つれづれに:受験英語(2022年6月5日)
HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:受験英語
移転先の新校舎
思わずなったので(→「街でばったり」、5月13日)教員としての毎日を考えたこともなかったが、やってみると毎日がばたばただった。課外活動(→「顧問」、5月30日)も「ホームルーム」(5月24日)も時間はかかったが、やはり一番時間が多かったのは授業である。50分15コマ、行事などの日以外は毎日ある6コマの授業時間の半分は、授業に行っていたわけだ。
関学に10人を入れるために英語でクラス分けをしてがんがんやる、というのが「学年の方針」(5月23日)だったので、結果的には初めて受験英語をするはめになった。自分がするわけではなので、正確には、受験勉強で効果があるのは何かを考えて工夫するはめになった、か。授業では学年で採用した教科書を使うので、担当者の工夫の余地はそう多くなかった。内容はそう難しくないし、量も少ないので、「家庭教師」(4月10日)の時と同じでさっとやって繰り返すのは効果があるとは思ったが、それだけでは「関学に10人」が実現するとは思えなかった。合格できる点数を取るには、何か骨子になるようなものが要る、そんな気がした。
単語だけを覚える人もいたが、言葉が単独で使われる場合は少ないので、前後も含めて考える必要がある。surpriseはサプライズ!サプライズ!など普段でも使われているが、動詞で使う場合も多い。元々「驚かせる」という他動詞だが、"I was surprised at the news."のように過去分詞が形容詞として使われることが多い。"The news surprised me."よりも"I was surprised at the news."として使われている。こういう形式は多く、"be surprised at"を塊として考えれば、be pleased with, be satisfied with, “be interested in" など、かなり他にも応用できる。単語一つではなく一つの塊、この場合は句として考えれば応用範囲も広がる。日本語で「約束する」は”make a promise"、「決心する」は”make a decision"など、ある名詞に使われる動詞はある程度限られている。日本語の「~する」につられて”do a promise"や”do a decision"とは言わない。動詞と名詞を一つの塊、この場合は熟語として考えればやはり応用の幅も広がる。”It is important to listen to many opinions.”のように形式主語を置く英語と日本語の構造的な違いを理解したうえで、慣用的に覚えるのも必要なようだ。Itは形式主語で、to以下の不定詞句が実質的な主語、不定詞は元々は「不限定動詞」で動詞が派生したもので、分詞、動名詞と併せて準動詞と呼ばれる、というような文法的な意味合いを考えれば理解しやすい。そういった句や文の構造を系統的にたくさん集めたものはないかと考えた。理解したうえでしっかりと骨子になる部分を覚えれば、効果がありそう、そんなことを考えて、参考書を探してみた。色んな出版社から色々出ていたようだが、取り敢えず美誠社の『英語構文150題』(だったように思う)を使ってみることにした。授業に行っていないクラスの生徒にも買ってもらい、学年全体で使うようにした。
手元にないので探してみたら「新」版が見つかった、著者も同じである
ここからはお節介である。毎回の授業に短い時間で使う構文と例題のプリントを拵え、学年全体で毎時間使うようにあいた。全部でたぶん1000近くの例文があったと思うが、定期試験にも何割か組み込み、全例文の一覧も作って、繰り返し、繰り返し使った。毎時間、覚えて来て発表もしてもらった。3年間繰り返しやったので、ある程度の効果があったのではないかと思う。少なくとも、英語に割く時間が増えたのは確かだろう。最初から意図していたわけではないが、「言葉は習うより慣れろ」を実践していたかも知れない。今のようにパソコンが使えるわけでもないので、ガリ版刷りの原稿を鉄筆で書くのもそれなりに大変だった。毎回短いコメントを入れ、妻に挿絵を描いてもらった。印刷は事務員の人に頼んだが、わりとヒステリックな人で、調子のいい時はよかったが、機嫌の悪いときは非常に気を遣った。頼むのが億劫な時は、その人が帰宅したあとで自分で刷った時もある。
ただ、言葉は本来使うためにするものだから、受験勉強は別物である。言葉は間違って覚えるものだが、受験英語は「間違わない」が基本だから、根本的に違う。従って、受験英語が出来ても、実際の場面では役に立たない場合が多い。使えるようになるためには、やぱり使うしかない。いい点を取るために、自分に言い聞かせて覚えたり、無理やりさせられていると感じたり、心理的な悪影響も大きい。学年全体で関学に10人は少し足りなかったと思うが、関大などにも何人か行ったし、浪人も含めると目標は一応達成したかも知れない。修学旅行で梓川を渡った生徒も、社会をせずに受験して関学の社会学部に行った。英語が飛び抜けてよかったということだろう。数学は欠点続きで教師に虐められていたが。ただ、卒業後もうまく行ったかどうか。授業をするのは楽しかったが、「がんがん」やる授業で嫌な思いをしなかったかどうか。そんな思いは残っている。関学に合格したあと、母親といっしょに遠くから家まで来てくれた人もいる。母親は入学した時には考えてもいなかったらしく、よほど嬉しかったのだろう。関学ではないがそこそこの女子大に行き、JALの客室乗務員になって行く先々から何年か絵はがきを届けてくれた人もいる。どちらも2年間担任をした。
顧問として自分の出た高校に行くことがあった。挨拶に体育館の顧問部屋に行ったら、少し嫌味を言われた。普段通り下駄を履いていたからか、髭が気に入らなかったのか。顧問は体育会系の人が多いので近寄らないようにしていたが、練習試合をしてもらう手前ずっと断るわけにもいかず、一度飲みについて行ったことがある。行き帰りの車の中で、普段の様子を色々聞かれた。ホームルームや受験英語で毎日アップアップですよ、と今回書いたような話をした。私がその人とは違う範疇にいると諦めてくれたのか、そのあと、少し風向きが変わった。体育会系はわかりやすい、というか。医者に警察に軍隊に体育会系にやくざ、どうもものごとを縦に並べないと気が済まないらしい。その人も、私を自分の下に並べたくて茶を淹れさせようとしたり、下駄や髭に文句を言ったり。従わせるより兄弟分にする方が楽だとわかって横に並べたら、下駄や髭も気にならなくなったのか。まことに魔訶不可思議な世界である。
高校のホームページから
次は、英語版方丈記、か。