つれづれに

アフリカ史再考④:大陸に生きる(1)牧畜生活:ケニアのポコト人

アフリカ史再考の4回目で、アフリカ大陸で人々がどのように暮らしていたか、である。

バズル・デヴィッドスンが「アフリカシリーズ」(NHK、1983年)の2回目「大陸に生きる」のなかで紹介しているケニア北部に住むポコト人の牧畜生活を取り上げてヨーロッパ人が到来する前に、長い間アフリカ大陸で人々がどのように暮らしていたかについて書いていきたい。

アフリカの生活のあり方として牧畜や農耕はかなり新しいもので、それ以前に野生の動物を狩り、木の実や草の根を集めて暮らしていた時期が長かった。「アフリカシリーズ」が収録された1980年代当初でも、中央アフリカのピグミーやナミビア・南アフリカのカラハリ砂漠に住むサン人の中には、昔ながらの原始的な生活が見られていたようである。

デヴィッドスンは、コンゴの森で狩猟民として獲物を求め、絶えず移動生活をしているピグミーの1930年代の様子を収めたフィルムを紹介しながら「未開と言われる彼らが如何に巧妙な橋造りをするかを知ることが出来ます。」と解説している。密林の中で橋を架けて獲物を追う技術は移動生活には不可欠で、ピグミーは必要に応じて集まったり分散したりしながら生活をしていたので、固定した社会を持たなかった。

集団で川に橋を架けるピグミー

デヴィッドスンはまた、「サン人は狩猟採集の生活をしてきました。その人達が使う道具は手近な材料を使った単純なものです。矢尻の先に塗る毒はカブト虫の中味を絞り出して作っています。これにアロエの汁を塗って毒が落ちないようにします。道具は石器時代とは変わらないとはいうものの、獲物を追い詰める技術では彼らに敵う者はありません。」と解説しながら、狩猟しながら移動生活を続けるサン人を紹介している。

狩猟の準備をするサン人

その後、村を作り定住生活をするようになるが、そのためには狩猟採集で必要だった技術以外に大発見が必要だった。動物を飼い慣らして家畜にするようになったことで、アフリカでは今から6000年前か7000年前のことである。その結果、人口は増え、家畜のための水や草を求めて人々は広い範囲に散って行くようになった。その中には東アフリカの大地溝帯までやって来た人たちもいた。ケニア北部に住むポコト人もその子孫だと思われる。

ポコト人が住んでいる地域は、一年の大半はとげだらけの灌木に覆われた乾燥した土地で、灌木は雨期のほんの数週間だけ青青と生い茂げる。

狩猟採集の生活から食べ物を管理して定住する生活への変化は画期的なもので、牧畜生活が始まると水や草があるところには人が集まり、そこに共同体が生まれる。当然、入り組んだ社会組織も出来てくるわけである。

デヴィドスンはポコト人が住んでいる地域を訪れしばらく生活を共にしながら次のようにその人たちの生活を紹介している。

ポコト人を紹介するデヴィドスン

「ここにあるポコト人の住まいは見た目には何ともまあ原始的でみすぼらしく、住民はお話にならないほど貧しく無知に見えます。しかし、実際生活に彼らと生活を共にしてみると、それはほんのうわべだけのことで、うっかりするととんでもない誤解をすることが、すぐわかって来ます。私はアフリカのもっと奥地を歩いた時にも、何度となくそれを感じました。外から見れば原始的だ、未開だと見えても、実はある程度自然を手なずけ、自然の恵みを一番して能率的に利用とした結果で、そこには驚くほどの創意、工夫が見られるのです。」

他の草原の住人と同様に、ポコト人にとって最も大切な財産は牛で、生活は牛を中心に展開する。雨期の間は、多いときは村には200人もの人が住む。しかし、乾期になり草や水が乏しくなるにつれ、牛を連れて遠くまで足をのばさなければならなくなるので、村の人口は次第に減っていくが、次の雨期とともにまたみんなが村に戻って来る。毎年それが繰り返される。

