2010年~の執筆物

概要

「モンド通信」No. 73 、2014年12月1日に掲載されなかった分です。

前回から、2冊目の英文書『アフリカとその末裔たち―新植民地時代』(Africa and its Descendants 2―Neo-colonial Stage―)について書いています。

『アフリカとその末裔たち―新植民地時代』

前回は2冊目の英文書『アフリカとその末裔たち―新植民地時代』(Africa and its Descendants 2―Neo-colonial Stage―)を書いた経緯を書きました。今回は本の半分を割いて書いた第二次戦後に再構築された制度について詳しく書いています。

本文

アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度③制度概要

発展途上国と先進国の経済格差は長年の奴隷貿易や植民地支配によって作られたもので、と過去のことのように捉えられがちですが、実は経済格差は今も是正されていないどころかますます広がっている、つまり形を変えて今も搾取構造が温存されているということです。奴隷貿易や植民地支配のようにあからさまではありませんし、巧妙に仕組まれていますので、ついだまされそうになりますが、少し冷静になって考えてみればすぐにわかります。

第二次世界大戦の殺し合いで総体的な力を落としたヨーロッパ社会は荒廃した国土を立て直しながら、あらたな搾取態勢の構築に向けて余念がありませんでした。発展途上国の力が上がったわけではありませんが、ヨーロッパ社会の力の低下に乗じてそれまで虐げられ続けて来たアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ社会は、欧米で学んで帰国した若き指導者たちに先導されてたたかい始めました。1955年のバンドンでのアジア・アフリカ会議後の独立運動、南アフリカのクリップタウンでの国民会議後のアパルトヘイト撤廃に向けての闘争、1954年の合衆国最高裁での公立学校での人種隔離政策への違憲判決の後に続く公民権運動など、世界中で解放に向けての闘いが勢いを増して行きました。

先進国に住んでいる大半が持ち合わせている先進国と発展途上国の関係についての意識と、実際は大きく違います。先進国の繁栄が発展途上国の犠牲の上に成り立っているのに、入学してくる大学生の大半は、アフリカは遅れている、貧しいから日本が援助してやっている、と考えています。(それほど日本の教育制度が「完璧」、ということでしょう。)

今年の後期の授業では最初に「アフリカの蹄」の冒頭の場面を見てもらいました。主人公の作田医師のアフリカについての意識が、大半の学生の意識と似ているからです。

「アフリカの蹄」は2003年2月にNHKで放映されたもので、帚木蓬生原作、矢島正雄脚本、大沢たかお主演のドラマです。原作にも映画にも、南アフリカの実名は出てきませんが、アパルトヘイト体制下の話です。

「アフリカの蹄」文庫本の表紙

(あらすじ:大学病院で医局の教授と衝突して南アフリカに飛ばされた医師作田信は、少年を助けたことがきっかけでアフリカ人居住区に出入りするようになり、有能な医師や教師に出会い、極右翼グループの天然痘によるアフリカ人せん滅作戦に巻き込まれていきます。白人の子供たちだけにワクチンを接種して、天然痘菌をばらまきアフリカ人の子供に感染させてせん滅をはかるという作戦です。子供たちの間に感染が広まり始めた時、細菌学者から国立衛生局に残されていたワクチンを分けてもらいますが、当局の妨害にあってワクチンが入手出来なくなり、事態を打開するために、天然痘菌を作田が国外に持ち出して世界保健機構や国連の助けでワクチンを国内に持ち帰り、その陰謀を阻止する、という内容です。)

映画の中で、作田医師がアフリカ人居住区の診療所で反政府活動家の青年ネオ・タウに突然殴られる場面がありますが、その時の作田信とネオ・タウの認識は、どう違っていたのでしょうか。

作田は大学の上司とそりが合わずに偶々南アフリカに飛ばされた優秀な心臓外科医ですが、作田が当時持ち合わせていた南アフリカについての知識は、一般の日本人と大差はなく、動物の保護区や豪華なゴルフ場、ケープタウンやダーバンなどの風光明媚な観光地、世界一豪華な寝台列車、くらいではなかったでしょうか。おそらく、作田にとっての南アフリカは、「日本から遠く離れた、アパルトヘイトに苦しむ可哀想な国」にしか過ぎなかったと思います。しかし、ネオにとっての日本は違います。日本は、1960年のシャープヴィルの虐殺事件以来、アパルトヘイト政権を支えてアフリカ人を苦しめ続け、貿易で莫大な利益を貪ってきた経済最優先の国であり、その日本からやって来た作田は、貿易の見返りに「居住区に関する限り白人並みの扱いを受ける」名誉白人の一人で、無恥厚顔な日本人だったのです。

