続モンド通信22(2020/9/20)
1 私の絵画館:「イチョウと子猫」(小島けい)
2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~①:土日の午後は(小島けい)
3 アングロ・サクソン侵略の系譜19:「 アフリカ史再考:①アフリカ史再考のすすめ」(玉田吉行)
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1 私の絵画館:「イチョウと子猫」(小島けい)
以前、大分県の<九州芸術の杜>で個展をしていた時、猫好きのスタッフの方とお友だちになりました。彼女はかわいい美人さんで、性格もとても優しい方でした。
<九州芸術の杜><ギャラリー夢>
<九州芸術の杜>で2年目の個展の時。<ギャラリー夢>の入口正面に、2枚の猫の絵を飾りました。<蔦とさや>と<梅とぴのこ>です。
ある日、福岡から来られたお客様が、その2枚の絵の前で迷っておられました。そして、どちらを買うか決めかねて、一端そこを離れた時。
彼女は一番気に入っていて自分が買いたい!と思っている<梅とぴのこ>に売約済みの赤い丸のシールをサッと貼りました。
<蔦とさや>
もどってきたお客様は<そうか・・・、こちらが売約済みならもう一枚の絵にします>と<蔦とさや>の絵を購入されました。
後で彼女から<咄嗟にシールを貼ってしまいました>と聞き、みんなで大笑いしました。それほど気に入ってもらえるなんて!描いた者として、これほど嬉しいことはありませんでした。
<梅とぴのこ>
彼女とは、飼い猫の梅ちゃんで<梅ちゃんと桔梗>という絵を描かせていただいたり、その後も犬(三太の眠り)や花(白木蓮)の絵を購入していただいたりと、ずっと交流が続いています。
<梅ちゃんと桔梗>
(三太の眠り)
(白木蓮)
一昨年、以前の<イチョウと子猫>の絵はまだありますか?と問いあわせがありました。<あの絵は東京の個展でお世話になっている、オーナーさんのご自宅に行きましたよ>とお答えしましたが。
私もとても気に入っている構図でしたので、今一度描いてみようと思い、<イチョウと子猫>の2枚目ができました。
実は、この絵に登場する子猫二匹のうちの左側の子が<幼くして突然逝ってしまったちーちゃんにとても似ている>のだとか。絵をお送りすると。<ちーちゃんがまた帰ってきて、やさしく見守ってくれているような気がします>と、ご夫妻から熱いお手紙が届き、ほっとしました。
<イチョウと子猫>
2010年カレンダー表紙
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2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~①:「土日の午後は」(小島けい)
小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~①:「土日の午後は」
小島けい
私の絵画館:「続モンド通信22」(2020年9月20日)
元競走馬ツルマル・ツヨシ
小島けいカレンダー2015年8月
今週も土日の午後、私のテレビは競馬中継です。
いつからでしょうか。<馬の姿を見ていたら、もしかして馬の絵が上手になるのでは?!>というアホな思いから、競馬中継を見るようになりました。
その効果のほどはわかりませんが、今ではただ走る姿を見るだけで、心が洗われるような気がします。
たまにですが、騎手の方の落馬があります。あれほど馬のことを知りつくしているはずの人たちでさえ、一瞬で起こりうる。生き物である馬との折り合いの難しさを痛感します。
ツルマル・ツヨシ2016
小島けいカレンダー2017年11月
これまで見てきたなかで、一番感動したレースがあります。何時だったのかも、馬の名前も忘れてしまいましたが。とても大きなレースで、本命はこの馬!と誰もが予想していた馬がいました。
ところが結果は、全く違う馬が優勝しました。そしてこのレースが、その馬の最後のレースでした。<有終の美を飾る>という言葉通りの見事な勝ちっぷりで、多くの人々に感動とどよめきを残して、引きあげていきました。
引退後、この馬がどうしているのか私にはわかりませんが、どこかの牧場でのんびりすごしていてほしい・・・と願わずにはいられません。
無観客競馬となって何ヶ月もたちます。そんな大歓声のない中でも、馬たちは変わらず、今日もひたすら走り続けています。
シンディと梅
小島けいカレンダー2012年2月
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3 アングロ・サクソン侵略の系譜19:
「アフリカ史再考①ーアフリカ史再考のすすめ」
バズル・デヴィドゥスン
「アフリカ史再考」の連載一回目である。
二つの科学研究費(註1)でアフリカのエイズを取り上げ、二つの連載(註2)と、他にもエイズ関連のもの(註3)を書いた。その過程で、ひとつの病気を理解しようとする時には、社会や歴史などのより大きな枠組みの中で病気を包括的に捉える必要があると改めて感じた。
アメリカやヨーロッパ諸国では1995年の後半あたりから、抗HIV製剤が劇的な成果を見せ始め、HIVを抱えたまま生活を維持することが可能になったが、アフリカ諸国では抗HIV製剤だけでは問題の解決は難しい。貧しく惨めな環境で暮さざるを得ない人たちがあまりにも多く、高価な薬にはなかなか手が届かず、手が届いたとしても基本的な生活基盤が変わらない限り、必ずしも効果が望めるとは限らないからである。コロナウィルス(Covid19)で混乱に拍車がかかっている今となっては、尚更である。