ポコト人の主食はミルクである。栄養不足を補うために時々牛の血を料理して食べるが、肉を食べるのは儀礼の時だけに限られる。ミルクと血だけで暮らすためにはたくさんの牛が必要になる。それに干魃などの天災にも備えなければいけないので、牛の他に、山羊や駱駝(らくだ)も飼うようになった。

女性は夫とは別にかなりの数の自分の家畜を持っている。男性が牛を追い草原に行っている間は、村に残っているのは女性と子供と老人だけである。

遙か北の方から入って来た駱駝はミルクを取るために飼われ始めた。ポコト人は、ビーズなどの贅沢品を外から買うだけで、ほとんどが自給自足の生活である。必要なものは自分たちのまわりにあるもの、特に家畜から作り出す。山羊の皮をなめして毛をそぎ取り、油で柔らかくして衣類をこしらえる。断熱と防水の効果があるので、牛の糞は壁や屋根に塗りつける。そうして作った小屋は子牛や子山羊を昼間の暑さから守ってくれる。乳離れをさせる時にもその小屋が使われる。

ポコト人の社会では男女の役割がはっきりしている。家庭は女性の領域で、家事、雑用、出産、育児を担っている。材料集めだけでも大変なこの土地では重労働だが、それをこなすのが女性の誇りになっている。

ポコト人女性

厳しい自然を生き抜くには自分たちの周囲にあるものを詳しく知り、利用できるものは最大限に利用することが必要である。家の周りの藪も薬や繊維や日用品などの宝庫で、カパサーモと呼んでいる根を煎じて腹痛や下痢の時に子供に飲ませる。デザートローズの樹の皮を粉末にして水と混ぜて殺虫剤を作り、駱駝のダニ退治に使う。

こうしてポコト人は厳しい自然をてなづけて、ほぼ自給自足の生活を続けて来ている。食べて出す、寝て起きる、男と女が子供を作って育てる、生まれて死ぬ、そんな基本的な人の営みが営々と続いて来たわけである。

1992年にジンバブエに行った時、家族で住んだ借家と在外研究先のジンバブエ大学で3人のショナ人と仲良くなり、インタビューをさせてもらった。

ジンバブエ大学英語科教員のトンプソン・クンビライ・ツォゾォさんは「バンツー(Bantu)とはPeople of the peopleの意味で、アフリカ大陸の東側ケニアから南アフリカまでの大草原で遊牧して暮らす人たちが自分たちのことを誇りにして呼んだ呼び名です」と言いながらインタビューに応じて、子供時代のことをしゃべってくれた。

トンプソン・クンビライ・ツォゾォさん(小島けい画)

ツォゾォさんは国の南東部にあるチヴィという都市の近くの小さな村で生まれている。その村からグレートジンバブウェのあるマシィンゴまで200キロ、国の中央部に位置する都市グウェルまで150キロ離れていて、第2次大戦の影響をほとんど受けなかったそらしい。ヨーロッパ人の侵略によってアフリカ人はそれまで住んでいた肥沃な土地を奪われ、痩せた土地に追い遣られていたので昔のようにはいかなかったが、それでもツォゾォさんが幼少期を過ごしたチヴィの村には、伝統的なショナの文化がしっかりと残っていたそうである。

一族には、当然、指導的な立場の人がいて、その人が中心になって、村全体の家畜の管理などの仕事を取りまとめていた。ツォゾォさんはモヨというクランの指導者の家系に生まれて、比較的恵まれた少年時代を過ごしたらしい。

村では、12月から4月までの雨期に農作業が行なわれる。野良仕事に出るのは男たちで、女性は食事の支度をしたり、子供の面倒をみるほか、玉蜀黍の粉をひいてミリミールをこしらえたり、ビールを作るなどの家事に専念する。女の子が母親の手伝いをし、男の子は外で放し飼いの家畜の世話をするのが普通だったようで、ツォゾォさんも毎日学校が終わる2時頃から、牛や羊や山羊の世話に明け暮れたと言う。