作田役を演じる大澤たかお

世界の経済制裁の流れに逆行して、1960年に「国交の再開と大使館の新設」を約束した日本政府は、翌年には通商条約を結び、以来、先端技術産業や軍需産業には不可欠なクロム、マンガン、モリブデン、バナジウムなどの希少金属やその他の貿易品から多くの利益を得て来ました。石原慎太郎などが旗を振った「日本・南アフリカ友好議員連盟」や、大企業の「南部アフリカ貿易懇話会」などにも後押しされて、日本は1988年には南アフリカ最大の貿易相手国となり、国連総会でも名指しで非難されています。

当初、作田にもその理由はわかりませんでしたが、天然痘事件にかかわるなかで、ネオが本当に殴りつけたかった正体が、南アフリカと深く関わり利益を貪り続けながら、加害者意識のかけらも持ち合わせていない一般の日本人と、その自己意識であったことに気づきます。ネオには、作田もそんな日本人の一人に他ならなかったのです。

先進国と発展途上国の関係は日本と南アフリカとの関係、先進国と発展途上国の人たちの意識は日本人医師と南アフリカ人青年の意識と重なります。

第二次世界大戦後、戦争で被害がなくヨーロッパに金を貸しつけたアメリカと、ヨーロッパ諸国は、それまでの植民地支配に代わる搾取機構として、多国籍企業による経済支配の制度を確立して行きました。機構を守るのは国際連合、金を取り扱うのは世界銀行、国際通貨基金で、名目は低開発国に援助をするという「開発と援助」でした。

1章では発展途上国が解放を求めてたたかった典型的な例として、ガーナとコンゴを取り上げました。次回はガーナの場合、です。

次回は「アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度④」です。(宮崎大学医学部教員)(宮崎大学医学部教員)

執筆年

2014年

収録・公開

「アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度③制度概略1」(「モンド通信」No. 73 、2014年12月1日に掲載されなかった分です。

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2010年~の執筆物

概要

前回は「アフリカとその末裔たち」(Africa and its Descendants 1)の3章「アメリカ黒人小史」("A Short History of Black Americans")の「公民権運動、その後」について書ました。

(『アフリカとその末裔たち1』1刷)

前回までジンバブエに行ったあとに書いた英文書「アフリカとその末裔たち」(Africa and its Descendants 1)に沿って、アフリカ史、南アフリカ史、アフリカ系アメリカ史を12回に渡って紹介してきましたが、今回からは、2冊目の英文書「アフリカとその末裔たち―新植民地時代」(Africa and its Descendants 2―Neo-colonial Stage―)の紹介をしようと思います。

1冊目は簡単なアフリカとアフロアメリカの歴史の紹介でしたので、2冊目は、アフリカについては

①第二次世界大戦後に先進国が再構築した搾取制度、開発や援助の名目で繰り広げられている多国籍企業による経済支配とその基本構造、

②アフリカの作家が書き残した書いた物語や小説、

③今日的な問題に絞り、

④アフロアメリカについてはゴスペルからラップにいたるアフリカ系アメリカ人の音楽

に絞って、内容を深めました。①が半分ほどを占め、引用なども含めて少し英文が難しくなっています。医学科の英語の授業で使うために書きました。

『アフリカとその末裔たち―新植民地時代』

本文

アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度①概略

書くための時間がほしくて30を過ぎてから大学を探し始め、38の時に教養の英語担当の講師として旧宮崎医科大学に辛うじて辿り着いたのですが、大学は学生のためにありますから、当然、教育と研究も求められます。元々人間も授業も嫌いではないようで、研究室にもよく学生が来てくれますし、授業も「仕事」だと思わないでやれるのは幸いだったように思います。

