つれづれに:宮崎に(2022年8月10日)
HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:宮崎に
最初に「大阪工大非常勤」(7月11日)を決めてくれた先輩もそうだが、人事で声をかけてくれる人にはほんとうに頭が下がる。(→「女子短大」、→「二つ目の大学」、→「工大教授会」)感謝してもし切れない気持ちになる。今回も大学院で「ゼミ」(7月7日)の担当を頼みに行ったあと、何回か研究室に遊びに行っただけだ。その私を元いた大学の人に推薦してくれたわけである。それも私のゼミの担当者の教授、つまり元上司から、玉田くんより相応しい人を推薦するから人事を寄越すように脅されても、断ってくれた(→「広島から」、8月8日)のだから有難い話である。その人の推薦に応じ、教授会で尽力してくれた人は顔すらも知らないわけである。そんなことを考えると、直接会って是非ひとことお礼が言いたくなった。妻にそのことを言ったら「それ、ええね。宮崎にいこ。最近二人でどっこも行ってないし、飛行機に乗ろ。わたし着物着ていこか?」とずいぶんと乗り気だった。二月の終わりに結婚しようと言ったあと、4月の初めには結婚して一緒に住み始め、次の年の四月には子供が生まれていたから、二人の時間が極めて少なかった。家族ではよく出かけるし、「ハワイ」(↓、8月1日)とサンフランシスコ(→「サンフランシスコ2」、8月2日)にも行ったが、考えればなかなか二人で行くのは難しい。いい機会だし、宮崎に行って来るか。
今から思えば、折角宮崎に行ったんだし、少し回って海でも見て帰ればよかったが、いつものように行き当たりばったり、電話をもらった人から教授会に推薦してくれた人の名前と住所と電話番号を聞いて、直接その人の家を訪ねた。私は列車と(婦人会館↓、→「臼杵」、4月25日)自転車で(→「阿蘇に自転車で」、5月11日)2度宮崎に来たことがあるが、妻は初めてのようだった。どちらも宮崎空港に来たことはなかった。今は空港からそう遠くない場所に住んでいるので、空港へは自転車で行くことが多い。騒音も激しいので、普通は空港は街から離れた場所にあるが、宮崎は街まで近い場所にある。日本で街中には一番近いと聞いたことがある。
空港からはタクシーに乗った。家は空港からそう遠くなく、20分ほどで着いた。ご夫婦が出迎えてくれた。どちらもあまりしゃべらない人みたいである。息子さんが二人いるらしいが、京都と静岡にいるので二人暮らしらしい。特に話すことはなかったが、とにかくひとことお礼が言いたかった。「過半数を取れなくてすみませんでした」と頭を下げられたが、こちらは恐縮するばかりである。娘さんがいないからか、妻の話を嬉しそうに聞いてもらえたのは嬉しい限りだった。
お礼も言えたし、2度と会うこともないと思うが、とにかくこれで気持ちもすっきりした、そんな気分だった。折角来たのだからどこかに行けばよかったのに、「子供も待ってることやし帰る?」ということになって、結局どこへも寄らずに伊丹行きの飛行機に乗った。
次は、再び広島から、か。
三日前の8月7日から旧暦の立秋が始まっている。秋立ちぬである。23日の処暑まで続く。暑い日が続くが、盆明けには朝晩の気温も下がって、秋の気配が感じられる。今はまだ昼間の熱気の中に出て畑をする勇気はないが、そのうち少しずつでも秋の準備をしたいものである。春先に始めた瓢箪南瓜の柵は完成せず、立てた竹に蔓が絡み、花が咲き、実もつけた。毎日大きくなっている。来年こそは柵を完成したいと思うが、熱気の頃になるとずるずるである。今はまだハイビスカスがあちらでもこちらでも赤い大きな花を咲かせている。いかにも南国の花である。この日から、季節の挨拶も暑中見舞いから残暑見舞いに替わるそうである。「残暑見舞い申し上げます」