4月からは、男が兎や鹿や時には水牛などの狩りや、魚釣りに出かけて野性の食べ物を集め、女の子が家の周りの野草や木の実などを集めたそうである。

ガーデンボーイとして安い賃金で働いていたガリカーイ・モヨさんもインタビューに応じてくれた。

「私は1956年4月3日に、ハラレから98キロ離れたムレワで生まれました。ムレワはハラレの東北東の方角にある田舎の小さな村です。小さい頃は、おばあさんと一緒に過ごす時間が多く、おばあさんからたくさんの話を聞きました。いわゆる民話などの話です。家畜の世話や歌が好きでした。聖歌隊にも参加していて、いつでもよく歌を歌っていました。」

ガリカーイ・モヨさん(小島けい画)

ジンバブエ大学の学生のアレックス・ムチャデイ・ニョタさんもインビューに応じてくれた。普段の生活はゲイリーの場合とよく似ている。小さい時から、1日じゅう家畜の世話である。小学校に通うようになっても、学校にいる時以外は、基本的な生活は変わっていない。朝早くに起きて家畜の世話をしたあと学校に行き、帰ってから日没まで、再び家畜の世話だったらしい。「学校まで5キロから10キロほど離れているのが当たり前でしたから、毎日学校に通うのも大変でした、それに食事は朝7時と晩の2回だけでしたから、いつもお腹を空かしていましたよ」とアレックスが言っていた。

3人とも田舎で育ち、少年時代は大草原で牛の世話が中心、ポコト人と同じというわけにはいかないが、今も田舎では、遙かな大草原で一日じゅう牛を追いながら暮らすという牧畜が占める割り合いの多い暮らしをしている人たちが多いようである。ジンバブエの首都ハラレは1200メートルの高原地帯にあり、ケニアの首都ナイロビも標高1600メートルの高地にある。

「ツォゾォさんの生い立ち」「モンド通信」(2013年3月)、→「ゲイリーの生い立ち」「モンド通信」(2012年11月)、→「アレックスの生い立ち」「モンド通信」(2012年6月)

次回は「大陸に生きる(2)農耕生活:ナイジェリアのスクール人」である。

つれづれに

2021年1月Zoomシンポジウム報告書

「アングロ・サクソン侵略の系譜」―系譜の中のHIV感染症とエイズ

2021年11月27日(土)/2021年12月30日作成

目次  はじめに/ 発表/ 参加者の感想/ 資料

目次

 はじめに

シンポジウム「『アングロ・サクソン侵略の系譜』―系譜の中のHIV感染症とエイズ」の報告書(54ページ)である・・・・(続く)→「はじめに」

 発表1 赤木秀男→「HIV/AIDSから社会問題を炙り出す」

発表2 玉田吉行→「ケニアの小説から垣間見えるアフリカのエイズ」

今回のシンポジウムでは、アングロ・サクソン侵略の系譜の中で、ケニアの小説から見たアフリカのエイズについて話をした。科研費のテーマで、医学と文学の狭間からみるアングロ・サクソン侵略の系譜の一つである。話をした内容は1:「ケニアの歴史」、2:「エイズとアフリカ」、3:「『ナイス・ピープル』と『最後の疫病』」で、その詳細をまとめてゆきたい。

1:「ケニアの歴史」・・・(1)「植民地化以前」→(2)「ペルシャ人、アラビア人とポルトガル人の到来」→(3)「イギリス人の到来と独立・ケニヤッタ時代」→(4)「モイ時代・キバキ時代 ・現連立政権時代」

2:→「アフリカとエイズ」

3:→「『ナイスピープル』と『最後の疫病』」

ナイロビ市街

 参加者の感想

1 赤木秀男(発表):「まず、今回のシンポジウムで報告の機会をいただいたことに感謝いたします。私も昨年までに学んでいた内容を復習しながら、なるべく自分が教わったようにお伝えできればいいなと思いながら準備をしました。当日は様々な学部や国籍のバックグラウンドがある参加者の皆さんから、質問や感想をいただき、いつもとは違った視点に刺激を受けました。玉田先生の報告では、文系の学生時代に戻ったような、知識ではなく自分の頭を使って考えながら議論を拝聴させていただきました。今回、このような機会をいただき、ありがとうございました!」

