2000~09年の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の3回目です。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo.46(2012年6月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

1981年―エイズ患者が出始めた頃(1)

 今回は、エイズ患者が出始めた1980年初頭の状況について書きたいと思います。前回、エイズの特徴として、「エイズはウィルスが原因で起こる極めて質の悪い病気で」「……社会的偏見がつきまとうことなどが特徴です。」と書きましたが、エイズに社会的な偏見がつきまとうようになった経緯について少し触れておきたいと思います。

エイズ患者が最初に出たのは米国西海岸のロサンゼルスで、1981年の春のことです。今は病気の原因がわかっていますが、当時患者を診た医師は得体の知れない病気に相当悩まされたようです。当時の状況を簡潔にまとめた英文記事があります。1994年に横浜で開かれた国際エイズ会議の特集記事です。第1回の国際エイズ会議は1985年に米国のアトランタで開かれました。ロサンゼルスでエイズの症例が報告されてから4年後のことです。それから第10回の横浜会議までは毎年行なわれ、それ以降は隔年で開催されています。1998年のジュネーブ会議(スイス)、2000年のダーバン会議(南アフリカ)、2004年のバンコク会議(タイ)などについては、違う機会に詳しく紹介したいと思います。1994年8月8日の英字新聞「デイリー・ヨミウリ」に掲載された「エイズの発見の歴史」です。

*******************

「エイズ」という言葉が使われるようになって10年余りが過ぎましたが、人類は未だ、この疫病を征服できないままでいます。エイズという命名がなされる以前に、自分の体に何が侵入したかもわからないまま多くの人が死にました。
1981年の春、ロサンゼルスの医師のグループが5人の患者の治療に悪戦苦闘していました。その患者は、肺の感染症の一種で、免疫システムが問題ない人には通常起こり得ない日和見感染症の症状を示すニューモシスティスカリニ肺炎(PCP)に苦しんでいました。

ロサンゼルス

この5人の患者には2つの共通点がありました。 1つは患者が男性の同性愛者であることで、もう1つは、全員が臓器移植を受けた後拒絶反応を防ぐために免疫抑制剤を投与された患者と同様の症状を示したことです。
この医師達は米国疾病予防センター(CDC)が発行する「罹患率と死亡率」(MMWR)の週間報告の6月5日号にそれらの症例を報告しました。

MWR

その後すぐに同様の報告が相次ぎました。ニューヨークの医師のグループが翌月のMMWRで、ニューヨークの20人の患者とカリフォルニアの6人の患者について報告しました。それらの患者は毛細血管の上皮に生じる腫瘍であるカポジ肉腫を発症していました。これは1979年1月から2年半の間に発症していました。更にこの26人の男性はすべて同性愛者でした。また、別の報告によれば、上の報告とは別のカリフォルニアの10人の患者がPCPを患っているということでした。これらの患者もすべて同性愛者の男性でした。

カポジ肉腫の患者

この状況に驚いて、CDCは1981年にジェイムズ・カレンが率いる特別調査チームを発足させました。これがこの未知の疾患に対する系統的研究の始まりでした。この調査チームは、1978年に最初にその症状を示したのはニューヨークのカポジ肉腫の患者だったということを突き止めました。そして、この疫学的研究の焦点を男性の同性愛者に絞りました。

