1976~89年の執筆物

リチャード・ライト国際シンポジウムから帰って

(ミシシッピ州立大、11/21~23)

7月はじめ、会員の本内徹さんから Michel Fabreさんを通じてのパンフレットが届いた時、顔ぶれを見てすごいなあと思ったが、それは別世界のことのようだった。しかし、自分にも参加出来るとわかった瞬間、既に行くことに決めていた。Fabreさんの顔たけでも見に行こうと。

初日、受付けを済ませて朝食会場の2階に上がったら、滞米中の会員、須田さんが座って居られた。夏に一度お会いしていた伯谷さん〔Critical Essays on Richard Wright (G. K. Hall, 1982) の編者、兵庫県淡路島生まれ、広島大学在学中に渡米、現在ケント州立大学教授〕が、よく来ましたねと喜ばれて、横に居合わせた Keneth Kinnamon, Edward Margolies, David Bakish, Donald Gibson の各氏を紹介して下さった。いつも本でおなじみの人たちだ。Fabreさんの姿が目に止まった。手紙のやりとりのある木内さんが近づいて挨拶すると、"Old friend!" と腕をかかえながら人なつっこい笑みをこぼされた。当初の目的は既にこの時点で達せられていた。

3日間にセッションが12も組まれ、発表者も多かった。語学力の乏しい私には、充分に聴き取れたとはとても言えないが、Black Boy について語られた Gibsonさん、Lawd Todayの伯谷さん、近刊の3000ペイジに及ぶ解説付きの文献集(伯谷さん、木内さんによるもの。日本の文献も収載予定)に触れられた Kinnamon さん、フランスにおけるライト研究について述べられた Fabreさん、John M. Reilly さん、Robert Tener さん、Maryemma Graham さんなど、現在一線級で活躍中の人達に勢いが感じられた。

第三世界に関するセッションでは、発表のあと、パリでライトのアパートに出人りされたというJan Crewさんが、今の発表は少し違うようだと飄々と語られたのが印象探かった。出席者も一番少なく、内容も少し薄かったように思えたのは残念である。

Fabre さんのThe World of Richard WrightとM. Walker女史の近刊The Daemonic Genius of Richard Wrightの両出版記念パーティーも普段ではお目にかかれないものだった。

普段見られないものの中でも、最終日の夜に上映された「ネイティヴ・サン」は格別だった。フィルムを通じて、ライトその人に「会えた」わけである。

二日目の夜には、伯谷さんの部屋に招かれて、Fabreさん、Margolies、Kinnamon, JohnReilly, Bakish, Nina Cobb, John A. Williams, James Arthur Millerの各氏と須田さん、木内さんとで酒を飲みながらの記念すべき一時を楽しんだ。C. Webbさんの不評話や、俳諧風ポエムが出版されない事情、エレン夫人のことなど、裏話が面白かった。

三日目の夜は、フォークナー研究のために留学中の古口さん、高橋さんを交えての「日本人会」となった。お話から、寸暇を惜しんでの勉学のご様子が窺われた。古ロ氏の場合、身振りまでがアメリカ人風になっていた。解散したのは暁方の三時だった。

ライトのものが英語で書かれている以上、英語で書くことの必要性が思われた。幸い、論文の一つを英訳していたのが役に立った。10部程抜刷を持参していたが、帰りにはきれいになくなっていた。一つを Fabreさんにお渡ししたら、Peter Jackson氏が Native Son の擬声語表現について言及された翌朝、すっと寄って来られて、肩をぽんと叩き、あなたと同じことを言ってましたねと声をかけて下さった。

Black Metropolis の共著者、白髪の St. Clair Drake さんの風貌、話し振りが、貫名さんによく似てられますねえ、と須田さんにお話ししたら、同感だ、とのことだった。会の創設が1954年だとお話したら、Drakeさんは驚いておられた。「1954」年と聞いた人は例外なく驚きの表情を示した。30年余の歴史はと重いようだ。

こんな所で、こんな話をしようとはねぇー、と須田さんと研究会の来し方、行く末をはるかミシシッピの地で語ったのも、忘れ難い。

私には、シンポジウムが行われたこと自体が何よりも嬉しかった。早速、23日のニューヨークタイムズ紙は、Mississippi Honors a 'Native Son’ Who Fled – Mississippi Offers Homage to Native Son の見出しの記事を載せた。若くして異郷の地に果てたライトは、あの世から、死後25年を経た今、生まれ故郷に集まった大勢の人達を見て、一体どんな表情を見せていたのだろうか。

12月の例会で、木内徹さんが詳しく報告される。

2010年~の執筆物

概要

前回は「アフリカとその末裔たち」(Africa and its Descendants 1)の3章「アメリカ黒人小史」("A Short History of Black Americans")の「公民権運動、その後」について書ました。

(『アフリカとその末裔たち1』1刷)

