つれづれに

つれづれに: 葛

久しぶりの更新である。

朝晩はだいぶ冷えるようになった。下が13度か14度、上が23度か24度、一気に秋の到来である。この前書いた時に発生しかけていた台風も来なくて済んだ。ありがたいことである。

よく食べ、よく歩き、よく寝る、大事だとはわかってはいても、毎日続けるのは難しい。金曜日は2時間ほど自転車に乗ったので歩けなかったし、土日も歩けなかった。4、5日畑に出ないとブロッコリーもこの惨状である。↓

糸ほどの虫がこんなに大きくなっている、この虫は黒い

昨日の夕方に、虫を潰して希釈した酢をかけたが、今朝出てみると、まだ葉っぱにも地面にも虫がうようよしていた。茎を揺らすと、ぱらぱらと小さな虫が落ちて、くねくね歩いている。数えたわけではないが、100匹では済まないだろう。この作業を続ければ、12月に収穫出来そうだが、遠い道のりである。胡瓜が花を咲かせ、何本かが実をつけている。二期作は成功したようである。ただ、春先の勢いはない。どのくらいまで育つんだろう。

オクラはまだ花を咲かせ、毎日何個かの実が収穫できる。丸鞘オクラは実自体が大きいので、毎日3~4個獲れれば、足りる。南瓜は柵を取り払い、南側の金木犀も刈り込んだ。放っておくと、これから陽が入らなくなるからだ。冬場は日差しも弱く、陽が当たる時間も短かい。絹鞘豌豆、レタス、ブロッコリー、小葱の種も蒔いた。二回目である。うまく芽が出てくれればいいが。蒔く時期も、難しい。

十数個の実は枝につけたまま。作業の途中で7、8個は枝が取れてしまった

葛である。大体7月から9月くらいに紫色の花を咲かせる。かなりの繁殖力で、巻き付かれた方は大変である。

道草や烏瓜などの蔓植物以外に、表紙絵のために梅や桜や山茶花や椿も探したことがある。椿は一重で、藪椿が多かった。最初のカレンダーの表紙になった。その椿も毎年葛に覆われて、最近はきれいな椿をみかけなくなった。腰の曲がった老婆が野菜を作っている結構広い畑の端の方に植えてある椿で、放ったままである。

葛に覆われた藪椿

最近は一人暮らしが怪しくなってきて、親戚の家に車で出かけて家を空けることが多くなったからか、尚更である。葛の蔓を払う人がいないと、花も咲かなくなる。葛は草のわりに花の占める割合が極く僅かだが、近くでかげば、甘酸っぱくて、藤に似たとてもいい香りがする。紫と緑の色合いがいい。カレンダーにはたくさん使っているが、本には使わなかったようだ。探してみたが、表紙絵は見つからなかった。↓

2004年10月(手描きカレンダー)

2010年9月

2010年9月(花カレ)

2011年9月(花カレ)

2014年9月

都会の明石は坂道も多く、地面そのものが少なかった。昔は山や畑ばかりだったようだが、神戸や大阪のベッドタウンになってからは須磨、垂水、舞子、朝霧、明石、西明石と西へ、西へと開発先が伸びて行ったようである。西明石までは複々線で、その後も大久保、魚住、土山と住宅地が増え続けている。北の方は神戸市で、地下鉄も伸びて、開発が進み、土の地肌が見える地面がますます減っている。そんな都会の朝霧から越して来たので、すぐ手に入る通草や烏瓜や葛が珍しかったのかも知れない。ちょうど本の表紙絵に使うようになって、色んな花を探し回った。宮崎に来て、もう三十年以上の月日が経った。

つれづれに

つれづれに: 烏瓜2

手前が大根、奥手が鞘オクラ

もうすぐ十月の半ばになるが、暑い毎日が続いている。さすがに30度まではいかないが、日中の陽ざしは強いままだ。金木犀が香りが、まだ漂って来ない。しかし、朝晩の気温が下がっているせいか、ブロッコリーも大根も順調で、冬野菜の季節到来である。下の方に熱帯低気圧が三つ発生しているようだが、来ないことを祈るしかない。