ジェイムズ・カレン

この特別調査チームは、症状がTリンパ球の減少によって引き起こされたことを発見しました。Tリンパ球は病原体の侵入から人の体を守る細胞免疫で重要な役割を果たします。
調査チームは最終的に、この疾患が血液あるいは精液によって感染するという結論を下しました。この疾患が後天性免疫不全症候群(AIDS)と命名されたのはその時です。
一方、患者のタイプはかなり多様になってきていました。1981年末に、ニューヨークの医師が静脈注射による麻薬常用者が同様の症状を患っていることを報告しました。ハイチからの移民もまたそのリストに加えられました。
総計216人の症例が1982年の6月の時点でCDCに報告されていました。84%は男性の同性愛者で、9%が静脈注射による麻薬使用者、2%がハイチからの移民、5%が女性でした。その内、88人は既に亡くなっていました。
この頃、幼児とエイズ患者の配偶者の女性がこの疾患にかかり始めていました。
エイズがあるウィルスによって引き起こされることが完全に証明されたのは、1983年の春のことです。この年、フランスのパスツール研究所の研究者グループがアメリカの雑誌の「サイエンス」5月20日号にエイズウィルスを発見していたことを発表しました。
そのちょうど1年後、アメリカの2つの医学研究グループが、エイズ患者の血液からエイズを引き起こすウィルスを単離したと発表しました。この別々に発見されたウィルスは、後に同じものであることが確認され、現在、一般にヒト免疫不全ウィルス(HIV)と呼ばれています。

HIV

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1981年の夏の終わりには、100を越す発症報告がCDCに寄せられました。特に同性愛者の多い都市で多発しており、マスコミはその病気を同性愛者免疫不全症と呼び始めました。患者は病気の原因さえ分からず肉体的にも苦しいのに、最初から世間の偏見とも闘わなければならなかったのです。患者は世間の冷たい視線に晒されて、孤立してゆきます。
NHKBSドキュメンタリー「エイズの時代」(2006年)は、ロザンゼルスで「患者の治療に悪戦苦闘」した医師二人に取材して、当時の状況を見事に検証しています。次回はその「エイズの時代」を中心に当時の状況を紹介しましょう。
1993年のアメリカ映画『フィラデルフィア』は、エイズで解顧された弁護士(トム・ハンクス)が、エイズ恐怖症の弁護士(デンゼル・ワシントン)助けを借りて、裁判で不当解雇をめぐって社会の差別や偏見と闘うという姿を描いて話題になりました。

<ミニ解説>
「日和見感染症」……正常の宿主に対しては病原性を発揮しない病原体が、宿主の抵抗力が弱っている時に病原性を発揮しておこる感染症です。(サイトメガロウイルス感染症など)(「国立感染症研究所感染症情報センター」http://idsc.nih.go.jp/about/index.html
「ニューモシスティスカリニ肺炎(PCP)」……病原体ニューモシスティス・カリニ(環境中に常在する微生物)により引き起こされる肺炎。具体的な症状は、発熱、倦怠感、息苦しさ、乾性咳など。(「通信用語の基礎知識」http://www.wdic.org/
「カポジ肉腫」……ウイルス性の感染症で、皮膚に紅色の斑点ができ、内部組織が破壊される皮膚がん。(「通信用語の基礎知識」http://www.wdic.org/

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(3)第4章 アイリーン・カマンジャ」「モンド通信 No. 8」、2009年1月10日)
「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(1) 著者の覚え書き・序章・第1章」「モンド通信 No. 5」、2008年12月10日)

●メールマガジンへ戻る: http://archive.mag2.com:80/0000274176/index.html

執筆年

2009年6月10日

収録・公開

モンド通信(MomMonde) No.11

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『ナイスピープル』を理解するために―(3)1981年―エイズ患者が出始めた頃(1)

2000~09年の執筆物

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の2回目で、エイズとウィルスです。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

エイズとウィルス

 今回は、『ナイスピープル』の主題となっているエイズについて少し書きたいと思います。

エイズはウィルスが原因で起こる極めて質の悪い病気です。免疫機構がやられること、ウィルスが体内に侵入すると死ぬまで除去出来ないこと、感染しても無症状の期間が長いこと、性感染症であること、社会的偏見がつきまとうことなどが特徴です。

元々人間には外部から侵入してくる細菌やウィルスなどの外敵とたたかって自分の体を守る免疫機構という機能が備わっていますが、エイズでは、その機能がやられてしまいます。HIV(ヒト免疫不全ウィルス)に免疫機構をやられて、普通では罹らない病気になるのがエイズなのです。