宮崎医科大学

戦後アメリカに無条件降伏を強いられて日常がアメリカ化される生活を目の当たりにして来た世代でもありますので、元々アメリカも英語も「苦手」です。学校でやらされる英語には全く馴染めませんでした。中学や高校でやらされる「英語」は大学入試のためだけのもので、よけいに馴染めなかったようです。高校で英語をやらないということは、今の制度では「いい大学」には行けないということですので、今から思えば、嫌でも英語をやった方が楽だったのかも知れません。

したがって、大学で医学科の学生に英語の授業をするようになっても、最初から「英語をする」という発想はありませんでした。するなら、英語で何かをする、でした。

何をするか。

最初は一年生の担当で、100分を30回の授業でした。一回きりならともかく、30回ともなると、相当な内容が必要です。学生とは多くの時間をともにしますし、一番身近な存在の一つでもあります。学生の一人一人と向き合ってきちんと授業をやることは、自分にとっても大きなことでした。

おのずと答えは出てきました。自分がきちんと向き合って考えてきたことを題材にする、でした。それは、リチャード・ライトでアフロアメリカの歴史を、ラ・グーマでアフリカの歴史をみてゆくなかで辿り着いた結論でもあります。過去500年あまりの西洋諸国による奴隷貿易や植民地支配によって、現在の先進国と発展途上国の格差が出来、今も形を変えてその搾取構造が温存されている、しかも先進国に住む日本人は、発展途上国から搾り取ることで繁栄を続けていい思いをしているのに、加害者意識のかけらも持ち合わせていない、ということです。

リチャード・ライト(小島けい画)

アレックス・ラ・グーマ(小島けい画)

将来社会的にも影響力のある立場になる医者の卵が、その意識のままで医者になってはいけない、という思いも少しありました。

それと英語も言葉の一つですから、実際に使えないと意味がありません。そこで、できるだけ英語を使い、実際の英語を記録した雑誌や新聞、ドキュメンタリーや映画など、いろんなものを題材にして、学生の意識下に働きかける、そんな方向で進んできたように思えます。

二冊の英文書も、その延長上で書きました。実際には、アメリカに反発して英語をしてこなかった僕が、授業で英語を使えるようになるのも、英文で本を書くのも、授業で使ういろんな材料を集めるのも、作ったりするのも、なかなか大変でした。ま、今も大変ですが。

今の大学に来て27年目で、今年度末の3月で定年退職です。まもなく最後の半期が始まります。

次回は「アフリカとその末裔たち 2 (2) 戦後再構築された制度②」です。(宮崎大学医学部教員)

執筆年

      2014年

収録・公開

編集の手違いで収録されていませんので、元原稿からここに収載しています。

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「アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度①」

2010年~の執筆物

概要

前回から、2冊目の英文書『アフリカとその末裔たち―新植民地時代』(Africa and its Descendants 2―Neo-colonial Stage―)について書いています。

『アフリカとその末裔たち―新植民地時代』

アフリカについては1冊目で簡単な歴史書きましたので、2冊目では、本の半分を割いて、「第二次世界大戦後に先進国が再構築した搾取制度、開発や援助の名目で繰り広げられている多国籍企業による経済支配とその基本構造」を詳しく書きました。その概略の後半です。

本文

アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度②執筆の経緯

医学科で授業を始めた当初「学生の意識下に働きかける」ために選んだ題材は、中高ではあまり取り上げられないアフロ・アメリカと南アフリカの歴史や文学や音楽でした。それらは「自分がきちんと向き合って考えてきたこと」でもありましたし、一般教養の時間に考える材料として相応しいと考えたからでした。
リチャード・ライトの作品を理解するために辿ったアフロ・アメリカの歴史は、公教育の場で教えられる歴史、勝者の側からの歴史とは違っていました。詩人ラングストン・ヒューズが「黒人史の栄光」(1958年)で書いたように

「何千ものアフリカ人が無理やりアメリカに連れて来られて綿や米、とうもろこしや小麦の栽培をやらされ、道路を造り森を切り開き、初期のアメリカを作ることになるほとんどすべての厳しい仕事をやらされました。」

