発表1「HIV/AIDSから社会問題を炙(あぶ)り出す」 赤木秀男
この世界には数多の病気(疾患)がある。その中でなぜAIDSは世界の貧困、搾取、不平等、差別、偏見を炙り出す疾患たりうるのか。AIDSの病気としての特徴に焦点を当てつつ、この疑問について考える。結論を先取りすると、AIDS特有の①歴史、②感染経路、③発現形式、④感染拡大防止方法、⑤治療ゆえに、AIDSは社会問題の1つの切り口になると私は考える。
まずはHIVとAIDSの違いについてであるが、HIVとはHuman Immunodeficiency Virus(ヒト免疫不全ウイルス)との名前の通りウイルスの名前である。AIDSはAcquired Immunodeficiency Syndrome(後天性免疫不全症候群)であり、HIVに感染した人が免疫能の低下により23の合併症のいずれかを発症した状態である。
HIV
① 歴史
AIDSは1981年6月にアメリカで初報告された。1980年10月から1981年3月にかけてカリフォルニア州ロサンゼルスの3つの異なる病院にて5人の同性愛者の男性がニューモシスチス肺炎を発症した。ニューモシスチス肺炎は免疫能が正常である成人男性ではおおよそ罹患し得ない疾患である。この報告からHIV/AIDSに対する研究はスタートした。同性愛者、貧困層、麻薬中毒者という集団から広まっていったという歴史は、HIV/AIDSが社会問題を炙り出す疾患といえる一つの要因であると思う。
それから今年で40年である。2021年6月のWHO統計では、この40年間に世界で3770万人がHIVに感染し、2020年の1年では150万人が新規に感染し、68万人がAIDSで死亡したと推計されている。本邦でも2019年の1年間で891人の新規感染者が報告されている。これらの数字は、後述するAIDSの特徴ゆえに、あくまで推計人数に留まり、実数を捉えることは不可能であろう。
② 感染経路
HIVの感染経路は3つしか報告されていない。(a) HIV感染者との性交、(b) HIVが混入している血液との濃厚接触、(c) HIV感染者の妊娠・出産である。HIVはウイルス自体の生存戦略であろうか、宿主である人を「生かさず、殺さず」に生き長らえさせる。HIVは血液や精液中の濃度が高くなるような戦略を取っている。血液、精液を通じて感染が広がるという特徴は、HIV/AIDSをして社会問題を映し出す一つの理由であろうと考える。
麻薬の静脈注射
③ 発現様式
HIV感染からAIDSに至るまでに数年~数十年という無症候性の潜伏期がある。この点についてはまず、免疫機構について高校生物の範囲で簡単に復習する。
ヒトの体内環境は常にウイルスや細菌などの病原体が感染する危険にさらされている。免疫とは、そんな病原体の感染から体を守るしくみであり、免疫細胞とは、体を守る細胞で、病原体の感染から体を守る細胞のことをいう。血液の細胞の中で免疫にかかわるのは白血球で、その白血球は大きく好中球、マクロファージ、リンパ球に分かれる。好中球、マクロファージは食細胞とも呼ばれ、病原体を食べて撃退する。これは生まれながらに誰もが持っている免疫の働きであり、自然免疫と呼ばれる。リンパ球はT細胞とB細胞に分かれ、樹状細胞が抗原提示することでT細胞が活性化する。T細胞には司令塔でありB細胞に抗原提示をし、マクロファージを励ますヘルパーT細胞と、病原体そのものを殺すのではなく感染した細胞ごと殺すキラーT細胞があり、これらT細胞による免疫を細胞性免疫という。もう一つ、体液性免疫という仕組みがあり、これはヘルパーT細胞から抗原提示を受けたB細胞が抗体を産生し、その抗体が病原体の表面にくっつき毒素を抑え、病原体がそれ以上感染できないように無力化する。
HIVはT細胞(ヘルパーT細胞、キラーT細胞)に入り込んで、T細胞を破壊する。それゆえに細胞性免疫、体液性免疫(2つを併せて適応免疫と呼ぶ)が機能しなくなる。免疫機構が機能しないため、病原体の感染から体を守ることができなくなり、HIV感染者は「免疫不全」の状態となる。「免疫不全」ゆえに、健常人ではおおよそ罹らない弱小病原体にまで罹ってしまう状態になると、AIDSと診断される。
ヒトがHIVに感染すると、体内のHIV数はいったん上昇したのちに、T細胞による作用も相まって減少に転ずる。しかし、決してゼロにはならない。HIVは体内に潜伏する。もともと新陳代謝が激しいT細胞は、病原体であるHIVと闘いながらも、HIVの影響でその数は徐々に減少していく。この間、感染したヒトは無症状である。T細胞数が体内に潜伏するHIVにあらがえないレベルにまで至ったとき、HIVは青天井の増殖をはじめるが、その時はまたAIDSの状態である。間もなく宿主の死を迎えることとなる。
