教員採用試験
5月になった。昨日は「つれづれに」を書けなかった。何日か目一杯動くとすべての機能が停止するように体が指令を受けるようで、動けなくなるらしい。啓蟄(けいちつ)、清明(せいめい)辺りまで旧暦を辿っていたが、春の勢いに押されてすっかりご無沙汰である。
のらと宇宙:小島けい「私の散歩道2022~犬・猫・ときどき馬~」5月
清明(せいめい)が過ぎて、今年の暦では4月20日から穀雨(こくう)で、5月5日には立夏 (りっか)の期間に入る。
穀雨は春季の最後の節気で、春雨が百穀を潤すことから名づけられたらしい。雨で潤った田畑は種まきの好期を迎え、降雨量も多くなる。この時期に降る雨は、百穀を潤し芽を出させる「百穀春雨」といわれるらしい。一般には種まきなどを始める目安のようだが、宮崎の種まきはもう少し時期が早いと思う。穀雨が終わる頃に、八十八夜である。
妻のブログ(→「Forget Me Not」)の私の絵画館4月分を、初めて英語訳した。やっぱり世界中から毎日20人前後がサイトを訪れ、その人たちが70前後のページを見てくれているようである。→「ラッキー(ミックス犬)とブルーポピー」(「続モンド通信41」(4月20日)
植え替えたとまとの苗
母親の借金騒動に巻き込まれたのが原因とは言え、教員採用試験は社会復帰の第一歩だったようである。高校の教員になってからもずいぶんと引き摺っていたようだから(→「生きゆけるかしら」、1976、→「露とくとく」、1978)、余程のことがなければ、社会復帰の一歩を踏み出せなかったかも知れない。普通は在学中に試験を受けてその次の4月から開始なのだろうが、私の場合、2年留年をした6年目に、実際に受けてみてそのあと方策を立てるために高校の採用試験を受験した。準備期間が一年空くので、うまく行けば入れてもらえるかも知れない修士課程もついでに受験した。
受けてみるものである。採用試験の方では、一般教養と英語の試験があるのがわかった。英語にリスニングがついていて、聞こえたのは、廃品回収のマイクから聞こえる業者の声だけだった。教養は準備なくても行けそうだし、購読と英作文で充分だろう、それが感想だった。大学院の方は、購読と英作文の他に、アメリカ文学史かイギリス文学史と、言語学が要るようだった。
高校生の英語の授業を担当出来る程度、修士で研究の真似事を出来る程度の英語が出来ればいいようである。修士の準備に購読と英作文をやれば採用試験の方も充分行けるだろう。そんな感触は得たので、次は具体的に何をするかを決めるために、二人の研究室を訪ねた。一人は一年生の英作文の時間に『坪田譲治』をテキストに使ってくれた人である。教授でアメリカ文学をやっているらしかった。もう一人は英語の購読の授業で会った人で、言語学が専攻だったようである。研究社の言語学のシリーズの著者の一人で、本屋でも名前は何度か見かけた。言語学ではそれなりに認められていたらしい。
六甲山系を背にした講義棟(同窓会HPから)
次回は、教員免許、か。
のらと宇宙:カレンダーの原画