ブロッコリー、年内には採れそうである

この時期、何もしなければブロッコリーも大根も虫にやられて跡形もないが、せっせと希釈した酢を撒いてるからだろう。大きな虫も何匹か潰した。そのままにしておけば、数日で筋だけになる。ブロッコリーも大根も寒冷野菜、気温が下がるにつれて勢いが増している。季節が移っているということだろう。明日から四、五日雨の日が続くようだから、前に種を蒔いた分の胡瓜と鞘オクラの植え替えようと思っているが、植えたのちに大きくなるかどうか。もう少し早く種まきをした方がいいのかも知れない。少し前に蒔いたリーフレタスと小葱が芽を出しているので、ある程度大きくなったら植え替える予定、どちらも植え替えで枯れることは少ないが、この気温だと少し心もとない。

手前の色が薄いのが胡瓜、奥が南瓜(陽が当たるように一両日中に柵から外す予定)

烏瓜の続編である。思っていた以上にカレンダーや本に使われていて絵が残っていたので、一度では紹介し切れなかった。

前に紹介した本の表紙絵(→「烏瓜」、9月23日)以外にも、3冊の本に使われている。

『燃え落ちた軍艦旗』

『立ちこゆる文学』

「汝が心告れ」

最後の本は全国版らしい。押川さんはわりと有名な人だと聞いた。このようにワンポイントで入れると、効果的なようだ。上の烏瓜の画像の青い実もそうらしい。赤や青の実を見つけてくるのも私の役目、あちこち探し回った。この手の実は、大体毎年同じところに実をつけるので、一度見つければいつでも手に入る。一番勢いのいい時に摘めるかどうかだけである。蔦の鮮やかな紅葉も探した。その葉をつかった絵である。紅葉の色合いがいい。小さかった家のぴのこと描いた。もう15歳になっている。高原の個展で売れた絵の一枚で、評判はよかった。とくに、係員の方が気に入って下さって、知らない間に、売約済みの小さな赤い印をつけていたほどである。↓

クリカレ「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~」2010年11月

最初は花カレンダーで出発、最初の何年かは地元の企業が採用してくれ、烏瓜を気に入ってくれたようである。2冊か3冊サンプルが送られてきたので、画像にした。次は葛か秋桜か。

つれづれに

つれづれに: 通草7

飯島光孝『朝、はるかに』(1993/4/3)

あけびの最終回で、本の表紙絵である。

表紙絵を描いた本が最初に出たのは1989年1月25日である。宮崎に来たのがその前の年の3月の末だから、引っ越してしばらくしてから本の表紙絵の誘いがあったことになる。それまでは、職場の人と二人展をしたり、神戸の伊川寛さんの教室に通っていた人たちがやっていたグループ展に参加したり、市展に応募したりするくらいだったので、表紙絵の誘いは有難かった。

明石市展で審査賞をらった油絵

カレンダー「私の散歩道2019~犬・猫ときどき馬~」12月

最後の本が出たのが2005年の4月なので、17年も描かせてもらったことになる。最初はその時に描いていた花を使うことも多かったが、そのうちいろいろ注文の幅も広がった。大抵は自費出版の本が多かったようだが、高校演劇のシリーズや地方の歴史などもあった。表紙絵にはならなかったが、一時は↓のような絵も描いた。深い縄文の森をイメージして、とか難しいのもあった。

出版された本の一覧→「本の装画・挿画一覧」(門土社)

あけびの表紙絵もその流れで描いたもので、結局思っていたよりも少なく2冊だけだった。

村越一哲『幻の東京オリンピック』(2000/12/2)