2 川越慧:「本日はzoomミーティングにご招待いただき誠にありがとうございました。休憩時間の都合で名残惜しい退出となりましたが、大変よい勉強をさせていただきました。私の現在の研究テーマは日本語教育なのですが、アフリカの欧州支配の構造と日本における外国人労働者の搾取には構造的な共通性があるような気がします。今日のお話をきいて、その地域や社会がかかえる構造を外からではなく内側からみつめることが重要なのではないかという示唆を得ました。大学院入試の都合でまだ暫くは忙しい日が続きそうですが、またこのような機会があれば是非参加したいと思います。」

3 キム・ミル:「土曜日はありがとうございました!エイズについてあまりわかっていなかった自分としては、少し難しい面もありましたが、見聞が広がったのでよかったです。シンポジウムの報告を読みながら復習したいので、blogに書けたらぜひ連絡お願いします!!!」

4 黒木真菜:「事前に資料を送っていただけたことは、事前に内容をイメージできて良かったです。また、参加者一人ずつの声が聞けたことも、リラックスした雰囲気で会が進められたと思いました。てっきり医療関係の方が多いのかと思っていましたが、逆に様々な専門分野の学生がいたことは、質問の幅も広く、刺激を受けました。今回くらいの少人数であれば、最初に、今回のシンポジウムで期待していることなどもシェアしていると、発表者がそれを意識して説明してくださったり、後半の質疑応答もさらに濃くなってくるのかな、とも思いました。色々まとまりがなく申し訳ありませんが、以上のようなことを思いました。」

5 杉井秀彰:「医学的な視点からHIVのことが知れたのがよかったです。加えて、アフリカで活動するNGOやODAに潜む欧州などの先進各国とアフリカ諸国政府の結びつきによって起こる問題について触れることが出来、新鮮な議論ができたと感じます。」

6 玉田吉行(発表):「科研費の報告書が要るからとは言え、つき合ってもらえて感謝しています。去年は急遽オンラインの必要性に迫られ、初めてZoomを使いました。いい面も悪い面も含めて、遠隔授業をするしかなかったとは思いますが、副産物でシンポジウムにも利用させてもらいました。最初は地域資源創成学部の英語の時間内に、試験前にやったトーイックの問題が終わらなかったので、土曜日に時間外でやろか、一度画面を消すから希望者はもう一回入って来てや、がきっかけでした。たぶん、オンラインは誰もが初めてで、一年生だったこともあったと思いますが、7割ほどの希望者がありました。実際にやってみて、シンポジウムの場合はよかったと思います。色んな場所にいても参加できるからです。キムくんは韓国から、他の人も色んなところから参加してくれました。前回発表してくれた寺尾さんと杉村さんには今回参加が叶いませんでしたが、また機会があればと思っています。このシンポジウム、将来研究者を考えている人のために、このまま続けられたらと、今は考えていますが、どうなりますか。改めて、ありがとうございました。」

7 得能万里奈:「先日のアフリカに関する講義に誘ってくださり、本当にありがとうございます。様々な学部の方と、アフリカに関する知識や疑問を深めることができて、とても充実した時間を過ごすことができました。加えて、小説などの文学という視点からアフリカのことを知りたいという気持ちが強くなりました。今後もアフリカのことに関する興味関心のアンテナを立てていたいと感じました。貴重な機会を本当にありがとうございました。」

8 中原愛(司会):「最初に赤木さんが素人でもわかりやすい病気自体の説明をしてくださりHIV、エイズについてスムーズに理解が深まった事、その後のたまさんの説明で歴史や社会情勢を通して病気と差別的な社会構想の形成などより多角的に理解することができました。また、多種多様な参加者の質問で、新たな観点に気づきより充実した時間になっていたと感じました。」

