つれづれに

つれづれに:畑を再開しました

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」3月

 組織検査のあと入院に近い状態が続いている間に、すっかり春になったようである。カレンダーも3月である。

3日前に畑を再開して、大根とブロッコリーを植え替えた。普段この時期に植え替えはしないので、うまく行かないかも知れない。植え替えていないブロッコリーも大きくなっている。まだ20本以上もある。

 虫にやられるし、植え替えても去年は黄色くなって結局食べられなかったが‥‥。ただ、今年は畑が出来なかった時間が長かったので、夏野菜のオクラと胡瓜の種を蒔き、瓢箪南瓜の柵の準備も併行してやっている。近いうちに茄子ととまとの種を買って来て、蒔こうと思う。それと、今年初めてだが、去年食べた西瓜の種を取っているので、それも蒔いてみようと思っている。甘くない西瓜は食べる気がしないので、肥料も準備しておいしいのが穫れるといいが。瓢箪南瓜を登らせる柵の下の地面に西瓜を這わせるつもりだが、そんなにうまくいくかどうか。ま、一度やってみるつもりだ。

畑をすると、旧暦が身近になる。旧暦を意識するのは久しぶりである。なんでもない日常がありがたい。普段通りに日常を送れない間に、小雪(11月22日)、 大雪(12月7日)、冬至(12月22日)、 小寒(1月5日)、 大寒(1月20日)、立春(2月4日)、雨水(2月19日)が終わり、啓蟄(3月5日)も過ぎてしまった。次は 春分(3月21日)である。

啓蟄(けいちつ)は「土中で冬ごもりをしていた生き物たちが目覚める頃のこと」だそうで、そろそろ冬野菜が虫にやられ始めている。大根にもしろい花が咲き始めた。

 北側に植えているので、沈丁花はなかなか大きくならないが、満開でいい香りの盛りも過ぎてしまったようである。南側に植えたかったが、畑と紫陽花や日向夏や他の花で空間に余裕がなく北側になってしまった。

 今年初めて散歩の途中で気づいたのだが、黄色い花に勢いがあった。春先、黄色い花で検索をかけて調べようとしていたら、ウェブのページに写真入りで「ミモザ ふんわりとした黄色の花を咲かせ見頃を迎えたミモザ=7日午前10時50分、佐野市黒袴町(下野新聞SOON)」と解説があった。ミモザは名前は聞いたことがあったが「この花の名前やったんや」と納得した。写真は撮り方が悪かったのか、あまり鮮明ではないが、実際は鮮やかで勢いがあった。樹はよく通る道筋にあったのに、今年初めて気づくとは。「だいぶ大きな樹なのに‥‥」、そんなことを思いながら、見上げてシャッターを切った。

 白木蓮もあちこちで咲いている。去年の鮮やかな花を思い出してカメラを持って行ったのだが、すでに盛りを過ぎていた。それで、去年と同じ写真(↓)である。来年は盛りに間に合うように、カメラを持っていければいいのだが。→「木蓮」

 落ちた蜜柑を拾って来て、二つ切りにして南側の金木犀の垣根の枝にさしておくと、鳥さんたちが来てくれる。畑に降りるときもある。猫が窓辺で興奮気味にじっと見つめる。大きなブロッコリーの葉っぱも好きなようだ。「虫に葉がやられた」ではなく「鳥にやられた」である。それでも、影響なく収穫してすでに食べてしまっている。鳥の写真は撮るのが難しい。気配を消して待つ必要があるからだ。今年はとてもそんな余裕はなかった。窓から「また来てくれてるなあ」と猫といっしょに眺めていた。気配を消してじっと待ち、何年か前に撮れた写真(↓)である。近くにいても逃げないで、撮らせてくれた。版権についての文句は出なかったように思う。

 豌豆の白い花が緑に映える。もうすぐ絹さやが収穫出来そうである。

 去年採ったオクラの種と、買って来て蒔けずに置いたままだった胡瓜の種を蒔いた。うまく芽を出してくれればいいが。どちらも芽が少し大きくなった頃に植え替えるつもりである。直播で充分だが、今年は肥料を入れる余裕がなかったので、少しの間の時間稼ぎである。

日常を普段通り過ごせるのは何よりである。七部くらいは、元に戻ったようである。

つれづれに

つれづれに:日常を少しずつ

白浜海岸

 昨日は雨だったが、今日は朝からきれいに晴れている。日常を少しずつ戻したい。昨日は組織検査の前から行けていなかった白浜で、マッサージをしてもらった。それまでの日常が無事に送れていた何割かは、そのマッサージのおかげである。宮崎で指まできっちりと入れて揉んでもらえるのは、奇跡に近い。長いこと2週間に1度のペースで通っていたが、去年から週に1度のペースにした。検査の話が出てからはしばらく通えないと思っていたが、車で送迎してもらって、今は週2回のペースである。マッサージのあと、鍼と電気の灸をしてもらっている。あと3ケ月程はこのペースを続けようと思う。

