つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:春の花5

 「ほぼ初めての春の花」「春の花2」「春の花3」「春の花4」に続き、春の花5で、芍薬(しゃくやく)と牡丹(ぼたん)とアネモネである。

 立てば芍薬座れば牡丹 歩く姿は百合の花

 と言われてきただけあって、その花もどちらかというと清楚で、豪華である。元々落語家やはなしかが女の人の容姿を言うのに使ったらしい。つい口に出るくらいだから、七七七五のリズムがよくていろいろな所で使われてきたということか。装画に言われたわけではなかったが、花屋の店先で見つけて鉢植えを買って書いてもらった。カレンダー(↑)にも入っている。百合はお盆の前後に、道端や線路脇や土手など、あちらこちらで咲いている。

 牡丹はやっぱり豪華である。こちらの家に引っ越してきてから神宮の植木市で3本買って植えていたので、毎年豪華な花(↓)が咲いていた。三本とも枯れてしまったので、去年の三月にまた植木市にでかけて、二本買って来た。木陰に植えて下さいと教えてもらった。南側の一番陽の当たる場所に植えていた。知らぬが仏である。カレンダー(↓)にも残っている。

小島けい「私の散歩道2010~犬・猫・ときどき馬」5月(企業採用分)

 見事な華を切って部屋に運び、その日のうちに妻が仕上げてカレンダーの原画になった。実際の華を真近かに見ながら描いただけのことはある。絵に勢いがある。額に入れても、なかなかである。一枚は今手元にはない。寺に牡丹がたくさん咲くので牡丹寺になるように、絵を分けてもらえませんかと言って下さる方がいて送ったからである。

「私の散歩道2010~犬・猫・ときどき馬」5月

 高校の教員の時に出会った人(→「ホームルーム2」、→「修学旅行」)から「親父が牡丹の絵をわけて欲しいと言ってます」と言われた。実家が香川のお寺だそうで、お兄さんが住職をしているらしく、その寺に飾りたいとのことだった。有難い話である。丁寧に包装して絵(↓)を届けた。

 「親父が家庭訪問に来て欲しいと言ってますけど‥‥」と言われて会いに行ったのがその人との最初である。何を話したのかは覚えていないが、いまだに年賀状が届き、私もカレンダーを送り続けている。仲人を頼まれた。「すべての社会の規範をもう一度取捨選択して取り込み直そう」(→「諦めの形」)と心に決めて、出来る限り入学式(→「大学入学」、→「院生初日」)、卒業式、結婚式、葬式など、式の類は避けていたので断りたかったが、父断り切れなかった。本人からは「上司二人のうち一方に頼むと角が立つので、髭だけ来てくれたらいいから。たまさん、お願い!」と言われて妻といっしょに出かけた。披露宴では「髭だけ来ました」とだけ挨拶をした。寺に飾ってもらっているのは奇跡である。

 寺に参詣に来たたくさんの人(↓)に絵のカードに作者紹介を書いて配って下さったそうである。二十代に出会って以来続く、有り難い、有り難い縁である。

寺に集まった檀家の人たち

 次は、春の花6、か。

つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:春の花4

 「ほぼ初めての春の花」「春の花2」「春の花3」に続き、春の花4である。まだ続くかも知れない。今回は木蓮(もくれん、↑)と梔子(くちなし)である。

「私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~」表紙(企業採用分)

 紫木蓮は馬といっしょにカレンダーになっている。馬を描ける人は多くないらしいが、自分が牧場COWBOY UP RANCHに乗馬に通って、馬の背中にも乗り、毎回牧場中の馬たちに挨拶をして人参をやっているからか、なかなか馬の表情がいい。紫の色には品があり、その当時載せてもらっていた玄風も満足してくれただろうか?カレンダーにもなっている。

 木蓮は家に植えてなかったので、探す必要があった。絵に使う花や実を探すのは私の役目で、紫木蓮の枝も何回か頂戴した。いい枝が見つかってもらおうとしたが、ちょうど交番の前だったこともある。それでも結局、頃を見計らって枝を何本か摘んで無事持ち帰り、カレンダーの表紙絵になった。ごめんなさい。