9 ルトフィア・ファジリン:「AIDSについて、理系ではない私でも分かりやすく理解できましたが知らない漢字がたくさんありました。中学校と高校の時警察庁からセミナー?公聴会?みたいことがあって、やはりドラックとの関係が強かったから、マフィアが未成年を狙うことが多いらしい。その時に一緒に教えてくれたのは、AIDSにかかった人を差別・隔離?しないようにと言われた。多分かかった人は悪い印象を持っているでしょうね。いくつかの小説とストーリーライフでもAIDSにかかった人の話を読んだことがあったりして、一時期インドネシアで社会問題になったと思う。ただ、差別されていることがよくないことがわかったから色々な報道で彼らの目線でAIDSについて語られたりされたけど、まだ少ない。たまさんの話では、やはりアメリカのconspiration theoryとかアフリカの様々な問題につながられるんだなって感じました。一時期conspiration theoryについてハマったことがあったけど、自分が「本当かな?」って思ってて、でも知識として入れても良かったので間に受けるじゃなくて読書の楽しみにしてた。後、話を聞いている間にインドネシア陸軍は結構アフリカに送られたことがあって、たまにSNSでその様子を投稿する人もいて、メディアに見せないことを案外その投稿で気づくことあるんだな。」

 (事前に送付した)資料

1 →「ポジウム案内」

2 →「シンポジウム概要」

つれづれに

2021年11月シンポジウム最終報告:シンポジウム概要

「アングロ・サクソン侵略の系譜」―系譜の中のHIV感染症とエイズ

日時:2021年11月27日(土)10:00~12:00

発表:

赤木秀男:「HIV/AIDSから社会問題を炙り出す」

玉田吉行:「ケニアの小説から垣間見えるアフリカのエイズ」

*Zoom招待状の招待状です↓

トピック: 玉田吉行 の Zoom ミーティング

時間: こちらは定期的ミーティングです いつでも

Zoomミーティングに参加する

https://us04web.zoom.us/j/79189996934?pwd=SzRJWERGalR4VmVGRmpSZmwzTkZYdz09

ミーティングID: 791 8999 6934

パスコード: 5F77Wk

*問い合わせは玉田まで→tamadayoshiyuki@gmail.com

→☎080-3413-7515

<はじめに>                                        玉田吉行

科学研究費のタイトル「アングロ・サクソン侵略の系譜」の流れで、すでに2回シンポジウムをやりました。前回はZoomでした。今回も杉村さんと寺尾さんに連絡しましたが、異動のことでこじれたようで、3人では無理なようでした。そこで急遽、医者になった赤木くんにも発表者で参加してもらい、前回以上に双方向でやれればと考えました。21日(日)に司会の中原さんと3人で打ち合わせをして、大体の方向性や進め方などを確認しました。今はコロナで大変ですが、エイズも大きな問題ですし、病気の話は人ごとではないと思います。いろいろ病気や免疫についても考えるいい機会になれば嬉しいです。よろしくお願いします。

<今回の科研費について>

科学研究費基盤研究(C)(4030千円) 平成30年4月~令和4年3月

「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」

<申請時の概要>

広範で多岐にわたるテーマですが、アフリカ系アメリカ人の歴史・奴隷貿易と作家リチャード・ライト、ガーナと初代首相クワメ・エンクルマ、南アフリカの歴史と作家アレックス・ラ・グーマとエイズ、ケニアの歴史とグギ・ワ・ジオンゴとエイズ、アフリカの歴史と奴隷貿易、と今までそれぞれ10年くらいずつ個別に辿ってきましたので、文学と医学の狭間からその系譜をまとめようと思っています。

リチャード・ライト(小島けい画)

ライトの作品を理解したいという思いからアフリカ系アメリカ人の歴史を辿り始めてから40年近くになります。その中でアフリカ系アメリカ人がアフリカから連れて来られたのだと合点して自然にアフリカに目が向きました。大学に職を得る前に、神戸にあった黒人研究の会でアフリカ系アメリカとアフリカを繋ぐテーマでのシンポジウムをして、最初の著書『箱舟、21世紀に向けて』(共著、1987年)にガーナへの訪問記Black Powerを軸に「リチャード・ライトとアフリカ」をまとめて以来、南アフリカ→コンゴ・エボラ出血熱→ケニア、ジンバブエ→エイズとテーマも範囲もだんだんと広がって行きました。辿った結論から言えば、アフリカの問題に対する根本的な改善策があるとは到底思えません。英国人歴史家バズゥル・デヴィドスンが指摘するように、根本的改善策には大幅な先進国の経済的譲歩が必要ですが、残念ながら、現実には譲歩の兆しも見えないからです。しかし、学問に役割があるなら、大幅な先進国の譲歩を引き出せなくても、小幅でも先進国に意識改革を促すように提言をし続けることが大切だと考えるようになりました。たとえ僅かな希望でも、ないよりはいいのでしょうから。