 今日は散歩に出かけた。これもずいぶんと久しぶりである。加江田の山(↑)は春の陽射しを浴びてかすみ気味だった。高台の公園には階段を使わずに、なだらかな坂を登って行った。公園では久しぶりに遠くに青島(↓)を望む景色も眺めた。桜が花を咲かせる準備をしている。桜の頃には、満開の樹の下に敷物を敷いて夜桜を楽しむ家族もいるし、昼に弁当を広げて楽しむ家族もいる。もうすぐその季節がやってくる。

 最近は墓の横の道ではなく、公園の東端の舗道を通って散歩コースを歩くことが多い。今日も公園から少し進んだ道の最初の角を右に曲がって木花神社(↓)の前の坂道を下って大通りに出て、踏切前の農産物に行こうと考えて歩いていた。突然、その最初の曲がり角で転んでしまった。

 最近娘が送ってくれた山専用のmont bellのオーバーズボン(↓、上から撮影)が少し破れてしまった。いつものところなので下を見ずに曲がろうとしたら、ブロック塀が切れる辺りで急に下の感じが変わって前のめりに崩れてしまったのである。幸い捻挫とかもなく、そのまま散歩は続けられたが、少し痛みは残ったままである。久しぶりの散歩でふら付いたということだろう。

 それからは、休み休みに進んだ。いつもは目に入って来ないバス停の前のベンチ(↓)で、しばらく休んだ。こういう形で役に立つこともあるようである。

 農産物店で買い物は済ませたが、普段はいない若い人が何組か東の方に歩いていた。何個所かの駐車場(↓)では警備員が何人か立っていて、無断駐車をする人を見張っているようだった。

 いつもは車が止まっていない駐車場(↓)も一杯で、団体が借りたと思われる小型バスも停まっていた。すぐ近くで野球の試合があるので、ざわついているようだ。大通りの突き当りを右折して少し行けば、球場である

 イチローという野球選手が宮崎観光ホテル(↓)に泊まったとき、ちょうど外国からの招待客があって、普段は泊ってもらえる観光ホテルが取れなくて、ビジネスホテルに案内した。その時は「迷惑なこっちゃな‥‥」と腹が立った。道路も車が多くて自転車でも横断し難い所があって、余計に腹が立った。今回は前回に学び、無料駐車場に3000円の料金をかけたそうである。おかげで前回のような渋滞はないような話を聞いた。

 帰りに、小振りの藪椿の枝を切って持って帰った。ちょうど誰の家のものでもない樹が散歩道にはたくさんあって、その樹の一本から拝借したものである。夏は葛に覆われて(↓)花が咲かないのではないかと心配したが、奥の方で辛うじて蕾をつけていた。しばらくは椿の季節が続く。

紀伊国屋、旭屋、東急ハンズなどで販売された「私の散歩道2009~犬・猫・ときどき馬~」表紙

つれづれに

つれづれに:2023初めまして

北側の庭の沈丁花

 11月に体調を崩して普段通りに行かない間に、もうすでに春が始まり、玄関脇から北側の庭に植え替えた沈丁花がほころんで、春の匂いを漂わせている。

 今年初めての更新である。毎月初めに載せていたカレンダーも紹介していない。今年の分の表紙絵(↑)である。

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」表紙絵原画

  1月分も2月分も紹介出来ていないままである。

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」1月

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」1月原画

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」2月

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」2月原画

 今回は医学用語の授業で解説していた二つの用語MRIとinvasiveを体感した。MRIはMagnetic Resonance Imagingの略で磁気共鳴画像、(共鳴して)「MRIは大きな音でうるさかったでしょう?」と言われたが、なぜかほとんど寝てしまっていたので「ええ、まあ‥‥」と答えるしかなかった。

invasiveは侵襲的という日本語を使うらしい。生体組織検査で12か所から針で組織を取って傷ついたので、100パーセント出血する。これが意外ときつかった。畑をするどころか、入院に近い形で2週間いると「侵襲的」と言う意味が体感できた。検査では「シロ」のようだったが、数値は高いので、経過観察3ケ月での放免となった。

庭の畑では、植え替えたブロッコリーが大きくなっている。

 鳥がたくさん来て啄んだので、葉が食べられた部分もあるし、べったりと糞が乗っている部分もあるが、すでに湯掻いて口に入ってしまった分もある。さっと湯掻いた時の緑の色はとてもきれいである。柔らかくて、おいしい。大きな株を取ったあと、脇目が出てかなり大きくなる。
検査結果を聞いた最後に「普段通りにしてもらっていいですよ」と言われたのは何よりである。免疫力がつくように一日を大事にしたい。

