路と言われていますということだった。その前の市長のときも、港近くの道路が市長道路と呼ばれていたらしい。漫画の世界や、と思ったが、道路で恩恵を受けた人たちは市長に投票する。それが民主主義らしい。自民党が税金も払わずに不正を働き裏金で金を貯め込んでも、何のそのと嘯(うそぶ)いているのも、その構図が根付いていて政権が揺るぎないと思い込んでいるからである。

大島通線:この写真近くに住んでいた

 南アメリカで好き勝手をして、環太平洋構想を着実に実行し、アフリカにまで進出したアメリカは、かつての大英帝国の足跡を辿(たど)っている。かつて手を出した、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、ケニア、南アフリカ、ガーナなどはコモンウェルス・オブ・ネイションズと呼ばれ、今もその共和圏の経済的な繋(つな)がりは強い。南アフリカケープ州の首相になったセシル・ローズ(↓)は南アフリカ、ローデシア、ケニア、エジプトを結ぶ縦の大英帝国を夢見ていたと言われる。考えればアメリカはイギリス人入植者がイギリスから独立した弟分である。その人たちはどうも、世界征服が大好きらしい。

 アメリカの次の標的は、南アフリカである。コンゴにも劣らず、鉱物資源が豊かだったからである。ただ、すでにそこにはオランダの入植者がアフリカ人を蹴(け)散らして定住していた。オランダ人はアメリカ人に劣らず独善的でガタイもよく、押しが強い。当座は競争相手のフランスにアジアへの要所を取られないように大軍を送って取り敢えず南アフリカは押さえたが、本格的に進出したのはダイヤモンド(↓)と金が出てからである。オランダ入植者の領地で発見されたので、当然戦争になった。しかし、どちらも銃を持っていたので、殲滅(せんめつ)するには犠牲が多すぎるのは明らかだったから、結局戦いをやめて手を結び、国まで作ってしまった。奴隷貿易で稼いだ人たちだから、何でもありで、そんなことは朝飯前である。アングロ・サクソン系の系譜は健在である。

独立とコンゴ危機のあとは、植民地争奪戦でコンゴがベルギー王レオポルド2世(↓)の個人の植民地になったという嘘のような本当の歴史の摩訶不思議である。いや、その前に国連軍について触れておこう。いい映像もある。