つれづれに

つれづれに:街まで自転車で

 月曜日に街まで自転車で出かけた。耳鼻科(↑)に行くためだ。ついでに餃子屋さんにも寄ってきた。現在自転車で行ける北限である。ひと月ほど前に行った内海の南風茶屋(↓)が、今のところの南限である。それぞれ南北に20数キロくらいが自転車で行動可能な範囲のようである。それだけ範囲が狭くなったのか、まだその範囲で行けるのかはわからないが、今しばらく行けるのを祈るばかりである。

 住んでいる場所の近くでウェブの評判も悪くない耳鼻科を探して行ってみたが、しっくり行かずに、また前から行っていた耳鼻科に通っている。1年に1度くらいだが、耳の掃除をしてもらうためである。耳を触って炎症を起こしたので、公立大(↓)の非常勤の帰りに、たまたま見つけた耳鼻科に寄った。「耳を触るのは人間だけですから」というのを聞いて、そうなんやと変に納得して、1年に1度通うようになった。昔ながらの寡黙な医者で「専門的なことを言ってもわからないだろうから、言うことを聞いていればいい」といういわゆる父権主義(パターナリズム)の典型のような人だった。あまりしゃべらなかったが、黙々と掃除をしてくれて、あれ以降炎症を起こしたことはない。ある時から息子さんが引き継いだ。さすがにパターナリズムの権化ということもなく、普通に会話が出来る。掃除しかしてもらっていないので、専門の腕がどれくらいかはわからないが、気持ちよく掃除はしてもらっている。自転車で通える間は、これからも耳掃除に通いそうである。

 宮崎に来た頃は、宮崎神宮の少し北東辺りの借家に住んでいたので、公立大(→「非常勤」、2022年8月24日)も生活圏にあった。元市長の念願だった公立大の設立の最初の有識者会議というのにも参加した。(→「市立大学」、2022年9月6日)宮崎神宮や県立図書館や総合博物館(↓)もすぐ近くにあった。今回は博物館の駐車場でどくだみを見つけ、摘んでもらってきた。宮崎神宮にもたくさん生えていた。どくだみを酒に浸けて皮膚に効く野草液を拵(こしら)えるようになって、それまで目に入らなかったどくだみが目につくようになった。空き地や街中にはあまりないようで、家屋敷の中か近くが多いようである。幸い、家の敷地内で賄(まかな)えるが、つい目につくとその度に摘んで帰るようになっている。困ったものである。今のところ、毎日20本ほど、湯に浮かべて「なんか効きそうな気がするな」と思いながら、湯に浸かっている。

 めがね屋さん(↓)にも寄った。生活圏で見つけた店屋だが、3軒ほど他の店にも行った記憶がある。近視も乱視もきついので、昔からめがねは必需品である。バスケットをしている時は、よくプレイ中にめがねが壊れたり、歪(ゆが)んだりしていた。レンズもある程度時間が経つと表面に傷がついて見えにくくなる。最近は老眼も入っているので、パソコンの画面を見る時と、普段の時にめがねをかけ代える。高校くらいからだから、当たり前のようになっているが、不便なものである。今回は、表面がだいぶ傷ついて気になり始めたので、レンズを新調した。知らなかったが、夏のセール期間だったようで半額だった。カードで支払うので、値段をあまり考えないのも困りものである。しかし、ずっとこうして来たので、変えられるとも思えない。しゃーないか。

 小暑と大暑の期間が署中らしいが、この期間に長時間自転車をこぐのも大変である。幸い曇り気味だったので、大いに助かった。清武加納のタイヨー(↓)の近くの急な坂道を登り、左手に国際大がある道を通る。小高い山である。最近工事が済んで、歩道を通れるようになって行きやすくなった。車道は狭いうえ、坂道がきつくて下りはスピードが出過ぎるので、通るには危険すぎる。家から30分ほどで、清武加納のハンズマン(↓)辺りに着く。そこからバイパスとの交差点を左折して街まで、大体1時間ほどである。

カメラを持っていくつもりだったが、自転車で坂道を登っているときに忘れて来たのに気がついた。しかたなく、ウェブで検索した画像ばかりになった。

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つれづれに:最近の歩くコース

家からしばらく歩いて、県道(↑)を渡る、杉の伐採ではたの部分が増えた(後の方の写真を参照)

 2年前に歩くコース(→「歩くコースまとめ」)について書いた時と比べて、最近は歩くコースが少し変わっている。新しく出来た農産物の店(↓)での買い物と散歩を兼ねるようになったからである。店を往復するだけなら半時間余りなので、回り道をして大体1時間くらい歩いている。

