つれづれに: 柿6個
朝晩急に寒くなって、俄かに柿が色づき始めた。去年は二度と経験出来ないほどの生り年だったようで、200個以上の実を捥いで、干した。風で50個以上は落ちてしまったから、そう大きくない樹に250個以上が実をつけていたわけである。捥いで取り込むのも、洗って、剥いて、陽に干すのも一気には行かなかった。最後は力尽きて、何個かは熟し過ぎて干せなかった。二人でそんなに食べられるわけもなく、ひたすらあちこちに配るはめになった。この上なく干し柿が好きだという御仁にも大量に送り、痛く感謝された。保存食とはいえ冷蔵庫に入れても、ある時期を過ぎれば黴が生える。黴を落として酢の物にして食べる日が続いた。
今年も芽が出て青葉になったが、実をつけたのは7個だけ、そのうち1つが風で落ちてしまった。残った6個が色づき始めたのである。
柿を干し始めてからずいぶんになる。親子三人で転がり込んだ妻の父親の家の裏手に渋柿がなっていた。明石の中朝霧丘という優雅な地名の広い一軒家だった。普通の大きさの丸柿だったので、干すと小さくなった。干し始めると店先に大きな渋柿が並んでいるのが目について、箱ごと買って来て縁側に干し始めた。箱に西条柿と書いてあった。宮崎に来てからすっかり忘れていたが、今の木花の家に越して来てから、また干すようになった。宮崎神宮で買った苗が七年目に一個だけ実をつけた。その後、去年のように200個以上も実をつけるようになった。
初めて生った西条柿を枝ごと切って、妻に描いてもらった
去年広島から来た学生にお裾分けをしたら「西条はうちの隣町です」と教えてくれた。ウェブの郷土史研究会のサイトによれば、広島県の西条(現東広島市)が原産で、その地名が柿の名前になっているらしい。「東広島市の長福寺の縁起に、一二三八年(暦仁元年)僧良信が本尊薬師如来の霊夢により、弟子信常を鎌倉の永福寺へ遺して求めた霊種を寺内に植えたのが西条柿の原種とある」と刻まれた市史跡の写真も載っていた。「果実は縦長で側面に四条の溝があります」とも書かれていたが、庭に生っている実には溝がないので、かけ合わせて作られた品種かも知れない。
柿については「つれづれに」に、既に3回書いている。↓
- 2008/12/31 渋柿を吊せなかった、今年が暮れる
- 2011/11/23 過ぎ行く秋の陽に、
- 2017/10/30 昨日やっと柿を干しました
三冊の表紙絵にもなって、残っている。↓
→『馬車道の女』(1991/11/16)
→『一番美しく』(1995/3/10)
→『随所に主宰とならん』(2000/2/24)
剥いて陽に干すだけで、何とも言えない色と艶と甘みが出るのだから、太陽の力には恐れ入る。そんな季節になった。捥いで、洗って、剥いて、陽に干す、そんな作業が年々きつきなってきている。