前回までジンバブエに行ったあとに書いた英文書「アフリカとその末裔たち」(Africa and its Descendants 1)に沿って、アフリカ史、南アフリカ史、アフリカ系アメリカ史を12回に渡って紹介してきましたが、今回からは、2冊目の英文書「アフリカとその末裔たち―新植民地時代」(Africa and its Descendants 2―Neo-colonial Stage―)の紹介をしようと思います。

1冊目は簡単なアフリカとアフロアメリカの歴史の紹介でしたので、2冊目は、アフリカについては

①第二次世界大戦後に先進国が再構築した搾取制度、開発や援助の名目で繰り広げられている多国籍企業による経済支配とその基本構造、

②アフリカの作家が書き残した書いた物語や小説、

③今日的な問題に絞り、

④アフロアメリカについてはゴスペルからラップにいたるアフリカ系アメリカ人の音楽

に絞って、内容を深めました。①が半分ほどを占め、引用なども含めて少し英文が難しくなっています。医学科の英語の授業で使うために書きました。

『アフリカとその末裔たち―新植民地時代』

本文

アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度①概略

書くための時間がほしくて30を過ぎてから大学を探し始め、38の時に教養の英語担当の講師として旧宮崎医科大学に辛うじて辿り着いたのですが、大学は学生のためにありますから、当然、教育と研究も求められます。元々人間も授業も嫌いではないようで、研究室にもよく学生が来てくれますし、授業も「仕事」だと思わないでやれるのは幸いだったように思います。

宮崎医科大学

戦後アメリカに無条件降伏を強いられて日常がアメリカ化される生活を目の当たりにして来た世代でもありますので、元々アメリカも英語も「苦手」です。学校でやらされる英語には全く馴染めませんでした。中学や高校でやらされる「英語」は大学入試のためだけのもので、よけいに馴染めなかったようです。高校で英語をやらないということは、今の制度では「いい大学」には行けないということですので、今から思えば、嫌でも英語をやった方が楽だったのかも知れません。

したがって、大学で医学科の学生に英語の授業をするようになっても、最初から「英語をする」という発想はありませんでした。するなら、英語で何かをする、でした。

何をするか。

最初は一年生の担当で、100分を30回の授業でした。一回きりならともかく、30回ともなると、相当な内容が必要です。学生とは多くの時間をともにしますし、一番身近な存在の一つでもあります。学生の一人一人と向き合ってきちんと授業をやることは、自分にとっても大きなことでした。

おのずと答えは出てきました。自分がきちんと向き合って考えてきたことを題材にする、でした。それは、リチャード・ライトでアフロアメリカの歴史を、ラ・グーマでアフリカの歴史をみてゆくなかで辿り着いた結論でもあります。過去500年あまりの西洋諸国による奴隷貿易や植民地支配によって、現在の先進国と発展途上国の格差が出来、今も形を変えてその搾取構造が温存されている、しかも先進国に住む日本人は、発展途上国から搾り取ることで繁栄を続けていい思いをしているのに、加害者意識のかけらも持ち合わせていない、ということです。

リチャード・ライト(小島けい画)

アレックス・ラ・グーマ(小島けい画)

将来社会的にも影響力のある立場になる医者の卵が、その意識のままで医者になってはいけない、という思いも少しありました。

それと英語も言葉の一つですから、実際に使えないと意味がありません。そこで、できるだけ英語を使い、実際の英語を記録した雑誌や新聞、ドキュメンタリーや映画など、いろんなものを題材にして、学生の意識下に働きかける、そんな方向で進んできたように思えます。

二冊の英文書も、その延長上で書きました。実際には、アメリカに反発して英語をしてこなかった僕が、授業で英語を使えるようになるのも、英文で本を書くのも、授業で使ういろんな材料を集めるのも、作ったりするのも、なかなか大変でした。ま、今も大変ですが。

今の大学に来て27年目で、今年度末の3月で定年退職です。まもなく最後の半期が始まります。

次回は「アフリカとその末裔たち 2 (2) 戦後再構築された制度②」です。(宮崎大学医学部教員)

執筆年

      2014年

収録・公開

編集の手違いで収録されていませんので、元原稿からここに収載しています。

ダウンロード・閲覧(作業中)

「アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度①」

2010年~の執筆物

門土社(横浜)のメールマガジン「モンド通信」にNo. 63 (2013年11月)からNo. 71 (2014年7月)まで連載したAfrica and Its Descendants (Mondo Books, 1995)の解説(英文・日本語訳も)です。↓