2年の間に、新しく農産物店がAコープの近くに出来たほかに、長い間工事中だった木花駅前とその西側の道路の整備が終わり、Aコープ木花店が改装された。Aコープは店内も暗くて排気システムがよくなかったし、学生のパートが多かったので余り行きたくない雰囲気だった。新装して明るくなった。サーヴィスカウンターが出来て、東京の子供2人に出す宅配便が便利になった。何より、店の雰囲気がよくなった。

Aコープの少し東側の農産物店、地元の建設業者の店らしい

 高台の公園を通るのは前のコースと同じである。前は公園西端の道からお墓を通っていたが、最近は東側の舗道(↓)を通ることが多い。誰かが通ってるいると、避けて違う道を通る。

 舗道の突き当りを右折、二つ目の三叉路(↓)を左に曲がる。まっすぐに進めば、無人の木花神社に行くが、最近は左折することが多い。

 左折したあと、まっすぐな道(↓)沿いに進む。両脇に大きな杉が植わっていて陽当たりは余りよくない。去年の台風では、杉の大木が倒れて通行できなかった。車は通れなかったが、もちろん歩くのに支障はなかった。倒木が処理されたのは何日か経ってからである。

「つれづれに:台風一過続報」(2022年9月20日)

 しばらく進むと新しく出来た道路に出る。長い間工事中だった。工事中の写真と比較できるとは思っていなかったが、並べるときれいに整備されたのが一目瞭然である。道路は加江田渓谷からの県道に突き当たる。角の左手がAコープである。

 新装されたAコープの少し東側が農産物店である。建設業者のたぶん会長という人が店にいて、言葉を交わすようになった。毎食野菜を食べるので、レタス、胡瓜(きゅうり)、とまと、キャベツが要る。それに近くのレストランが拵(こしら)えているドレッシングや、納豆と混ぜる山芋も買っている。少し前までは畑でレタスは賄(まかな)え、今は胡瓜は買わなくて済むが、わりとちゃんとした野菜を常時置いてあるので助かっている。

以前は北の清武川の橋を渡って野菜を買いに行っていた。今年はとまとを柵まで拵えて作っているが、賄えるほどは生っていない。胡瓜はこれからまだ種を蒔(ま)いて晩秋まで収穫出来ればと目論んでいるが、大抵は思い通りにはいかない。そろそろ種から大きくなった丸莢(さや)オクラが穫れそうである。最初に野菜を、その次にねばねばしたものとして納豆とすった山芋を混ぜて食べているが、オクラが出来ればもう一品増える。それに米麹から作る甘酒も、欠かさないで飲んでいる。最近は吉祥寺の娘にも好評で、いっしょに住んでいる猫ののら(↓)と分け合っているそうである。

「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬~」5月「ノアとのら」

 木花駅の前におにぎりやさんが出来た。地元の青年団が建物を立てて、女性が何人かで週に何日か朝早くからお昼頃までやっている。売切れたら閉店らしい。午前中に歩きにいくことは少ないので店が開いているのを余り見かけないが、今日は時間内に前を通って写真を撮って来た。ちょうど一人買いに来てたようだった。

 木花の駅前もきれいに整備された。駅の西口にバス乗り場も出来、電車に合わせてタクシーも行き交うようになっている。自転車置き場も放置自転車を定期的に処分しているので、以前ほどはみ出した自転車がないのはいいことである。

工事が完成する少し前

 以前公立大に非常勤に行ってるときに、自転車を停めていたら盗まれたことがある。そんなに新しいものではなかったが、まだ乗れる自転車だった。何げなく乗って行ってしまったのかも知れないが、たくさん自転車が溢れていたのに、運が悪かったとしか言いようがない。

ジンバブエのハラレでも家の車庫から自転車を盗まれたことがあるが、だいぶ事情が違う。ハラレではボーイやメイドの給料は低く、中古の自転車なら給料2年分ほどになる。だから、駅前の無料駐車場に自転車が溢れる光景はまずあり得ない。自転車で買い物に行って、よそ見してたら「自転車がない」というくらいである。ただし、自転車で買い物に、という前提がなかったようである。車に乗る一握りの金持ちと、歩かざるを得ない貧乏人しかいない、と借家を世話をしてくれた日本人の人が教えてくれた。その人もこの世にはいないと、その人の本の著者紹介の欄で知ってからもうすぐ20年になる。

ゲイリーに置いて帰る筈の中古自転車を突き当りの車庫から盗まれた

 小学校と中学校の横をと通って戻って来た。家の近くの県道で、2年前の写真と比較すると緑の部分が少なくなっている。最初の写真の方が山に近いので、杉の伐採部分がわかりやすい。

