栄山寺八角堂(『心のふるさとをゆく』口絵)
立原正秋の『心のふるさとをゆく』を読んで出かけたところが何個所かある。栄山寺の八角堂もその一つである。
「吉野川に沿って栄山寺はうしろに山をひかえて建っていた。なんと素朴な、ささやかな山門であったことか。塀もない。道よりいちだん高いところに、風が吹きぬける小さな山門が建っているのである。境内は夏草でおおわれ、本堂は典型的な平安時代の造りである。この本堂も小さい。左手に八角堂らしき建物があるが、どう見てもこれは四角堂である。おかしいな?と私は考えながらその堂の前に歩いて行った。やはり四角堂であった。堂のすぐちかくに国宝の銅鐘がおさめてある建物があるが、八角堂は見あたらない。あの年若い友人は、四角堂を八角堂とまちがえたのではないだろうか、と考えながら山門の方にひきかえしたとき、本堂の右手に、木の間にかくれた八角堂が見えた。あれだ!私はさけびながらそっちに走った。夏草でおおわれた境内で、しかも木の間にかくれた八角堂が、山門を入ったときには見えなかったのである。
それは紛れもない天平時代の八角堂であった。夢殿より遙かに小さい造りである。屋根瓦の列が夢殿二七にたいして、この八角堂は二一である。……」
「吉野川を目前にひかえ、八角堂は天平のむかしからいまにその姿を伝えている。誰もこの八角堂には気がついていない。風が吹き抜ける山門には拝観料をとる寺僧もいない。心のふるさととは、このような場所であろう。気がついたら私はいつしか涙ぐんでいた。美しいものに出逢ったよろこびが私の胸を充たしていたのである。」
この文章を読んだら八角堂を見に行かないわけにはいかない。栄山寺は奈良県の五條市にあって、家から四時間くらいかかるが、日帰りで行ける。普段は一人で出かけるのだが、この時は大学でコーチを引き受けた女子チームの人を誘った。何歳か年下で大学の帰りにたまたまいっしょになり、坂道の途中の店屋に寄って昼を食べて以来、時々いっしょに出かけるようになっていた。八角堂の傍に立たせてみたい気持ちもあった。岸和田市に住んでいたので、大阪駅で待ち合わせて、鉄道とバスを使って栄山寺に向かった。
『心のふるさとをゆく』は昭和41年(1966年)5月から43年12月までの間に雑誌「旅」(文藝春秋社)に収録された14篇を書籍化したもので、八角堂は「飛鳥・吉野」の中に紹介されている。本が出たのは昭和44年(1968年)定価650円である。手元にあるのは古本で、1500円の値札がついている。KEYAKI(TEL 03-3291-1479)とあるから、神田の古本屋街を歩いた時に買ったものらしい。栄山寺に行ったのはおそらく入学して4年目か5年目、第二次安保闘争が1970年だったから、1974年前後だったと思う。雑誌に紹介され、本にもなって人が押しかけていたら、と心配していたが、幸い誰もいなかった。まさか、「……訪ねる人が多くなり、寺僧が塀をめぐらして拝観料をとるようになったら、八角堂の美しさは半減してしまうかも知れない。これはおそろしいことである。もし訪ねるなら、独りで、多くとも三人を超えない人数で、それも、そうっと訪ね、そうっと寺を辞することを希望するものである。」と立原正秋が付け加えたからでもないだろう。塀もなく、拝観料もとられなかった。
質素な佇まいだったが、やはり目の前に立原正秋の世界は広がらなかった、と思う。しばらくして「あなたの免疫わけてほしい」というかわいい絵葉書が届いたが、返事も出せないままである。
『心のふるさとをゆく』外箱表紙