以上に述べたように潜伏期を経るというHIV/AIDSの特徴ゆえに、HIV/AIDSは社会問題を炙り出すのであろう。
④ 感染拡大防止方法
HIVの感染拡大予防のためには、検査と防護が必要である。まず、感染を広げないために誰がHIVに感染していて、誰が感染していないのか、感染している本人も含めて知っておく必要がある。先に述べたようにHIVは無症状の潜伏期があるがゆえに、現に症状がない人(「元気」な人)も含めて、感染の可能性が少しでもあるヒトを広く検査をする必要がある。広く検査をするには、その社会において検査体制のみならずその先の治療まで充実している必要があろう。感染者の立場からすると、仮に陽性と判明しても、治療法がなければ、他人に移さないようにするよう注意する程度で、本人にとって検査を受けるメリットは少なく映るからである。陽性と判明したら社会的偏見にさらされるのであれば、なおさらであろう。
次に、感染者が分かったならば(感染者が分からなくとも標準的な)それを広げないための予防を行う必要がある。3つの感染経路に沿っていうならば (a) HIV感染者との性交に関してはコンドームの使用、(b) HIVが混入している血液との濃厚接触に関しては注射の回し打ちをしない、献血に感染がないかのチェック、(c) HIV感染者の妊娠・出産に関しては垂直感染防止の措置が取られる必要がある。以上に加えて、性教育やHIV/AIDSに対する認知を高めていく必要等もあるだろう。
検査体制と感染を広げないための対策がどこまで可能かという点についても、その社会や階層によって違いが出てくる。つまり、社会・階層の違いがHIV/AIDS流行状況の違いとして出てきそうである。
⑤ 治療
HIVにはそれ自体の予防薬、完治薬はなく、ただAIDS発症を遅らせる治療しかない。薬により体内のHIV増殖を抑え、T細胞数を保つことでAIDSを発症させないようにはできるが、体内からHIVを完全に排除することはできないのである。十分な治療が受けられる社会でのHIV感染者のあり様、十分な治療が受けられない社会でのHIV患者のあり様は大きく異なってくる。治療薬自体に関しても、その知的財産権や価格について様々な議論があったことは記憶に新しいであろう。
抗HIV製剤
まとめると、HIV/AIDSは1~5ゆえに、世界全体の、社会の中での、さまざまな問題や矛盾を映し出す病気たり得るのだと考える。逆に、病気(HIV)はヒトを選ばない(国籍、人種、年齢)ため、HIV/AIDS患者のあり様はその社会を映し出す鏡とも言える。社会問題を考える際に一つの疾患に着目することは「artificial(人工的)な因子」を排除する観点からも非常に有用なアプローチであろう。
【参考】
・NHK高校講座「免疫のシステム」
(https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/seibutsukiso/archive/resume025.html、2021年11月22日最終アクセス)
・MS Gottlieb. Epidemiologic Notes and Reports Pneumocystis Pneumonia — Los Angeles. CDC MMWR Jun. 1981
・厚生労働省「新規HIV感染者・エイズ患者報告数の推移」
(https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/02-08-03-07.html、2021年11月22日最終アクセス)
・ステッドマン医学大辞典編集委員会編『ステッドマン医学大辞典 第6版』(メジカルビュー社、2008年)
・高久史麿ほか『新臨床内科学 第9版』(医学書院、2009年)
・田沼順子「HIVの最新知見」(『臨床とウイルス』49巻1号、2021年)
・WHO「HIV/AIDS」
(https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/hiv-aids、2021年11月22日最終アクセス)
・塚田訓久「HIV-世界と日本の動向」(『小児内科』49巻11号、2017年)
・東京都福祉保健局「エイズという病気とその現状」
(https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/aids/genjo.html、2021年11月22日最終アクセス)
・平井由児「コンドームの歴史的変遷と予防~性感染症から臓器移植まで」(『東医大誌』77巻2号、2019年)
・水越幹雄「ベトナムでの性感染症予防啓発活動」(『バムサジャーナル』32巻4号、2020年)