「私の散歩道2013~犬・猫・ときどき馬~」3月

 木蓮(→「紫木蓮」)は「明石」の家の庭にもあった。100坪余りの家で南側にきちんとした庭もあった。梅と松と沈丁花と木蓮が毎年花を咲かせていた。小さな娘を連れて転がり込んで二人が働いていたので(→「中朝霧丘」)、時間の余裕がなかったこともあったが花まで気が行かなかったのが実際のようだ。それでも梅のかすかな香りや沈丁花の春を告げる香りは感じたし、「木蓮」(小島けい絵のブログ)の臙脂がかった紫色には気品があった。毎年大きな花を咲かせていた。その時はそれが木蓮だと持ってたが、白木蓮もあると意識したのは宮崎に来て、それも今の家に引っ越しをして来てからである。一軒一軒が広くて庭があり、大抵の家は大事に樹を育てている。「白木蓮」 も多い。

「私の散歩道2009」4月

自転車に乗って角を曲がったら急に白木蓮が浮き上がって来た、そんな感覚を何度か味わった。一面が浮き上がったように見えるときがある。何日か前も、ある日、散歩の途中に振り返ったら、急に白木蓮が浮き上がって来るような感覚になった。夕方、まだ明るい時間だった。次の日、確かめてみたくて前日に通ったコースを辿りなおしたが、薄暗くてわからなかった。また、明るいうちに出かけたら、振り返った時に白木蓮がくっきりと浮かんで見えていた(↓)のがわかった。

 妻の絵のブログ「Forget Me Not」は私が更新している。検索エンジンを探してもらって、訪問者と訪問数を毎日確認してだいぶ経つが、アメリカやソ連や中国など色んなところから、結構な人が観に来てくれている。スウクライナの訪問数も多い。英語訳をつけることにした。木蓮、辛夷(こぶし)や泰山木(たいさんぼく)などのモクレン科は一般にMagnoliaが使われているらしい。ブログの場合は絵があるので、泰山木はMagnolia、白木蓮はWhite Magnolia、紫木蓮はPurple Magnolia、辛夷Kobushi Magnoliaでいくことにした。

 梔子も明石ではあまり目にしなかったが、大学のキャンパスの駐車場の垣根になっていたので、その時期に蕾をもらって、人に贈ったり、研究室に飾ったりした。梔子も泰山木(たいさんぼく)もにおいがいい。泰山木は大きくてどこにでもある樹ではないのであまりこの辺りでは見かけない。宮崎医科大学に来た時、バス停から降りで研究棟にさしかかる辺りに大きな泰山木の樹があった。気づいていた人は少ないだろう。学生は車に乗って駐車所に行くし、近くの廊下は2階の建物の下で、ちょうど樹のある所は窓枠で見えないからだ。中庭の一部が駐車場になり、研究棟の改築の時に飯場のプレハブ用の2階建てが建って、中庭が使えない時期があった。その後プレハブを次の工事用にそのまま使うかどうかの議題が出た時、教授会で卒業生とそうでない人の間で一悶着あった。どちらも中心メンバーも多く、卒業生の母校愛をめぐって発言が続いた。その前に運動場を潰して駐車場を作ることが承認されて駐車場問題は片付いていたのに、中庭に駐車場の撤去の話題はでなかった。開学当初の中庭を愛する人たちの議論に中庭の駐車場の撤去を誰も言い出さなかったのが気に鳴った。泰山木2本はどうなったか?樹には災難だった。改築のどさくさに桐後されて、来客用の駐車場になってしまった。誰も気に留める人がいなかったようである。
 梔子は「死人にくちなし」で縁起が悪いと言っていた出版社の社長さんが一枚だけ装画(↓)に使っていた。気にしな素振りを見せたのか、切羽詰まっていたのか。「死人にくちなし」である。
 次は、春の花5、か。

「私の散歩道2010~犬・猫・ときどき馬~」6月

佐藤喜志夫『「エデンの東」のようで』

つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:春の花3

「ピノキオとマックスと葛」

 今日から9月である。外に出ると熱くて、畑も出来ないまま9月になった。一昨日は辛うじて外に出て、隣との境の草を片づけた。何日か採れなかったオクラが細い胡瓜くらいになって、こちこち、包丁の葉も通らない。何とか食べられないんですか?と言う人もいるが、まず無理だろう。歯が立たない。これから雨模様が続くようで、少しは外に出る気持ちになればいいが。