<1>→「アフリカ小史前半」

<2>→「アフリカ小史後半」

<3>→「南アフリカ小史前半」

<4>→「南アフリカ後半」

<5>→「アフリカ系アメリカ小史①奴隷貿易と奴隷制」

<6>→「アフリカ系アメリカ小史②奴隷解放」

<7>→「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」

<8>→「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」

<9>→「アフリカ系アメリカ小史⑤公民権運動、その後」

アフリカ人とアフリカ系米国人の歴史を虐げられた側から捉え直した英文書で、英語の授業でも使いました。アフリカとアフロ・アメリカの歴史を繋いで日本人が英語で書いたのは初めてだと思います。

一章では、西洋人が豊かなアフリカ人社会を破壊してきた過程を、奴隷貿易による資本の蓄積→欧州の産業革命→植民地争奪戦→世界大戦→新植民地化と辿りました。

二章では南アフリカの植民地化の過程と現状を詳説しました。全体の半分を占めています。

三章では奴隷貿易→南北戦争→公民権運動を軸に、アフリカ系アメリカ人の歴史を概観しました。

『アフリカとその末裔たち』

 

2010年~の執筆物

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通(MonMonde)」に25回連載した『ジンバブエ滞在記』の一覧です。

フローレンス(小島けい画)

1992年の11月に日本に帰ってから半年ほどは何も書けませんでしたが、この時期にしか書けないでしょうから是非本にまとめて下さいと出版社の方が薦めて下さって、絞り出しました。出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、出版は出来ずじまい。翻訳三冊、本一冊。でも、7冊も出してもらいました。ようそれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。連載はNo. 35(2011/7/10)からNo. 59(2013/7/10)までです。

2011年

<1>→「ジンバブエ滞在記① アメリカ1981~1988」「モンド通信」No. 35」、2011年7月10日)

<2>→「ジンバブエ滞在記② ハラレ第1日目」「モンド通信」No. 36」、2011年8月10日)

<3>→「ジンバブエ滞在記③ 突然の訪問者・小学校・自転車」「モンド通信」No. 37」、2011年9月10日)

<4>→「ジンバブエ滞在記④ ジンバブエ大学・白人街・鍵の国」「モンド通信」No. 38」、2011年10月10日)

<5>→「ジンバブエ滞在記⑤ バケツ一杯の湯」「モンド通信」No. 39」、2011年11月10日)

<6>→「ジンバブエ滞在記⑥ 買物」「モンド通信」No. 40」、2011年12月10日)

2012年

<7>→「ジンバブエ滞在記⑦ ホテル」「モンド通信」No. 41」、2012年1月10日)

<8>→「ジンバブエ滞在記⑧ グレートジンバブエ」「モンド通信」No. 42」、2012年2月10日)

<9>→「ジンバブエ滞在記⑨ ゲイリーの家族」「モンド通信」No. 43」、2012年3月10日)

<10>→「ジンバブエ滞在記⑩ 副学長補佐」「モンド通信」No. 44」、2012年4月10日)

<11>→「ジンバブエ滞在記⑪ お別れ会」「モンド通信」No. 45」、2012年5月10日)

<12>→「ジンバブエ滞在記⑫ ゲイリーの生い立ち」「モンド通信」No. 46」、2012年6月10日)

<13>→「ジンバブエ滞在記⑬ 制服の好きな国」「モンド通信」No. 47」、2012年7月10日)

<14>→「ジンバブエ滞在記⑭ ルカリロ小学校」「モンド通信」No. 48」、2012年8月10日)

<15>→「ジンバブエ滞在記⑮ ゲイリーの家」「モンド通信」No. 49」、2012年9月10日)

<16>→「ジンバブエ滞在記⑯ 75セントの出会い」「モンド通信」No. 50」、2012年10月10日)

<17>→「ジンバブエ滞在記⑰ モロシャマリヤング」「モンド通信」No. 51」、2012年11月11日)

<18>→「ジンバブエ滞在記⑱ アレックスの生い立ち」「モンド通信」No. 52」、2012年12月10日)

2013年

<19>→「ジンバブエ滞在記⑲ ロケイション」「モンド通信」No. 53」、2013年1月10日)

<20>→「ジンバブエ滞在記⑳ 演劇クラス」「モンド通信」No. 54」、2013年2月10日)

<21>→「ジンバブエ滞在21 ツォゾォさんの生い立ち」「モンド通信」No. 55」、2013年日3月10日)

<22>→「ジンバブエ滞在記22 ジャカランダの季節に」「モンド通信」No. 56」、2013年4月10日)

<23>→「ジンバブエ滞在記23 チサライ」「モンド通信」No. 57」、2013年5月10日)

<24>→「ジンバブエ滞在記24 ふたつの壷」「モンド通信」No. 58」、2013年6月10日)

<25>→「ジンバブエ滞在記25 『ジンバブエ滞在記』の連載を終えて」「モンド通信」No. 59」、2013年7月10日)

ゲイリー(小島けい画)

「モンド通信」に連載分一覧→「玉田吉行の『ジンバブエ滞在記』」(小島けい絵のblog)