HIVの構造式

人がどうしてエイズという病気にやられるのか、また、どのようにHIVに感染するのかなどを少し詳しく見ていきましょう。

エイズ(後天性免疫不全症候群)はHIV(ヒト免疫不全ウィルス)によって引き起こされる病気です。性的接触や薬物乱用者の注射針の使い回しや、汚染された血液や血液製剤などの輸血を通して、体液(特に血液と精液)が交じることによって感染して行きます。免疫機構が正常に働く人なら普通は起こらないカリニ肺炎のような日和見感染症が特徴の免疫系の症候群です。従って、エイズは免疫不全症候群にも、性感染症にも分類されています。主人公の医師ムングチは性感染症の専門家ですから、エイズ患者がムングチの診察を受けにきたのもうなずけます。

血液の中の白血球は外から侵入してきた異物を排除して体を守る働きをしていますが、白血球の中でも、HIVは主にCD4という受容体(レセプター)を持つ陽性T細胞に侵入します。(陽性T細胞は病原体の侵入から人体を守る細胞性免疫機構で重要な役割を果たしています。)HIVにやられてCD4陽性T細胞の数が減少しますと、本来人間に備わっている免疫力が低下してさまざまな日和見感染症の症状があらわれるのです。(アメリカのテレビドラマ『ER緊急救命室』などでも、ERに来た患者が咳などをしていると肺炎→エイズ、の可能性があると疑われる場面がありますが、日和見感染症の一つカリニ肺炎を疑っているのです。また、首筋にかさぶたが出来ていれば、カポジ肉腫という日和見感染症→エイズ、という具合です。)

カポジ肉腫の患者

HIVの物質的な実体は、遺伝子情報の断片、たんぱく質の殻に覆われている9種類の遺伝子です。白血球(宿主細胞)に侵入し、その宿主細胞を自分自身のウィルス工場に変えてHIVを次々と産生することによって生き延びます。HIVの増殖の過程を簡単に書けば、次のようになります。

① HIVは、感染に対する生体の防御つまり外部から侵入してくる異物を排除する仕組みを調整する宿主細胞(主にT細胞)にある受容体に取り付きます。細胞の膜の上でタンパクの殻を脱ぎ捨て、遺伝物質(RNAという核酸)と逆転写酵素(RT)と呼ばれる酵素をT細胞の中に放出します。
② ウィルスのRNAは逆転写酵素によって逆転写/または「変換」されます。
③ ウィルスのDNAは、インテグラーゼと呼ばれる酵素によって宿主細胞の染色体に組み込まれます。
④ 感染した細胞は、新たなウィルスのRNAを産生します。ウィルスタンパク質が、翻訳と呼ばれる過程を通して、RNAからつくられます。
⑤ ウィルスのタンパク質はプロテアーゼによって小さく切断されます。
⑥ 新しくつくられたタンパク質とRNA遺伝子は集まって、新たなHIVを多数形成します。
⑦ 新しいHIVはその宿主細胞膜(人間の細胞膜です)を被って出芽し、その宿主細胞を殺し、移動してはまた別の宿主細胞に感染してその細胞を殺し、感染者の免疫機構の能力を奪います。

HIVの増殖過程図(Human Biology: Benjamin Cummings, 2010)より

HIVは自己複製出来ませんので人間の細胞の力を借りるわけですが、自己複製にはDNAの二本鎖が必要です。しかし、HIVには一本鎖のRNAしかありませんので、酵素を使ってRNAをDNAに変換し、その一本を鋳型にして二本鎖のDNAを作ってそれを人間の細胞のDNAに組み込むというわけです。あとは人間の細胞の道具を使って完全な姿になって出芽して完了です。何とも厚かましい話です。何とHIVを包む一番外側の膜は人間の細胞から作られるのです。しかも、最大の問題は、HIVに狙われる対象(=宿主細胞)が人の免疫機構を司る細胞、つまり侵入してくる外敵と戦う武器(抗体)を作るように指令を出す役目をしている細胞だということです。