文学しか念頭になかったせいでしょう。「文学のための文学」を当然と思い込んでいましたが、アフリカ系アメリカの歴史とアフリカの歴史を辿るうちに、その考えは見事に消えてなくなりました。ここ500年余りの欧米の侵略は凄まじく、白人優位、黒人蔑視の意識を浸透させました。欧米勢力の中でも一番厚かましかった人たち(アフリカ分割で一番多くの取り分を我がものにした人たち)が使っていた言葉が英語で、その言葉は今や国際語だそうです。英語を強制された国(所謂コモンウェルスカントリィズ)は五十数カ国にのぼります。1992年に滞在したハラレのジンバブエ大学では、90%を占めるアフリカ人が大学内では母国語のショナ語やンデベレ語を使わずに英語を使っていました。ペンタゴン(アメリカ国防総省)で開発された武器を援用して個人向けに普及させたパソコンのおかげで、今や90%以上の情報が英語で発信されているとも言われ、まさに文化侵略の最終段階の様相を呈しています。

ジンバブエのムレワ村(小島けい画)

聖書と銃で侵略を始めたわけですが、大西洋を挟んでほぼ350年にわたって行われた奴隷貿易で資本蓄積を果たした西洋社会は産業革命を起こし、生産手段を従来の手から機械に変えました。その結果、人類が使い切れないほどの製品を生産し、大量消費社会への歩みを始めました。当時必要だったのは、製品を売り捌くための市場と更なる生産のための安価な労働者と原材料で、アフリカが標的となりました。アフリカ争奪戦は熾烈で、世界大戦の危機を懸念してベルリンで会議を開いて植民地の取り分を決めたものの、結局は二度の世界大戦で壮絶に殺し合いました。戦後の20年ほど、それまで虐げられていた人たちの解放闘争、独立闘争が続きますが、結局は復興を遂げた西洋諸国と米国と日本が新しい形態の支配体制を築きました。開発や援助を名目に、国連や世界銀行などで組織固めをした多国籍企業による経済支配体制です。アフリカ系アメリカとアフリカの歴史を辿っていましたら、そんな構図が見えてきて、辿った歴史を二冊の英文書Africa and Its Descendants 1(1995年)とAfrica and Its Descendants 2 – The Neo-Colonial Stage(1998年)にまとめました。奴隷貿易、奴隷制、植民地支配、人種隔離政策、独立闘争、アパルトヘイト、多国籍企業による経済支配などの過程で、虐げられた側の人たちは強要されて使うようになった英語で数々の歴史に残る文学作品を残してきました。時代に抗いながら精一杯生きた人たちの魂の記録です。

『アフリカとその末裔たち』(Africa and Its Descendants

 

発表1:「HIV/AIDSから社会問題を炙り出す」            赤木秀男

この世界には数多の病気(疾患)がある。その中でなぜAIDSは世界の貧困、搾取、不平等、差別、偏見を炙り出す疾患たりうるのか。AIDSの病気としての特徴に焦点を当てつつ、この疑問について考える。結論を先取りすると、AIDS特有の①歴史、②感染経路、③発現形式、④感染拡大防止方法、⑤治療ゆえに、AIDSは社会問題の1つの切り口になると私は考える。本報告では、まずHIVがヒトの免疫機構を破壊する過程を解説する。そのあとで、①~⑤の特徴についてまとめ、参加者の意見・感想を得たい。

AIDSは1981年6月にアメリカで初報告された。それから今年で40年である。2021年6月のWHO統計では、この40年間に世界で3770万人がHIVに感染し、2020年の1年では150万人が新規に感染し、68万人がAIDSで死亡したと推計されている。本邦でも2019年の1年間で891人の新規感染者が報告されている。これらの数字は、後述するAIDSの特徴ゆえに、あくまで推計人数に留まり、実数を捉えることは不可能であろう。