「ほぼ初めての春の花」「春の花2」の続きで春の花3である。チューリップ(↑)、罌粟(けし)とポピー、フリージアである。妻が装画を頼まれとき、著者の希望を聞いて花と組み合わせることが多かった。出版社の編集者はそれまであまり見かけなかったような花も使うように著者に薦めてくれたようだが、ごく普通に見かけるような花を希望する人の方が多かったように思う。大抵は私が花屋さんを探し回ることになった。花を探すのが私の役目になっていたからである。近くに花やさんはなかったので、少し離れた場所に探しに行った。大学まで20キロ弱はあったので、途中に寄ることも多かったが、宮崎神宮で開かれる春と夏の植木市にも顔を出した。

 妻が通っている牧場COWBOY UP RANCH(宮崎市清武町大字今泉甲6618)の驢馬とチューリップ(↑、↓)である。牧場主さんは絵を最初に買って下さったので、言わば恩人である。牧場に来る人にも紹介してもらったし、なぜか牧場近くの人も常連でその人たちとも仲良くなっていた。後に取り引き先の牧場主がやっている九州芸術の杜(大分県飯田高原)の画廊で個展をするように牧場主を紹介してくれた。カレンダーを作るようになってからは絵のモデルになってくれた犬ちゃんや猫ちゃんの飼い主も、馬に通って来る人かいっしょについて来た人かである。牧場に一時驢馬がいた。鳴き声がすごいので少し離れた道路下のトンネルに繋がれていたが、妻ともすぐに仲良しになった。いかにも愛嬌のある顔で、どうしても描きたくなったようである。特に牧場主からの注文はなかったが、チューリップと組み合わせた。楽しそうな感じが出したかったようである。ぱおーーーーーんと大きな声で啼く。ある日、阿蘇にある広い牧場にもらわれていった。啼き声を気にすることもなく、牧場を訪れる観光客に囲まれて楽しく過ごしているらしい。今はどうしているだろう?(→「パオンちゃん」

「私の散歩道2020~犬・猫・ときどき馬」3月

 チューリップがいいという飼い主さんもいた。高原で個展をしている時に、近くに別荘を持っていて、福岡から来ていると言っていた。近くの九州芸術の杜にはよく観に来るとのことだった。チューリップは三本ほどいっしょに咲いている植木鉢ごと買ったきた。この花もある時期が過ぎると開き気味になって、ある日はらりと散る。咲き始めるとそう長くは持たないので一気に描いてしまう必要がある。最初の頃はパソコンで画像を見る、そういう時代ではなかった。表紙絵には二匹の柴犬が仲良く収まっている。

「私の散歩道2013~犬・猫・ときどき馬」表紙

 罌粟(けし、↓)は道路脇とか空き地でよく見かけた。明石では露地で見た記憶はない。春先になるとあちこちで咲いている。種が飛ぶんだろう。花びらはあるひはらりと落ちてしまう。自転車で大学に行く途中やキャンパス内にも咲いていたので、摘んで研究室のガラスのコップに入れて飾っていた。可憐な花だ。

「小島けい2006年私製花カレンダー2006 Calendar」5月

 ポピーは著者の希望で装画に使った。はかげなけしと比べて花も大振りではっきりとしている。市役所や県庁脇の花壇や空港近くの道路の両脇にも植えられている。赤や黄や白の花が多い。上のカレンダーは妻がささっと描いて作ってくれたいたカレンダーである。いつくらいから作ってもらっていたのかは忘れてしまったが、捨てるのが惜しいと残し始めたのが2004年からである。それまでのものはすべて捨ててしまっている。ささっと描く絵には勢いがあるので、返す返すも惜しいことをした。後の祭りである。カレンダーが残っていれば、どの月に何をよく描いたのかもわかるのに、と言ってみても仕方がないか。本の装画にもしてもらっているが、明るい華やいだ気分にしてくれる。

「小島けい2006年私製花カレンダー2006 Calendar」3月

「私の散歩道2010~犬・猫・ときどき馬」表紙(企業採用分)