宿主細胞から出芽するHIV

ウィルスは「正確に言うと生物ではありません。」と言われます。秋山武久著『HIV感染症』には次のように書かれています。「ウィルスが生物かといわれるといささか躊躇される。それはウィルスが増殖するためには、全面的に宿主細胞の助けを借りなければならないからである。宿主細胞の工場と酵素を拝借し、ウィルスが自分で提供するものは遺伝子だけである。すなわち遺伝子に記録された青写真だけを与えて、それに従って宿主細胞に働くことを指令する……感染に際して、核酸(遺伝子)のみを包んだウィルス粒子が解体されて、自らの遺伝子を宿主細胞に注入し、宿主にウィルス核酸やウィルスタンパク質を別々に合成してもらい、再びウィルス粒子として再構築する……こうなると、ウィルスは自立した生物とはいい難い。といって、完全な無生物というには気がひける。生物でも無生物でもないというのが正解」(南山堂、1997年)

HIV

しかし、「生物でも無生物でもない」と言われても、HIV(ヒト免疫不全ウィルス)は、宿主細胞である人間の細胞の中に侵入して自己を増やして、現にたくさんの人間を殺しています。

③の段階でウィルスが染色体の中に組み込まれますとそれ以降は異物として認識されなくなりますので、ウィルスは人間が死ぬまで体内に生き続けることになります。従って、現在開発されている抗HIV製剤で治療を始めることが出来たとしても、死ぬまで飲み続けなければならないわけです。

体を守る免疫機構をやられる点でも、いったん入り込まれるとウィルスを排除する方法がない点でも、エイズという病気は実に厄介な病気です。

●メールマガジンへ戻る: http://archive.mag2.com:80/0000274176/index.html

執筆年

  2009年5月10日

収録・公開

  →モンド通信(MomMonde) No.10

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  →『ナイスピープル』を理解するために―(2) エイズとウィルス

2000~09年の執筆物

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に連載した『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』をよりよく理解出来ればと願って書いた27回分です。門土社のブログから「書いたもの」に移行しました。その一覧です。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo.47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」のブログも下にリンクを貼ってあります。

『ナイスピープル』(Nice People

 

<1>→「『ナイスピープル』理解1:『ナイスピープル』とケニア」」「モンド通信 No. 9」、2009年4月10日)

<2>→「『ナイスピープル』理解2:エイズとウィルス」「モンド通信 No. 10」、2009年5月10日)

<3>→「『ナイスピープル』理解3:1981年―エイズ患者が出始めた頃1」「モンド通信 No. 11」、2009年6月10日)

<4>→「『ナイスピープル』理解4:1981年―エイズ患者が出始めた頃2 不安の矛先が向けられた先」「モンド通信 No. 12」、2009年7月10日)

<5>→「『ナイスピープル』理解5:アフリカを起源に広がったエイズ」「モンド通信 No. 13」、2009年8月10日)

<6>→「『ナイスピープル』理解6:アフリカでのエイズの広がり」「モンド通信 No. 14」、2009年9月10日)

<7>→「『ナイスピープル』理解7:アフリカのエイズ問題を捉えるには」「モンド通信 No. 15」、2009年10月10日)

<8>→「『ナイスピープル』理解8:南アフリカとエイズ」「モンド通信 No. 16」、2009年11月10日)

<9>→「『ナイスピープル』理解9:エイズ治療薬と南アフリカ1」「モンド通信 No. 17」、2009年12月10日)

<10>→「『ナイスピープル』理解10: エイズ治療薬と南アフリカ2」「モンド通信 No. 18」、2010年1月10日)

<11>→「『ナイスピープル』理解11:エイズと南アフリカ―2000年のダーバン会議」「モンド通信 No. 19」、2010年2月10日)

<12>→「『ナイスピープル』理解12:エイズと南アフリカ―タボ・ムベキ1 育った時代と社会状況1」 「モンド通信 No. 20」、2010年3月10日)