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つれづれに:自転車で

堀切峠道の駅展望台から、下に海岸道路が見える

 畑に出る時間が少し増えたからか、旧暦の言葉が身近になる。一年で夜と昼の長さが同じになる夏至(げし)を過ぎてから15日目、昨日は小暑(しょうしょ)の始まりだった。24節気の第12節、夏の節気の5番目である。

第12節の大暑(たいしょ、7月23日~8月7日)が終わるまでは一番暑い時期、小暑は「大暑来れる前なればなり(たいしょこれるまえなればなり)」らしい。アゲハチョウや鰻(うなぎ)に七夕の季節である。今日は白浜だったが、自転車をこぎながら、浜にアキアカネが飛び交うのが見えた。そろそろ梅雨も明ける。

生体組織検査で運動のできない時もあったので、充分に運動が足りているとは言えないが、だいぶ戻ってきている。週に一度はマッサージで手入れしてもらうために白浜に自転車で往復し、たまに宮崎の街まで行くこともある。足を延ばす平和台の餃子屋さん(↓)が目下の北限である。白浜までは片道1時間弱、街までは1時間ほど。清武の歯医者かハンズマンまでは片道半時間余りである。

この前は、久しぶりに2週続けて、白浜帰りに内海の南風茶屋(→「堀切峠下海岸道路④」、2021年11月7日))に行った。そこまで行っても1時間余り。今はその辺りが南限である。南風茶屋では久しぶりに南風饂飩(うどん)と何皿かのおかずが美味しかった。富土(ふと)漁港で獲れたての刺身が食べられないのが申し訳なかった。

「さしみは食べられないんです。すいません」

すぐに、揚げたての白身魚を持って来てくれた。「魚も肉も食べないので‥‥」とも言えず。揚げたては臭みもなく、食べられる。普段は食べない小さめのチキン南蛮も食べている。違う要素が体に入り、びっくりしているかも知れない。

営業時間をウェブで調べたとき、熊本出身の有名な歌手がお馴染みの南風茶屋の店先を背景に撮った写真をインスタグラムか何かに載せていた。「歌手がきたそうで。どうでした?」と聞いたら「大変でしたよ。宮崎市民ホールであったコンサートで紹介したようで。座った席で写真を撮ったり。冷や汁用に胡瓜をすってすって。多すぎるお客さんも、ね。バイパスが出来、南からはその道で医大病院に行く人が増えて、お客さんが三分の一くらいになりました」と店のおかみさんが嘆いていた。客足の戻る術はないものか?

店内から内海港付近を望む

 行き帰りは、海岸道路を利用したが出口のところでは雑草が生い茂り、大きな石ころが散乱していた。通るのは難しい。途中で大きくはみ出した雑草で通りに難かった場所が何個所かあった。水捌(は)けがうまく行かずに、2箇所で水が溜まっていた。フェニッスク道の駅に上がる階段は、草が生い茂り、階段も崩れて通行できなままだった。道路は国交省の管轄らしいが、道の駅は宮交あたりか?どちらも、保全のための予算は計上していないようだ。

南風茶屋正面

 筋肉や体の回復力も落ちているが、電動でゆっくりなら、まだあちこち何とか行けるようである。マッサージをしている時に、自転車も長距離なら鼠径部の血流が悪くなるかも知れませんねと助言してもらった。以来、立ってこいでいる。時たま座ることもあるが、血流のことを考えて、片方の尻に体重をかけている。自転車に乗るのも大変だ。そのうち、難しくなるかも知れないが、今しばらくは大丈夫のようである。

海岸道路から見える日向灘は格別である

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つれづれに:歩くコースまとめ

家の近くの県道、南側に加江田の山を望む

2021年から次の年に渡って歩くコースについて書いた。もう丸々2年である。書き始めたときは、そんなに長くなるとは思わなかった。今回新しくコースを書くのに併せて、2年前に書いた分をまとめて一覧にした。

→0:案内「歩くコース」(2021年6月30日)

木崎浜から北側を望む、小さくシーガイアが見える

→1:歩くコース1①~⑨(2023年7月6日)(→、→、→、→、→、→、→、→、→、2021年7月5日~27日に収録分)

折り返し地点の県道でサンマリーン球場を望む

→:歩くコース22①~⑤(→2の①、→2の②、→2の③、→2の④、→2の⑤(2021年7月30日~9月10日に収録分)

高台の木花神社

→3:歩くコース(2021年12月22日に収録分)

公園になっている木花中学校跡

→4:歩くコース木崎浜1~4(→木崎浜1、→木崎浜2、→木崎浜3、→木崎浜4(2021年12月26日~2022年1月9日に収録分)

木崎浜から曽山寺浜と青島を望む

→5::歩くコース追伸1(2022年2月6日に収録分)

広告で覆われる前の木花駅