そのほか

▲ 「つれづれに」:更新「コンゴ動乱」5月4日本文はお知らせの続き

「ノアとのら」(5月3日)→「ペンタゴン」(5月2日)、→「コンゴあれこれ」(5月1日)、→「コンゴの独立」(4月30日)、→「映像1976年」(4月29日)、→「音声『アウトブレイク』」(4月27日)、→「ロイター発」(4月25日)、→「ZoomAA6第6回目報告」(4月21日)、→「日本語訳」(4月19日)、→「小説」(3月23日)、→「漂泊の思ひ」(1月22日)、→「英語で」(12月15日)、→「原言語」(8月5日)、→「送稿」(2023年8月3日)、「分かれ目」(6月11日)、→「修学旅行」(2022年6月1日)、「『つれづれに』一覧」→(2023年~2018年)(2024/5/4更新)、→(2018年~2007年)、→(2006年度)、→(2005年度)

▲ 連載開始「ZoomAA一覧」(2023年12月15日~)

▲ 2024年カレンダー→「私の散歩道2024~犬・猫・ときどき馬~」 

<ウユニ塩湖>(ボリビア)4号

4月<犬(もえちゃん)とアザミ>SM号

「私の散歩道2023」、→「私の散歩道2022」、→「私の散歩道2021」

▲ これまでのカレンダーを更新しました(2024/1/7)→「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2024年)」Calendar List(2004~2007は私製です

▲ 書いたもの→「2021年11月Zoomシンポジウム最終報告」続モンド通信40、2022年3月20日)

「『ナイスピープル』と『最後の疫病』 」(2月20日)、→「アフリカとエイズ」(1月20日)、→「ケニアの歴史4:モイ時代・キバキ時代 ・現連立政権時代」(12月20日)、→「ケニアの歴史3:イギリス人の到来と独立・ケニヤッタ時代 」(11月20日)

▲ →「アングロ・サクソン侵略の系譜一覧」(2018年12月~)

▲ 続モンド通信38(1月20日)→「続モンド通信一覧」(2018年12月~)、「モンド通信一覧」(2008年12月~2016年9月)

● 小島けいのblogから:

*→「<お知らせ> 2021年 小島けい個展案内」

*new!私の絵画館:→「ラッキー(ミックス犬)とブルーポピー」4月20日)英訳付き(Lucky (Mutt) & Blue Poppies in English

「観覧車」(1月20日)、→「康太郎くん(ダックスフンド)」(12月20日)、「雪之丞くん(ペキニーズ)とおもちゃ」→(11月20日)、「子馬(ジャスミン)とコスモス」→(10月20日)、→「私の絵画館一覧」(2018~)

*エセイ:「⑯:アリスの小さな“きせき”」2021年12月20日

「⑮:月は友だち?」11月20日)、→「⑭:秋にはコスモス・・・・」(10月20日)、→「⑬:中秋の名月に」(9月20日)、→「小島けいのエセイ一覧」

▲ 「書いたもの一覧」を更新しました。(2021/4/26)

▲ ホームページです。→「ノアと三太」

▲ 小島けいの絵のブログ Forget Me Not

つれづれに

 

2024年4月

「つれづれに:コンゴの独立」(2024年4月30日)

「つれづれに:映像1976年」(2024年4月29日)

「つれづれに:1976年」(2024年4月28日)

「つれづれに:音声『アウトブレイク』」(2024年4月27日)

「つれづれに:『アウトブレイク』」(2024年4月26日)

「つれづれに:ロイター発」(2024年4月25日)

「つれづれに:ロイター」(2024年4月24日)

「つれづれに:CNNニュース」(2024年4月23日)

「つれづれに:エボラ出血熱」(2024年4月22日)

「ZoomAA6第6回目報告」(2024年4月21日)

「つれづれに:四月も下旬に」(2024年4月20日)

「つれづれに:読む」(2024年4月18日)

「つれづれに:ニュアンス」(2024年4月17日)

「つれづれに:想像力」(2024年4月16日)

「つれづれに:旅番組」(2024年4月15日)