<13>→「『ナイスピープル』理解13:エイズと南アフリカ―タボ・ムベキ2 育った時代と社会状況2 アパルトヘイト」「モンド通信 No. 21」、2010年4月10日)

<14>→「『ナイスピープル』理解14:エイズと南アフリカ―ムベキの育った時代3 アパルトヘイト政権との戦い」「モンド通信 No. 31」、2011年3月10日)

<15>→「『ナイスピープル』理解15:エイズと南アフリカ─ムベキの育った時代4 アパルトヘイト政権の崩壊とその後」「モンド通信 No. 32」、2011年4月10日)

<16>→「『ナイスピープル』理解16:メディアと雑誌『ニューアフリカン』」「モンド通信 No. 33」、2011年5月10日)

<17>→「『ナイスピープル』理解17:雑誌『ニューアフリカン』」「モンド通信 No. 34」、2011年6月10日)

<18>→「『ナイスピープル』理解18:『ニューアフリカン』:エイズの起源1 アフリカ人にとっての起源の問題」「モンド通信 No. 38」、2011年10月10日)

<19>→「『ナイスピープル』理解19:『ニューアフリカン』:エイズの起源2 アフリカ人の性のあり方」「モンド通信 No. 39」、2011年11月10日)

<20>→「『ナイスピープル』理解20:『ニューアフリカン』:エイズの起源3 アフリカの霊長類がウィルスの起源」「モンド通信 No. 40」、2011年12月10日)

<21>→「『ナイスピープル』理解21:『ニューアフリカン』:エイズの起源4 米国産の人工生物兵器としてのウィルス」「モンド通信 No. 41」、2012年1月10日)

<22>→「『ナイスピープル』理解22:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告1」「モンド通信 No. 42」、2012年2月10日)

<23>→「『ナイスピープル』理解23:「シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告2」「モンド通信 No. 43」、2012年3月10日)

<24>→「『ナイスピープル』理解24:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告3」「モンド通信 No. 44」、2012年4月10日)

<25>→「『ナイスピープル』理解25:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告4」「モンド通信 No. 45」、2012年5月10日)

<26>→「『ナイスピープル』理解26:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告5」「モンド通信 No. 46」、2012年6月10日)

<27>→「『ナイスピープル』理解27:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告6」「モンド通信 No. 47」、2012年7月10日)

2000~09年の執筆物

『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳の一覧です。

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)のNo. 5(2008年12月10日)からNo.35(2011年6月10日)まで30回に渡って連載した分で、このブログに載せました。

<1>→「(1)著者の覚え書き・序章・第1章 イバダン大学」No. 5(2008/12/10)
<2>→「(2)第2章 ケニア中央病院(KCH)・第3章 ンデル診療所」 No. 6(2009/1/10)
<3>→「(3)第4章 アイリーン・カマンジャ」No. 8(2009/3/10)
<4>→「(4)第5章 ベネディクト神父」No. 9(2009/4/10)
<5>→「(5)第6章 メアリ・ンデュク」No. 10(2009/5/10)
<6>→「(6)第7章 イアン・ブラウン」No. 11(2009/6/10)
<7>→「(7)第8章 ハリマ」No. 12(2009/7/10)
<8>→「(8)第9章 マインバ家」No. 13(2009/8/10)
<9>→「(9)第10章 ンデル警察署」No. 14(2009/9/10)
<10>→「(10)第11章 リバーロード診療所」No. 15(2009/10/10)
<11>→「(11)第12章 初めてのX線機器」 No. 16(2009/11/10)
<12>→「(12)第13章 行方不明者」No. 17(2009/12/10)
<13>→「(13)第14章 ドクターGGの娘(前半)」No. 18(2010/1/10)
<14>→「(14) 第14章 ドクターGGの娘(後半)」No. 19(2010/2/10)
<15>→「(15) 第15章 ユーニス」No. 20(2010/3/10)
<16>→「(16) 第16章 豚野郎フィル」 No. 21(2010/4/10)
<17>→「(17) 第17章 医師用宿舎B10」No. 22(2010/5/10)
<18>→「(18) 第18章 ナイセリア菌」No. 23(2010/6/10)
<19>→「(19) 第19章 花婿の値段」No. 24(2010/7/10)
<20>→「(20) 第20章 四十年間の投獄」No. 25(2010/8/10)
<21>→「(21) 第21章 一九七九年モンバサ」No. 26(2010/910)
<22>→「(22) 第22章 仮論文」No. 27(2010/10/10)
<23>→「(23)第23章 一匹狼の医者」No. 28(2010/11/10)
<24>→「(24)第24章 一九八二年」No. 29(2010/12/10)
<25>→「(25)第25章 1983年2月・第26章 1984年―謎の病気」No. 30(2011/1/10)
<26>→「(26)第27章 男の赤ん坊」No. 31(2011/2/10)
<27>→「(27)第28章 カナーンホスピス」No. 32(2011/3/10)
<28>→「(28) 第29章 カナーン証明書」No.33(2011/4/10)
<29>→「(29) 第30章 タラで過ごした一週間」No.34(2011/5/10)
<30>→「(30) 最終章」No.35(2011/6/10)