 あけびについて7回も書くとは思ってなかったが、それだけあけび探しに時間をかけたということだろう。あけびの画像を探しているときに、カレンダーにも本にも烏瓜を思っていた以上に使っているのに気がついた。→「烏瓜」(9月23日)で紹介した本の表紙絵以外にも表紙絵やカレンダーに絵が残っている。烏瓜以外にも葛やコスモスも描いていた。次回は烏瓜2、あたりか。

つれづれに

つれづれに: 通草6

大分の飯田高原での個展(→九州芸術の杜)でも何度か持って行って、あけびの絵を展示した。画廊が広かったこともあり、毎年60枚ほど見てもらっていたと思う。荷造りも運ぶのもなかなか大変だった。東京に場所を移してからは、スペースの関係もあり、前年度に描いたものにそれまでのものを少し足して、という感じの展示である。去年はコロナ騒動で中止せざるを得なかったが、今年は金土日の3日間、去年観てもらえなかった絵を展示する予定である。→「小島けい2021年個展案内」

カレンダーの中にもあけびの絵が残っている。

息子が東京のビッグサイトに字に絵をつけた作品を出すついでに妻の絵も出していたら、カレンダーを創りませんかと長崎のオムロプリントから連絡があった。クリエイター何人かのカレンダーを創って売り出したようで、クリカレという名で宣伝していた。それぞれのトレカ(トレンディーカード)入りだった。トレカにはパンダを描いて下さいと言われた。

色々サイトを探しているとき、ちょうど教育文化学部日本語教育支援専修の修士課程で担当していた中国の留学生が「パンダは中国語で熊猫と言いますよ」と言いながら、サイトをいろいろ紹介してくれた。

有難い話で、花の絵のカレンダーを出した。東京の東急ハンズや紀伊国屋や旭屋などにも置いてもらったようである。宮崎の旭屋(昔の寿屋デパート、今はツタヤが入っている建物の1階)にはたしかに置いてあった。ただ、作った人に入るお金はほんとに雀の涙ほど、そのうえたくさんの種類のカレンダーが出ているので利益は出なかったようで、一年限りだった。そのあと、個人的なカレンダーを続けているが、アフリカ関係の本同様に、つくづく芸術関係はお金にならないことを改めて思い知らされた。そのカレンダーを創る前、妻は毎年なぐり描きの絵を描いてカレンダーを創ってくれていた。今思えば贅沢な話で、世の中に一つだけの手作りのカレンダーである。すべて残しておけばよかったのだが、そんな貴重なものだという認識はなく、使ったあとは大部分がごみ箱行きになった。幸い奇跡的に、不完全に残っているものもあって、その中に二枚あけびの絵が残っていた。当時はあけび探しの最中で、いつも家に採って来たあけびがあった。それを見ながら、紙もその辺にあるのを適当に使い、きちんと図ることもなく線を引いて、さっさと描いていた。注文を受けた絵を描くときは、丁寧に丁寧に気の済むまで時間をかける今とずいぶんとちがう。おおざっぱだが、勢いがある。やっぱり捨てずに取って置くべきだった、とつくづく思うが、後の祭りである。

クリカレを作り始めたのが2009年である。当時の状況からするともっとあけびを使っていると思っていたが、出ているカレンダーを確認してみると、あけびは一枚だけだった。大手の店舗で売る以外に、企業用のカレンダーとしても売り込んでいたようで、最初の何年かは地元長崎の会社が数件採用してくれていたようである。採用されたサンプルを2冊ずつ送ってもらえたので、2011年度の大村グリーンサービス社用の11月の分が残っている。↓

あけびについてこれほどたくさん書くとは思ってなかったが、それだけあけび探しに時間をかけたということだろう。本の表紙絵がまだ残っているので、次回7回目が最後ということになりそうである。あけびの画像を探しているときに、カレンダーにも本にも思っていた以上に烏瓜を使っているのに気がついた。葛もたくさんある。からすうり2と葛も書いておきたい。