ヒトの体内環境は常にウイルスや細菌などの病原体が感染する危険にさらされている。免疫とは、そんな病原体の感染から体を守るしくみであり、免疫細胞とは、体を守る細胞で、病原体の感染から体を守る細胞のことをいう。血液の細胞の中で免疫にかかわるのは白血球で、その白血球は大きく好中球、マクロファージ、リンパ球に分かれる。好中球、マクロファージは食細胞とも呼ばれ、病原体を食べて撃退する。これは生まれながらに誰もが持っている免疫の働きであり、自然免疫と呼ばれる。リンパ球はT細胞とB細胞に分かれ、樹状細胞が抗原提示することでT細胞が活性化する。T細胞には司令塔でありB細胞に抗原提示をし、マクロファージを励ますヘルパーT細胞と、病原体そのものを殺すのではなく感染した細胞ごと殺すキラーT細胞があり、これらT細胞による免疫を細胞性免疫という。もう一つ、体液性免疫という仕組みがあり、これはヘルパーT細胞から抗原提示を受けたB細胞が抗体を産生し、その抗体が病原体の表面にくっつき毒素を抑え、病原体がそれ以上感染できないように無力化する。

HIVはT細胞(ヘルパーT細胞、キラーT細胞)に入り込んで、T細胞を破壊する。それゆえに細胞性免疫、体液性免疫(2つを併せて適応免疫と呼ぶ)が機能しなくなる。免疫機構が機能しないため、病原体の感染から体を守ることができなくなり、HIV感染者は「免疫不全」の状態となる。「免疫不全」ゆえに、健常人ではおおよそ罹らない弱小病原体にまで罹ってしまう状態になると、AIDSと診断される。

HIV/AIDSは①貧困層、ゲイ、薬物中毒者から感染が広がったという歴史があること、② (a)HIV感染者との性交、(b)HIVが混入している血液との濃厚接触、(c)HIV感染者の妊娠・出産という3つの感染経路しか報告されていないこと、③T細胞は破壊されてもすぐ新しく作られるゆえに感染初期は自覚症状がなく数年~10数年という潜伏期間をもつこと、④予防には検査体制の充実、性教育、コンドームへのアクセスが必要であること、⑤予防薬、完治薬はなく、ただAIDS発症を遅らせる治療しかない。ゆえに世界全体の、社会の中での、さまざまな問題や矛盾を映し出す病気たり得るのだと考える。

逆に、病気(HIV)はヒトを選ばない(国籍、人種、年齢)ため、HIV/AIDS患者のあり様はその社会を映し出す鏡とも言える。社会問題を考える際に一つの疾患に着目することは「artificial(人工的)な因子」を排除する観点からも非常に有用なアプローチであろう。

【参考】

・NHK高校講座「免疫のシステム」(https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/seibutsukiso/archive/resume025.html、2021年11月22日最終アクセス)

・厚生労働省「新規HIV感染者・エイズ患者報告数の推移」(https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/02-08-03-07.html、2021年11月22日最終アクセス)

・ステッドマン医学大辞典編集委員会編『ステッドマン医学大辞典 第6版』(メジカルビュー社、2008年)

・高久史麿ほか『新臨床内科学 第9版』(医学書院、2009年)

・WHO「HIV/AIDS」(https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/hiv-aids、2021年11月22日最終アクセス)

・東京都福祉保健局「エイズという病気とその現状」(https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/aids/genjo.html、2021年11月22日最終アクセス)

 

発表2:「ケニアの小説から垣間見えるアフリカのエイズ」         玉田吉行

系譜の中のHIV感染症とエイズについて、次の順序で話をしようと思います。

(1)ケニアの概略と歴史/(2)『ナイスピープル』(Wamugunda Geteria, Nice People, 1992)/(3)『最後の疫病』(Meja Mwangi, The Last Plague, 2000)/(4)アングロ・サクソン侵略の系譜の中のエイズ

