つれづれに:沈丁花
小島けい画
庭の沈丁花が盛りである。このかぐわしい匂いを感じると春が来たと思う。→「中朝霧丘」の家にいたときは南東の方角に、大きな沈丁花があって、毎年3月になると甘酸っぱい匂いを漂わせていた。結婚した当初は朝霧駅(↓)の近くの瀬戸内海が一望できるマンションに住んでいたが、娘が生まれてからは→「明石」の西の端に出来た新築の職員住宅に移った。
海側(南)から見た朝霧駅
生まれた頃の娘はよく熱を出した。加湿器をたき、喉(のど)にいいからと眠気眼(まなこ)でとまとを布で越して飲ませる日が続いた。布で絞るのは結構力が要る。ミキサーとかを使えばよかったのかも知れないが、そのときの指の痛さがなんとなく残っている。気密性がいいのがよかったか悪かったのか、熱がなかなか下がらないので、ある日妻は「家に帰る」と言って、妻を亡くして一人暮らしをしていた父親の住む中朝霧の家に行った。ついていくしかなかったが、妻の父親は愛しい娘と孫と毎日暮らせるようになったのだから、結果的にはよかった。娘は変わらずつれなかったが、懐(なつ)いてくれる孫とずっといっしょに過ごせて、一気に若返った。その人が植えた沈丁花で、かなりの大きさに育っていた。その写真がないのが残念である。家は震災の被害を受けて、屋台骨がやられた。その時に更地にしておけば、費用がかからなかったらしいが、更地にしたのはずっと後のことである。
瀬戸大橋はまだなかったが‥‥
宮崎で最初に住んだ借家では沈丁花とは縁はなかったが、高台の家に越して来てから、宮崎神宮(↓)の植木市で2本苗木を買って、玄関の階段の両脇の花壇に植えた。花が咲いて初めて色が白と臙脂(えんじ)だと知ったが、白の方はなぜか枯れてしまった。そのあと、花壇が窮屈になったので、敷地内の花壇に植え替えた。今満開なのはその花である。
その頃は、旧の宮崎大学の→「非常勤」でいっしょだった人に頼まれて宮崎公立大(→「市立大学」)に非常勤に通っていたので、帰りに近くの宮崎神宮の植木市に寄って苗木を見つけた。木花駅から日南線で宮崎駅まで行き、駅の駐車場に置いていた自転車で公立大に行った。帰りに量販店に寄ったり、大学の少し北側にある餃子屋さん(↓)を見つけて買って帰っていた。神戸の人で、長いこと台湾に住んでいた女性が拵(こしら)えた餃子は、皮も具も私の好みにぴったりなので、今でも年に何回か買いに行っている。
その時のように何気に自転車には乗れないが、電動自転車の力を借りて、何とか自力で買いに行っている。20数キロほどあって、1時間余りはかかる。その店が現在の自転車で行っている北限である。ちなみに、南限は内海(うちうみ)港の近くにある南風茶屋(↓)である。そちらは20キロほどで、1時間と少しかかる。