「つれづれに:薊」(2024年4月14日)

「つれづれに:ニュースを聞く」(2024年4月13日)

「つれづれに:面接」(2024年4月日)

「つれづれに:独り言」(2024年4月11日)

「つれづれに:花が咲き」(2024年4月10日)

「つれづれに:研究費」(2024年4月8日)

「つれづれに:衛星放送」(2024年4月7日)

「つれづれに:テキスト編纂2」(2024年4月6日)

「つれづれに:イリスが咲き出した」(2024年4月5日)

「つれづれに:テキスト編纂1」(2024年4月4日)

「つれづれに:きんぽうげ」(2024年4月3日)

「つれづれに:桜まつり」(2024年4月2日)

「つれづれに:4月になった」(2024年4月1日)

つれづれに

つれづれに:コンゴ動乱

ペンタゴンの環太平洋構想が書かれた岩波新書

 なぜアメリカがコンゴの独立時にしゃしゃり出て来たのか?理由ははっきりしている。コンゴが利益を生み出してくれる宝庫だったからである。独立に便乗して、南アメリカ、環太平洋構想の国々(フィリピン→オキナワ→ソウル→ハノイ→モガジシオ→アフガニスタン→イラン→イラク)と併行して、アフリカにも本格的に参入してきたわけである。植民地支配だと宗主国は既得権益を手放さないので、一人勝ちした第2次大戦のどさくさに多国籍企業による資本投資と貿易に体制を再構築し直して、誰憚(はばか)ることなく大手を振ってアフリカに進出したわけである。

 独立の妨害は宗主国に任せて、アメリカはルムンバ内閣の閣僚の一人モブツに目をつけ、クーデターを指揮させた。直接にはアフリカ人の手でルムンバを惨殺させて排除するとともに、もう一人のアフリカ人カサブブに目をつけ、中央政権の力を殺(そ)ぐために豊かな埋蔵量を誇るカタンガ州(現シャバ州)の分離工作を企てた。銅の権益を手に入れられてしまうとルムンバ政権の経済力が飛躍的に上がるからだ。手に入れる前に叩いたわけである。「アフリカシリーズ」ではその一連の出来事が、コンゴ動乱として紹介されている。

民衆から選ばれた首相ルムンバ(↓)をアフリカ人の手で殺害させ、カタンガ州の銅を確保したのだから、だれが新政権に就いても機能するはずがない。モブツを東側の侵入を防ぐ盾として、アメリカはモブツの独裁を支援した。モブツの故郷の村への道は整備された。有名な話である。どうも同じような話をどこかで聞いた気がする。

小島けい画

 宮崎に来た当初、家の近くの道路が市長道路(↓)と呼ばれていたので、その訳を聞いたことがある。市長が建設を優先して通したので、市長道路と言われていますということだった。その前の市長のときも、港近くの道路が市長道路と呼ばれていたらしい。漫画の世界や、と思ったが、道路で恩恵を受けた人たちは市長に投票する。それが民主主義らしい。自民党が税金も払わずに不正を働き裏金で金を貯め込んでも、何のそのと嘯(うそぶ)いているのも、その構図が根付いていて政権が揺るぎないと思い込んでいるからである。

大島通線:この写真近くに住んでいた

 南アメリカで好き勝手をして、環太平洋構想を着実に実行し、アフリカにまで進出したアメリカは、かつての大英帝国の足跡を辿(たど)っている。かつて手を出した、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、ケニア、南アフリカ、ガーナなどはコモンウェルス・オブ・ネイションズと呼ばれ、今もその共和圏の経済的な繋(つな)がりは強い。南アフリカケープ州の首相になったセシル・ローズ(↓)は南アフリカ、ローデシア、ケニア、エジプトを結ぶ縦の大英帝国を夢見ていたと言われる。考えればアメリカはイギリス人入植者がイギリスから独立した弟分である。その人たちはどうも、世界征服が大好きらしい。

