白木蓮(2022年3月12日)
白木蓮(びゃくもくれん)
白木蓮が咲き始めた。そう書き始めてから何日かが過ぎてしまったので、咲き乱れている花も多く、中には花弁(はなびら)が散り始めている樹もある。花の命は短くて、である。上の花はある家の庭先に咲いている樹で、見事である。写真を撮る際、玄関先で座って携帯をしている人に、写真を撮らせて下さいと断ったら、家の者じゃありませんよ、と言われた。そのすぐあと、家の人が軽トラックで現われた。これから二人で仕事に出かけるらしかった。
無意識の「常識」をながいこと書いているが、自分自身や過去と向き合うことになるのでまとまらないことも多いし、時間もかかる。結果的に、あまり深く考えずに書けるものを挟むようになっている。木花神社の俯瞰図は久しぶりの発見だった。木花神社が日向国飫肥藩に属していたらしいので、関連して生まれた播州や、一時期読んだ吉川英治の『宮本武蔵』の主人公が生まれた作州などについて書きたいとも思い、ウェブで調べていると、実際の人物の出生地が作州でないという説もあるようである。
春は花の多い季節なので、花についていろいろ書いてみたい気持ちもある。→「藪椿」(3月2日)や→「世界で一つのカレンダー」(3月4日)でも書いたが、妻の描く花を探すのが僕の役目だったからもある。それまでなかなか描く時間が取れずに申し訳ないことをしたという気持ちもあったし、毎日生き生きとして絵を描いている妻を見て、探して来ようと思ったのも事実である。庭木や野草など、春はその数もほんとうに多い。白木蓮もその一つである。
朝霧の庭には紫木蓮しかなかったし、周りでも白木蓮は滅多に見かけなかったが、宮崎に来てからはこの時期よく見かけるようになった。くっきりと鮮やかなのである。自転車に乗って角を曲がったら急に白木蓮が浮き上がって来た、そんな感覚を何度か味わった。一面が浮き上がったように見えるときがある。何日か前も、ある日、散歩の途中に振り返ったら、急に白木蓮が浮き上がって来るような感覚になった。夕方、まだ明るい時間だった。
次の日、夕方少し遅くなったが、確かめてみたくて前日に通ったコースを辿りなおした。しかし、薄暗くなって場所を確認出来なかった。その次の日にまた、明るいうちに出かけた。撮った写真(↑)ではそうは見えないが、振り返った時に上の写真の角度で、白木蓮がくっきりと浮かんで見えていたのだ。
くっきりと浮かんで見えていた場所にはなかなか行きつけなかった。何軒かが通路なしの状態で密集しており、樹はある家の庭の片隅、密集して内部に通路のない四、五軒の家の真ん中辺りにあった。幸い引っ越しをしたあとの空き家の樹のようで、ごめんなさいと言いながら、庭に入らせてもらった。雑草が生い茂り、棘のある蔓などがからんで、ブロック塀に登るのが一番近づけそうで、登ってはみたが結構大変だった。2年前の夏に、大きな台風が来る前、カーポートの屋根の補強をしている時に、梯子から落ちて足首をひどく捻挫した。そのとき弟がメールに、高い所に登ったらあかんで、歳も考えな、と書いていたのを思い出した。ひと月ほど松葉づえで難儀しただけでなく、落ちた時は失神するくらいの痛みがあって暫く動けなかった。何日もなかなか痛みと腫れもひかなかった。その痛みが蘇ってくるような感じもしたが、慎重に登って撮ったのが上の写真である。
空き家の玄関から如何に見え難いかを書くよりは写真の方が早いと考えて、写真手前の学生アパートの3階の廊下から写真を撮らせてもらった。この角度からは手前の樹で見えないが、上の写真の角度からだと、夕方に白木蓮がくっきりと浮かんで見えた、というのを書きたくて、大層な思いをした。
白木蓮は絵になり、カレンダーにもなっている。
→「私の散歩道2009」4月