つれづれに:シンプソン
前々回の→「小屋」で紹介した祖母役のマヤ・アンジェロウ(↓)は知られた歌手・詩人で、公民権運動の活動家でもあったが、同じ西アフリカのジュフレ村をめぐる場面でもう一人大物が出演している。NFL(National Football League)の元スターで俳優のO・J・シンプソンである。
アメリカではNBA(National Basketball Association)やMLB(Major League Baseball)よりも人気があるらしいので、花形選手で映画にも出ていたわけである。
→「深い河」で紹介したポール・ロブソン(↓、Paul Robeson)もNFLの花形選手だった。大学を卒業するときに、スポーツか演劇か法曹界かを迷ったという。ずいぶんと才能に恵まれていたということだろう。結局は演劇を選んでイギリスに渡り、シェークスピアのオセロ役を演じて世界的に有名になった。戦後はマッカーシーの赤狩りに遭って、大変だったと聞く。当時は共産党に入党した人も多かった。共産党が抑圧されて来た黒人を差別しなかったのが主な入党の理由だが、黒人を抑圧された一つの塊り(the oppressed mass)と見て個人を見なかったので、離党者が増えた。
シンプソンは1947年生まれだから、私と同世代である。その元スターが元妻と友人殺害の容疑をかけられたが、出頭せず高速道路を逃亡し、それがテレビで実況中継されたらしい。その映像をニュースで見た気がする。金に物を言わせ、強力な弁護団がついて刑事裁判では無罪になったが、民事裁判では有罪判決が出て。多額の損害賠償を命じられている。その後、強盗事件の協力をして逮捕され収監された。
1980年代の後半に宮崎医科大学に赴任して研究費がつき、それまで思いもしなかった雑誌や新聞の定期購読が出来るようになった。当時は紀伊国屋書店鹿児島営業所から大学に注文取りに来ていたので、その人に言えば手配してもらえた。医学部は一般教育でも各教室に事務員がいた時代で、手続きは事務員がしてくれた。アフリカ系アメリカ関係では「エボニー」(Ebony)という雑誌を、南アフリカ関連では週刊紙Weekly Mailを頼んだ。その「エボニー」に一時期シンプソンの写真がたくさん載った。大衆誌で、記事よりも写真が主体の雑誌である。キング牧師やマルコムXのような公民権運動の指導者や、ブラックミュージックの歌手、映画の俳優やNBAなどのスポーツ選手の大きな写真が載っていた。もちろん、シンプソンの写真の掲載も長いこと続いた。
「ルーツ」では、クンタ・キンテが狩りの訓練を受けているときに、逃げ込んだ鳥を捕まえようとして庭で料理をしていた少女の邪魔をしてしまった場面で、シンプソン(↓)は父親役を演じている。隣村の指導者風で、少年の狩りには敬意を払うが、料理の邪魔をした娘には謝るように諭していた。少女の名前はファンタで、この時にクンタは淡い恋心を抱く。二人は同じ時期に奴隷狩りに遭い、同じ船でアメリカに運ばれ、クンタの前にファンタは競売にかけられて農園に売り飛ばされている。クンタは売られた農園の名前を覚えていたので、後に、自分の農園を抜け出して愛しいファンタに会いに行く、そんな設定である。
映画の中では、鳥を追いかけるクンタに並走してシンプソンが庭をかなりのスピードで走る場面がある。監督としては、人気の高いフットボールの花形選手を起用して、どこかで走らせたかったのだろう。ボールは持っていなかったが、軽快な走りだった。