基本構造を変えないまま、つまりアフリカ人労働者の賃金を上げられないまま、アパルトヘイト体制から新体制に移行して貧困と闘っていた南アフリカの元大統領ムベキは「私たちの国について色々語られる話を聞いていますと、すべてを一つのウィルスのせいには出来ないように私には思えるのです。健康でも健康を害していても、すべての生きているアフリカ人が、人の体内で色んなふうに互いに作用し合って健康を害するたくさんの敵の餌食になっているようにも私には思えてならないのです。このように考えて、私はありとあらゆる局面で必死に、懸命に戦って、すべての人が健康を維持出来るように人権を守ったり保障したりする必要があるという結論に達したのです。」と世界エイズ会議でもそれまでの主張を繰り返したが、世界のメディアの大半を所有する欧米のメディアはムベキを散々に叩き続けた。しかし、よく耳を傾ければ、ムベキ氏の言ったことは極く当たり前のことである。南アフリカのアフリカ人の安価な労働力にただ乗りして自分たちの生活を享受する欧米人や日本人こそ、無自覚な傲慢さを恥じるべきだろう。
アフリカの貧困も、ここ数百年来の欧米の侵略が大きな原因で、今も「先進国」と「第3世界」の間の経済格差がなくならないのは搾取構造が形を変えて続いているからだ。
「アフリカについて見直す時期に来ています」と呼びかけたバズル・デヴィドゥスンの「アフリカシリーズ」がNHKで放映されたのは1983年だが、アフリカについての報道も極端に少ないままだ。英語や教養科目「アフリカ文化論」「南アフリカ概論」などの授業でアフリカの問題を取り上げて来たが、学生のアフリカについての認識の程度や意識は、あまり変わっていないように感じることが多かった。
自分たちの足下を見直すためにもアフリカ史の再考は必要だと考え、「アフリカシリーズ」を元に「アフリカ史再考」を連載することにした。
デヴィドゥスンは元タイムズ紙のイギリス人記者で、後に歴史家としてたくさんの著書を残している。日本でも『アフリカの過去』(理論社)が翻訳されている。翻訳したのは神戸市外国語大学の教授だった貫名義隆さんで、貫名さんは大学紛争では学生側に立って支援を続けたが、研究室に火炎瓶を投げ込まれ完成原稿を焼かれてしまったと聞く。もう一度同じ歳月をかけて翻訳出版したその書は、貴重な生きた歴史記録である。夜間課程はゼミが一年間しかないので、一年間だけの貫名ゼミ生だったが、授業にも出ず、勉強もしない学生だった。のちに大学の職に就いて、授業で『アフリカの過去』を学生用の課題図書として紹介することになるとは夢にも思わなかった。→「がまぐちの貯金が二円くらいになりました」「ゴンドワナ」3号8-9頁、1986年。
神戸市外国語大学事務局・研究棟(大学ホームページより)
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註1
(平成15年~平成18年)科学研究費補助金「基盤研究(C)(2)」「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題―文学と医学の狭間に見える人間のさが」(課題番号 15520230)と(平成21年~平成23年)科学研究費補助金「基盤研究(C)(2)」「アフリカのエイズ問題改善策:医学と歴史、雑誌と小説から探る包括的アプローチ」(課題番号15520230)
註2
二つの連載は、ケニアの作家ワムグンダ・ゲテリアが書いた『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳[No. 5(2008年12月10日)からNo.34(2011年6月10日)までの30回]と、「『ナイスピープル』を理解するために」[No. 9(2009年4月10日)からNo.47(2012年7月10日)までの27回]である。それぞれブログに一覧表もつけている。→「玉田吉行の『ナイスピープル』」、→「玉田吉行の『ナイスピープル』を理解するために」
包括的に病気を捉える必要性については:→「アフリカのエイズ問題を捉えるには」「モンド通信」(横浜:門土社) No. 15(2009年10月)、ムベキについては:→「エイズと南アフリカ―2000年のダーバン会議」「モンド通信」(横浜:門土社) No. 19(2010年2月)を書いた。
ワムグンダ・ゲテリアが書いた『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』
註3 エイズ関連で他に書いたもの:
「アフリカとエイズ」「ごんどわな」22号(復刊1号)2-14頁、2000年。
「医学生とエイズ:ケニアの小説『ナイス・ピープル』」「ESPの研究と実践」第3号5-17頁、2004年。
「アフリカ文学とエイズ ケニア人の心の襞を映す『ナイス・ピープル』」「mon-monde」創刊 25-31頁、2005年。
「医学生とエイズ:南アフリカとエイズ治療薬」「ESPの研究と実践」第4号61-69頁、2005年。
“Human Sorrow―AIDS Stories Depict An African Crisis"「ESPの研究と実践」第10号12-20頁、2009年。
「タボ・ムベキの伝えたもの:エイズ問題の包括的な捉え方」「ESPの研究と実践」第9号30-39ペイジ、2010年。
「『ニューアフリカン』から学ぶアフリカのエイズ問題」「ESPの研究と実践」第10号25-34ペイジ、2011年
(宮崎大学教員)