(1)  ケニアの概略と歴史

植民地以前(紀元前2000年頃北アフリカから定住、のちにアラブ人とペルシャ人が植民地化)→ヨーロッパ人到来(1498年にポルトガル人が来てモンバサを拠点に貿易を支配、19世紀に英国が到来)→植民地時代(1895年英国の東アフリカ保護領、1920年英国の植民地に)→独立・ケニヤッタ時代(植民地政策への抵抗運動後、1963年独立、1969年に「事実上の」単一政党国家)→モイ時代(1978年にモイが二代目大統領)→キバキの時代 →現連立政権時代(2007年の暴動で、大統領の国家統一党とオレンジ民主運動の連立政権)

(2)『ナイスピープル』

ケニア中央病院

アフリカでの最初のエイズ患者が出始めた1985頃のケニアの状況を描いた小説。ナイジェリアの大学を出てケニア中央病院で働き始めた医師ムングチの眼を通して、謎の病気(のちにエイズと判明)で入院して来た患者の話や、自分の愛人と関係、ナイスピープルと呼ばれる都市部の富裕層の人たちの姿が描かれていて、最初のエイズ患者で慌てる医者や世間の姿を描いた歴史的な資料にもなっています。

(3)『最後の疫病』

エイズが蔓延し、今まさに死にかけのケニアの小さな村クロス・ローヅを舞台に、子供3人と母親と暮らすジャネットという女性を通して、エイズで夫を亡くした女性を夫の兄が引き継ぐなどの様々な問題を抱えた農村部の実情が描かれています。

ナイロビ市内

(4)アングロ・サクソン侵略の系譜の中のエイズ

 

エイズをテーマに2回科研費をもらっています。最初は「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題―文学と医学の狭間に見える人間のさが」(平成15年~平成18年)で、2回目は「アフリカのエイズ問題改善策:医学と歴史、雑誌と小説から探る包括的アプローチ」(平成21年~平成23年)。どちらも文学と医学を結び付けた視点からエイズを考え直すいい機会になりました。

アメリカ人医師Raymond Downingさんの著書 As They See It The Development of the African AIDSは極めて示唆的で、Nice Peopleなどの小説もその本で知り、エイズに限らず病気を包括的に見る視点の大切さを教えてもらいました。

奴隷貿易で資本を蓄積し、産業革命を起こして資本主義を加速させて、経済を拡大し続けて来ているのですから、当然搾り取られる側の弊害や惨状は大きいわけです。その一つとしてエイズを捉えるようになったのは、アフリカ系アメリカの歴史から辿り始めて、アフリカに目を向けて考えるようになった必然の結果なのかも知れません。その流れで、エイズの問題を考えたいと思っています。

つれづれに

2021年11月シンポジウム最終報告:Zoomシンポジウム案内

2回目のZoomシンポジウムのタイトルのみの案内です。追って、開催日の1週間前までには概要を送ります。

前回の参加者に案内を送りますが、他に参加者がいる時は連絡下さい。案内します。

今回は寺尾さん、杉村さんが都合により参加できないため、医者になった赤木くんに応援を頼んで、二人のシンポジウムです。発表者が少ない分、参加者が発言する時間が多くなりますので、いっしょに楽しんもらえると嬉しいです。

寺尾さんは10月から一橋大に、杉村さんは4月からニュージーランドで家族と合流、目下博士号を取得中です。

「アングロ・サクソン侵略の系譜」―アフリカとエイズ

日時:2021年11月27日(土)10:00~12:00

発表: 赤木秀男: HIV感染と免疫機構について

玉田吉行:ケニアの小説から垣間見えるアフリカのエイズ

*Zoomの招待状です↓

トピック: 玉田吉行 の Zoom ミーティング

時間: こちらは定期的ミーティングです いつでも

Zoomミーティングに参加する

https://us04web.zoom.us/j/79189996934?pwd=SzRJWERGalR4VmVGRmpSZmwzTkZYdz09

ミーティングID: 791 8999 6934

パスコード: 5F77Wk

*問い合わせは玉田まで→ tamadayoshiyuki@gmail.com、☎080-3413-7515

blogでの1回目の報告→「アングロ・サクソン侵略の系譜24:2021年Zoomシンポジウム」(https://kojimakei.jp/tama/topics/works/7426