つれづれに

つれづれに:2022顛末記

 今回は喉をやられて「日常」が乱れたが、1)干し柿の作業(↑)、2)ボイラーの故障、3)原稿の推敲、4)ブログの更新、5)畑仕事、6)妻の個展(↓)の準備が重なって、寝不足と運動不足になったからである。今後のこともあるので、確認のために1)について「かき顛末記」「かき顛末記②過去の『つれづれに』」「かき顛末記③西条柿」を書いた。今回は「ボイラー顛末記」である。

そのつもりで書き始めたが、もう今年も終わり、引き摺らず、来年は新たに書き出せるように2)~6)もまとめて「2022顛末記」にすることにした

2)ボイラーの故障

災いは突然やって来る。普段通りスイッチを入れて湯を出そうとしたが、出て来ない。それまでも同じことがあったので、一度電源を落として再度やってみた。パソコンなどもそうだが、電源を入れ直して戻ることも多い。しかし、だめだった。中古で買った家なので、前の人と合わせると30年も使っている。いまだに使えているのが不思議なくらいだ。使いながら、日本の技術はすごいなあと実感している。

故障した給湯器のボイラー

 さて問題は二つである。どの業者に頼むか、新しいボイラーが来るまで風呂はどうするかだった。水道やトイレや電気関連などいくつかの業者に頼んでいたが、対応や結果は満足できないことの方が多かった。しかし、最近トイレをやってもらった業者には対応も結果も満足していたので、さっそく電話をかけた。ガス関連は免許も要るので最終的にはガス会社に頼むことになるそうで「直接問い合わせる方が早いですよ」と言われて、紹介されたガス会社に電話した。対応には満足した。来てくれた技術者は外のボイラー(↑)を見て「ファンがあれば交換すればいいんですが‥‥」と言ってくれたが、30年も前の部品がある筈もない。最新式の細かい泡の出る機種を薦めてくれた。「私も欲しいです」と言っていた。元は床暖房、太陽ソーラー器(↓)と連結、追い炊き、給湯の四つの機能があったが、前の三つは既に壊れていて、給湯の機能だけが使えていた。実際には不自由はしなかったので、その機能だけにしてもらった。顛末についてはすでに書いている。(→「ボイラー」

 新しいボイラー(↓)が来るのは1週間後らしかった。風呂をどうするか?近くに銭湯はないし、温泉も青島まで行く必要がある。温泉はコロナですっかりご無沙汰である。選択肢は一つ、ガスコンロで沸かして運ぶしかない。運ぶ作業の一つ一つはそうでもなかったが、最初は4時間、慣れて2時間、1それが週間も続くと、やっぱりきつかった。風呂は続けて入れば、何とか普段通りに冷めずに入れたが、疲労蓄積の一因になったのは否定できない。

 3)原稿の推敲

 9月末が締め切りの新人賞に出すつもりで書いていたが、直前に確認すると、思っていた応募先の締め切りが来年の3月になっていた。書くのを軸に生活しているので間違いはないと思うのだが、締め切りが変わったのか、勘違いだったのか。「そんなあー‥‥」と思いながら、すぐに切り替えて、推敲に時間をかけることにした。9月末の時点ではA4用紙に40×30を134枚、400字詰原稿用に換算すれば402枚になっていた。作業を始めると、自分のくせが見えてくる。読み手にとってどうか、それを基準に何回も見直した。何回もやっていると「これは要らんやろ」、「この部分は押し付けがましいやろ」、「ここは昇華してないで」とか、結構大きなところにも気が付いた。「この表現はちょっと違うやろ」とか漢字の思い違いや言葉遣いがあやふやなところもたくさんあった。何回みても、修正箇所が出てくる。今は96枚で、400字詰で288枚になっている。絞れたようだ。200枚以上500枚までの応募要項は満たしている。もう何回かやってみるつもりだ。40x30A4で3枚の概要もある。作業はずっと続いているので、今回の一因のようである。

 4)ブログの更新

HP「ノアと三太」は最初の画面が10秒後にblog「ノアと三太」のトップページに自動的に切り替わるように設定してもらったので、HPの「つれづれに」は更新しなくて済むようになった。更新が楽にはなったが、小説の修作のつもりで「つれづれに」を毎日書いていたので、それも一因になったようだ。書くのは苦痛ではないが、内容によっては調べるのに時間がかかる場合もある。たとえば、→「米1860」(10月21日)を書いた後、「日1860」↓、「南アフリカ1860」「ジンバブエ1860」「ガーナ1860」「コンゴ1860」「ケニア1860」と一気に書いたが、それぞれ歴史を確認するのに時間がかかった。小説を理解するために歴史を辿った程度だったので、曖昧なところも再考する必要があった。歴史全体をある程度把握していないとわからない場合も多い。「歴史に関心がなかったのに、よく7ケ国について書けたものだ」である。いや「どう絞り出しても7ケ国だった」の方が正確かも知れない。相当無理して書いた気がする。