田上二郎『神のいない三つの部屋』

 フリージアも著者が希望した花である。黄色い花が多いが、最近はいろんな色の花が出回っている。フリージアも花屋を探し回った。季節が過ぎると、なかなか見つからないのが難しいところである。明石にいるときも花屋さんで買って、家に飾ったり、学校に持って行ったりしていた花の一つである。カレンダー(↓)にも入っている。
次は、春の花4、である。春の花を1回で書くつもりが、描き始めてみるとやっぱり一回では書き切れなかった。まだ続くかも知れない。

「私の散歩道0909~犬・猫・ときどき馬」3月

つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:春の花2

 「ほぼ初めての春の花」 の続きで、春の花2である。春は花が多すぎて、1回では書き切れない。今回は普段よく見かけていた花をいくつかである。彼岸花(↑)、すみれ、たんぽぽ、桜、むべ、あけび、チューリップ、イリス(↓)、けし、つつじ、ぼたん、紫木蓮、白木蓮、紫陽花、実に多彩である。ほとんどの花を描いてもらった。本の表紙やカレンダーにもたくさん残っている。イリスと牡丹は庭にも植えている。

「私の散歩道2014~犬・猫・ときどき馬」6月(企業採用分)

すみれ、たんぽぽは春先の定番である。都市部に比べてたくさん咲いている分だけ、やはりよく見かける。大振りの紫色のすみれも堤防にはたくさん咲いている。彼岸前には彼岸花(↓)の芽を出し始める。しばらくすると大きな花が咲く。散歩の途中の墓の周りは彼岸花だらけである。山頭火(→「 なんで山頭火?」、→「山頭火の生涯」)の句の中でも「移りきて お彼岸花の はなざかり」が一番好きだ。

 死にきれず得度したあとしばらく堂守をしていたが、も収まり切れずに行乞の旅に出た。歩いても歩いても、果てのない旅である。日記が重くなって頭陀袋に背負いきれなくなると飯塚の炭鉱医木村緑平(↓)のもとに送り届けている。それが大山澄太の手に渡り、編集された。(→「つれづれに:山頭火の世界④ー防府②」(2021年10月28日))今山頭火の句や日記が読めるのも二人の句友のお陰である。雑誌「層雲」で知り合っただけである。彼岸花の句は、定住を決めて借りた百姓家を其中庵と名づけて、丹生庵した時に詠んだ句で、「其中日記」の初め辺りにある。束の間でも、やっとほっとした、そんな息遣いが聞こえてくる。

 桜(↓)はありふれたどこにでも咲いている花だが、花をみるとやっぱいい。色あいが儚げだ。はらはらと散る。描いてもらうために、ずいぶんと色んなところで蕾のついた枝をもらった。鋏をいれる前に、毎回「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉が浮かんだ。ごめんなさい。絵になって、装画にもカレンダーにも残っている。梅と桜の絵やカレンダーが、やはり一番多い。

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遠藤康『さくら殺人事件』(1994/8/4)

 春先に郁子(むべ、↓)や通草(あけび)の花をみかけるようになった。よく見るといろんなところに咲いている。地味で小粒だが、勢いがあるときはなかなかである。色あいもいい。花はよく似ているが郁子は臙脂がかっていて、通草は紫がかっている。それぞれの実の色である。妻がてかてかしているので郁子の実は好きでないようだが、通草は探し回った。大学に来た頃はまだ運動場があって、ラグビーやサッカーや野球をやっていた。高いフェンスで囲われていたが、そのフェンスに通草がなっていた。医大から旧宮大に非常勤で出かけるときにも両脇の繁みで通草を見つけた。そのうちの何本かを持って帰って玄関脇の花壇に植えて、何年かしたらほんとにきれいなあけびがなった。カーポートの下に針金を編んではわせていたからだ。台風でも傷がつかずに格好の場所だ、と思っていた。ある日、首筋に何かがぽとりと落ちた。毛虫である。葉と同じ色の毛の多い成虫である。幸い嚙まれなかったが、処分するしかなかった。毎日自転車の出し入れをする。蔓植物はあるひ突然なくなる運命にある。巻いた本体による。大学の運動場も統合でなくなってしまったし、旧宮大へ行く途中の繁みでも、根元をはつられてしまった。
 次は、春の花3、か。

「私の散歩道2010~犬・猫・ときどき馬」3月(企業採用分)