大学用テキスト「黒人史の栄光」

現代のアメリカの繁栄はそういう人たちの犠牲の上に成り立っていたわけです。アレックス・ラ・グーマの作品を理解するために辿った南アフリカの歴史では、ヨーロッパ人入植者が南部アフリカ一帯に作り上げた一大搾取機構によって絞り取られ続けるアフリカ人の構図が浮かび上がって来ました。日本も白人入植者のよきパートナーで、現代の日本の繁栄はそういった第三世界の犠牲の上に成り立っていたわけです。

1992年にジンバブエの首都ハラレに滞在してからは、アフロ・アメリカと南アフリカに加えて、アフリカ全般の歴史、特に第二次世界大戦後の基本構造について話す時間が増えました。ジンバブエ大学の学生に案内されて行った寮での最初の質問が「日本の街ではニンジャが走ってるの?」でしたし、行く前に「ライオンに気をつけてね」と何度も言われたからで、これではお互いの理解はあり得ないと実感しました。ミシシッピ大でのライトのシンポジウム(1985年)に参加したり、サンフランシスコでの学会(1987年)やカナダでのラ・グーマの記念大会(1988年)で発表したりもしましたが、一番身の回りの人の深層に語りかけられなくてどうする、という思いの方が強くなり、今に至っています。

ジンバブエ大学学生寮ニューホール

日本でもアメリカでも学会での関心は専ら自分の業績にあって、アフリカそのものにはないように感じられましたし、ジンバブエでは加害者側の後ろめたさのせいだったのでしょうか、終始息苦しく感じられて、それ以降何度も機会はあったのですが、なかなか第三世界に出かけて行く気にはなれないまま、歳月が過ぎてしまいました。
(→「リチャード・ライト国際シンポジウムから帰って(ミシシッピ州立大、11/21-23)」、→「セスゥル・エイブラハムズ -アレックス・ラ・グーマの伝記家を訪ねて-」ライトのシンポジウム

アフロ・アメリカの映像題材には、アレックス・ヘイリーの『ルーツ』を元に作られたテレビドラマ「ルーツ」(1977年)や映画「招かれざる客」(1968年)など、南アフリカに関してはドキュメンタリー「ディンバザ」(日本反アパルトヘイト委員会制作、制作年不詳)、「教室の戦士たち~アパルトヘイトの中の青春」や映画「ガンジー」(1982年)、「遠い夜明け」(1987年)など、アフリカに関しては、英国誌タイムズの元記者で後にたくさんの歴史書を書いた英国人バズル・デヴィドスンが案内役の「アフリカシリーズ」(1983年、NHK)などを使いました。(→「アフリカ史再考②『アフリカシリーズ」』」)、「モンド通信」No.49. 2012年9月10日)(宮崎大学医学部教員)

(写真:「ルーツ」30周年記念DVD表紙)

執筆年

  2014年

収録・公開

  →「アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度①」(「モンド通信」No. 72、2014年11月1日)

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「アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度①」

2010年~の執筆物

門土社(横浜)のメールマガジン「モンド通信」にNo. 63 (2013年11月)からNo. 71 (2014年7月)まで連載したAfrica and Its Descendants (Mondo Books, 1995)の解説(英文・日本語訳も)です。↓

<1>→「アフリカ小史前半」

<2>→「アフリカ小史後半」

<3>→「南アフリカ小史前半」

<4>→「南アフリカ後半」

<5>→「アフリカ系アメリカ小史①奴隷貿易と奴隷制」

<6>→「アフリカ系アメリカ小史②奴隷解放」

<7>→「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」

<8>→「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」

<9>→「アフリカ系アメリカ小史⑤公民権運動、その後」

アフリカ人とアフリカ系米国人の歴史を虐げられた側から捉え直した英文書で、英語の授業でも使いました。アフリカとアフロ・アメリカの歴史を繋いで日本人が英語で書いたのは初めてだと思います。

一章では、西洋人が豊かなアフリカ人社会を破壊してきた過程を、奴隷貿易による資本の蓄積→欧州の産業革命→植民地争奪戦→世界大戦→新植民地化と辿りました。

二章では南アフリカの植民地化の過程と現状を詳説しました。全体の半分を占めています。

三章では奴隷貿易→南北戦争→公民権運動を軸に、アフリカ系アメリカ人の歴史を概観しました。

『アフリカとその末裔たち』