 アメリカの次の標的は、南アフリカである。コンゴにも劣らず、鉱物資源が豊かだったからである。ただ、すでにそこにはオランダの入植者がアフリカ人を蹴(け)散らして定住していた。オランダ人はアメリカ人に劣らず独善的でガタイもよく、押しが強い。当座は競争相手のフランスにアジアへの要所を取られないように大軍を送って取り敢えず南アフリカは押さえたが、本格的に進出したのはダイヤモンド(↓)と金が出てからである。オランダ入植者の領地で発見されたので、当然戦争になった。しかし、どちらも銃を持っていたので、殲滅(せんめつ)するには犠牲が多すぎるのは明らかだったから、結局戦いをやめて手を結び、国まで作ってしまった。奴隷貿易で稼いだ人たちだから、何でもありで、そんなことは朝飯前である。アングロ・サクソン系の系譜は健在である。

独立とコンゴ危機のあとは、植民地争奪戦でコンゴがベルギー王レオポルド2世(↓)の個人の植民地になったという嘘のような本当の歴史の摩訶不思議である。いや、その前に国連軍について触れておこう。いい映像もある。

つれづれに

つれづれに:ノアとのら

「私の散歩道2024~犬・猫・ときどき馬5月

 5月になっている。もう3日だ。ここしばらくコンゴについて書いている。医学と一般教養を何とか繋(つな)げないかと考えて、医学生の英語の授業で工夫を始めた。ちょうどコンゴで→「エボラ出血熱」の2回目の流行があった1995年辺りである。元々授業では音声と映像をたくさん使っていたので、アメリカの→「CNNニュース」と当時購読していたデイリー・ヨミウリの→「ロイター発」の英文記事を使って始めたら、思わぬ方向に広がっていった。そして、その後の英語の授業や、統合後に担当し始めた教養科目でも、繰り返し取り上げることになった。授業でやった内容の記憶を手繰(たぐ)り寄せて書いていたら、いろいろと湧いてきて、1日にカレンダーを載せられずに2日遅れになった。もちろん、コンゴの話はまだ続きそうである。歴史の縦軸と欧米や日本も絡んだ横軸を探っていくと、まだまだ出て来そうな予感がする。

 カレンダーの主はノアとのらである。互いに会ったことはない、ノアはもういないし、のらは娘と吉祥寺に住んでいる。妻に絵の中で引き合わせてもらったわけである。ノアは娘が渋谷に住んでいる頃に引き取って、宮崎まで連れて来た。生まれたての頃に大都会の自動販売機の下であらん限りの声を出して泣いていた声が娘に届いたのである。8畳の部屋では飼えないので、飛行機に乗せられるようになった頃に今の家にやって来た。家にはラブ・ラドールの三太(↓)がいたが、何事もなかったようにいっしょに暮らし始めた。大きさの違いも問題なしだった。ノアと三太はホームページ「ノアと三太」のトップページにいる。定年退職の年に、10年余り授業で使い続けた褒美(ほうび)にブログを作ってくれたので、ホームページを使う頻度(ひんど)は少なくなったが、最初は並行して使っていた。今は10秒でブログに飛ぶ設定に変えてもらっている。ずっと使っていたページは今もそのままである。いろいろブログともリンクさせてある。最初に作ってもらった英語科のホームページも残っていて、リンクさせている。まさかブログが遠隔授業の時に役に立ってくれるとは、世の中何が起こるかわからないものである。2020年の春先の話で、その時の学生はこの4月に卒業した。もう4年になる。医学部の同僚は医者が多いので、メールにCovid 19を使っていたのが印象に残っている。調べたら世界保健機構(WHO)の国際疾病分類上の疾患名「Coronavirus diseases 2019」だそうである。騒動があってから何年になるのかわからなくなると、Covid 19を思い出す。

「私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~」表紙

 のらは娘の住んでいるアパートの坂道で、こちらもあらん限りのだみ声で鳴いて訴えかけ続けたそうである。娘の心に届いて、今ではズームで会うこともある。原画(↓)の絵はズームで撮った画像が元である。大きな顔がなんとも言えない可愛さである。よく携帯に電話もかかって来る。大きな声でのら、のら、のーらと呼ぶと機嫌よく食べだすことが多いようだ。