5)畑仕事

借家についていた60坪ほどの畑で作業を始めた30代の終わり頃のように、気持ちはあっても一気に作業をすることは出来なくなっている。ある時から鍬で耕すと腰が痛くなって、風呂で使う椅子に座って大小のスコップを使って耕すようになっている。不耕起をする覚悟はないので、そのような形を取らざるを得なかった。今年は夏が暑過ぎて畑には出られなかったので、オクラや茄子やピーマンの手入れが出来なかった。台風では、南瓜の竹の柵が大きく傾いてしまった。↓

 一気に片づけて冬野菜の作業をしたかったが、一日に多くて1時間か2時間かを絞り出すのが精一杯だった。しかしそのうちに、10月初めに蒔いたレタスと葱の種から芽が出て大きくなってきたので、植え替える必要が出て来た。それで無理をすることになってしまった。それも一因だったようである。体調も戻って作業が出来るようになり、ペースは一ヶ月か一か月半遅れながら、畑も冬野菜模様になっている。↓

 6)妻の個展の準備

コロナで今年も妻は行けなかったが、東京での個展も十年目になった。去年は販売も注文もだめだったが、今年は一枚買ってもらい、注文も一人あった。描く人には何よりの励みだ。私が個展の案内(↓)やカレンダーの画像の処理などもやっているので、妻の絵のブログ「Forget Me Not」の作業も遠因一つになったようである。最近は海外の訪問者が中心のようで、毎日20人以上の訪問者と200以上の訪問数がある。それで、英語の訳もつけるようになった。時間がかかる。絵をスキャナや写真に撮って画像処理するのにはだいぶ慣れたが、それも時間がかかる。「私の絵画館」などの文章も早く英語訳をつけたいと思っているが、数も多いし、道のりは果てしない。

 喉をやられただけだとそれほど問題ではなかったが、今回は普段通っているクリニック(↓)でしてもらった血液検査が原因で大事になった。検査結果が出た日の夕方に、院長さんから電話があった。そういうのは初めてだったので嫌な予感がしたが、案の定「前立腺の腫瘍マーカーの数値が高いので、医大か県立病院かで詳しく検査して下さい。紹介状を書きますから明日の午前中に来て下さい」と言われた。最初は「知り合いも多いし嫌やな……」と思ったが、実際に病院に行くことを考えると「近い方がいいし‥‥コロナでタクシーも長い距離は怖いし‥‥もし入院するとなったら‥‥」などあれこれ考えて、心を決めて医大に行くことにした。

 翌日院長を訪ねて紹介状を書いてもらったとき「腫瘍マーカーの数値は高いですが、必ずしもがんとは限りませんから。玉田さんの年齢の人には前立腺の異常は多いですし‥‥」と言われた。「医大(↓)に行くことにしました」と言うと「泌尿器科と調整して、日にちが決まったら連絡しますね」と言われた。

 そのあと「どっちみち診察を受けに行けば会わないわけには行かないし、取り敢えず賀本さんにメールをしとくか」と考えて、すぐに元同僚にメールを書いた。反応は早く「私のいる火曜日に来て下さい」と返信があった。結局世話になり診察を受けたあと「前立腺肥大症はありますが、直腸診、超音波では明らかな『がん』の所見はありませんでした」というメールが届いた。

癌か癌でないかは大きな問題で、長いこと仙人みたいな生活をして節制を続け「それでもがんになったらしゃーないな」と思って生きているので、診察結果は何よりだった。まだ来月のMRI検査があるので、最終結果ではないが、一応今のところは今までの生活を続けてもいいようである。

日常を奪われると、何気ない日常が大切に思える。病気になって元同僚に世話になるのも気が引けるが、実際には有難い。大学病院ではMRI検査も何ヶ月も予定が詰まっているそうだが、都合をつけてもらったようだ。実際に診察の時に会った泌尿器科の医者3人は、元同僚と英語の授業で会った元学生の二人だった。

今日はコロナにやられたマッサージの人の差し入れに、久しぶりに白浜まで自転車で行って来た。長い距離をこぐと血流が悪くなるかも知れないと言われたので、立ってこいだ。片道50分程、充分に運動になったと思う。冬の海は濃くてきれいだった。

曽山寺浜の橋の上から見える青島、海の色が濃かった

 「青島神社の参道は人影がまばらだった」と書くつもりだったが、予想に反してそれなりの人出があった。見たことがないので実感は湧かないが、これからの初詣には、たくさんの人が訪れるのか?