僕のホームページ→「ノアと三太」にも載せてあり、クリックすると、門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」が見られます。

<1>→「(1)著者の覚え書き・序章・第1章 イバダン大学」No. 5(2008/12/10)
<2>→「(2)第2章 ケニア中央病院(KCH)・第3章 ンデル診療所」 No. 6(2009/1/10)
<3>→「(3)第4章 アイリーン・カマンジャ」No. 8(2009/3/10)
<4>→「(4)第5章 ベネディクト神父」No. 9(2009/4/10)
<5>→「(5)第6章 メアリ・ンデュク」No. 10(2009/5/10)
<6>→「(6)第7章 イアン・ブラウン」No. 11(2009/6/10)
<7>→「(7)第8章 ハリマ」No. 12(2009/7/10)
<8>→「(8)第9章 マインバ家」No. 13(2009/8/10)
<9>→「(9)第10章 ンデル警察署」No. 14(2009/9/10)
<10>→「(10)第11章 リバーロード診療所」No. 15(2009/10/10)
<11>→「(11)第12章 初めてのX線機器」 No. 16(2009/11/10)
<12>→「(12)第13章 行方不明者」No. 17(2009/12/10)
<13>→「(13)第14章 ドクターGGの娘(前半)」No. 18(2010/1/10)
<14>→「(14) 第14章 ドクターGGの娘(後半)」No. 19(2010/2/10)
<15>→「(15) 第15章 ユーニス」No. 20(2010/3/10)
<16>→「(16) 第16章 豚野郎フィル」 No. 21(2010/4/10)
<17>→「(17) 第17章 医師用宿舎B10」No. 22(2010/5/10)
<18>→「(18) 第18章 ナイセリア菌」No. 23(2010/6/10)
<19>→「(19) 第19章 花婿の値段」No. 24(2010/7/10)
<20>→「(20) 第20章 40年間の投獄」No. 25(2010/8/10)
<21>→「(21) 第21章 1979年モンバサ」No. 26(2010/910)
<22>→「(22) 第22章 仮論文」No. 27(2010/10/10)
<23>→「(23)第23章 一匹狼の医者」No. 28(2010/11/10)
<24>→「(24)第24章 1982年」No. 29(2010/12/10)
<25>→「(25)第25章 1983年2月・第26章 1984年ー謎の病気」No. 30(2011/1/10)
<26>→「(26)第27章 男の赤ん坊」No. 31(2011/2/10)
<27>→「(27)第28章 カナーンホスピス」No. 32(2011/3/10)
<28>→「(28) 第29章 カナーン証明書」No.33(2011/4/10)
<29>→「(29) 第30章 タラで過ごした一週間」No.34(2011/5/10)
<30>→「(30) 最終章」No.35(2011/6/10)