 ある日、妻はサンタとノアと子供たちを絵に描いた。当時出版社のブログに連載していた「私の絵画館」(→「私の絵画館一覧」、2009/11~2017/1, 81編)にエセイを書いた。→「三太とノアと子供たち」「続モンド通信14」

つれづれに

つれづれに:ペンタゴン

 ペンタゴン(↑)、独立時にしゃしゃり出て来たアメリカの国防総省についての話である。

 アメリカとは縁が深い。戦争をして負け、無条件降伏を余儀なくされたのだから無理もない。1949年に生まれたからだろう。無意識にアメリカと英語に反発を感じていた。1981年に初めてアメリカに行き、→「シカゴ」のミシガン通り(↓)の縁石に座って3時間ほどぼーっとパレードを眺めていたら、ここにもここのよさがあるような気はしたが、常に意識の底には反感があるような気がする。その後、アフリカ系アメリカ人の作家をきっかけにアフリカのことを考えるようになり、アングロ・サクソン系の侵略の系譜を辿(たど)ることになり、敗戦よりももっと大きなものの存在を感じるようになった。

 なぜ宗主国がベルギーなのにアメリカがコンゴに関わってきたのか、そしてなぜかかわれたのか?第2次大戦後に欧米の関係性が大きく変わり、植民地支配に代わる新しい搾取体制が再構築されていたからである。その再構築を主導したのがアメリカである。アメリカの独壇場だった。大戦で戦場になり国土も破壊され、総体的力が落ちた欧州の国々はアメリカに負債があったから、アメリカ主導に反対する余裕はなかった。自国の立て直しで精一杯だったというところだろう。シカゴの美術館でモネの睡蓮(↓)を見た時、その大きさに圧倒された。アメリカの学会に誘われた在米の日本の方にクリーブランドの美術館に連れて行ってもらったが、そこでも大きなモネの睡蓮があった。のちにパリのモネの絵の多いマルモッタン美術館に行ったが、そこの絵よりも立派だった。敗戦のどさくさに紛(まぎ)れてアメリカ資本が絵を買い漁ったということだろう。ニューヨークのションバーグコレクションでフォトコピーを取ったとき、コピー機はMitaとMinoltaだった。

 それまでは宗主国の植民地だったが、再構築の結果、多国籍企業による資本投資と貿易が主流になった。開発と援助の名の下にである。これで、アメリカは大手を振って、コンゴに乗り込んだわけである。

エボラ出血熱流行を伝えるCNNニュース

 大学は夜間だったので、昼間によく→「古本屋」に行った。自分の中にも書きたい気持ちがあることを気づかせてくれた作家の本を買いに行ったのだが、ついでにたくさん本を買い込んで読んだ。なぜその本を買ったのかは忘れてしまったが、『広島からバンドンへ』(1956)という岩波新書を買った。ペンタゴン(The Pentagon)の環太平洋構想について、ナタラジヤンというインドの人が書いていた。

よく行った古本屋のあった元町の高架下

 ペンタゴンは合衆国バージニア州にあるアメリカ国防総省の本庁舎のことで、五角形の建物の形状に由来し、国防総省を指して使われるらしい。南米でも好き勝手していたようだが、環太平洋では1890年代の米西戦争でフィリピンを、第2次大戦でオキナワを、そのあと朝鮮戦争でソウルを軍事的に制圧したというようなことを書いていた。その当時はよくわからなかったが、後に全体像が見えだすに連れて、ベトナム→ソマリア→アフガ二スタン→イラン→イラクと続いている構図が見えてきた。その都度、新しい兵器を開発して軍需産業は国の基幹産業になってしまっているので、常にどこかで戦争をし続けないと経済が持たない状態にまできている。日本に売りつけている戦闘機も1機何兆円もするらしい。なんとも凄まじい展開である。奴隷貿易の資本蓄積で速度が増した資本主義が、ここまで来てしまったということなんだろう。エボラ出血熱からそんな姿が見えてしまった。