つれづれに

2021年11月シンポジウム最終報告:Zoomシンポジウム案内

2回目のZoomシンポジウムのタイトルのみの案内です。追って、開催日の1週間前までには概要を送ります。

前回の参加者に案内を送りますが、他に参加者がいる時は連絡下さい。案内します。

今回は寺尾さん、杉村さんが都合により参加できないため、医者になった赤木くんに応援を頼んで、二人のシンポジウムです。発表者が少ない分、参加者が発言する時間が多くなりますので、いっしょに楽しんもらえると嬉しいです。

寺尾さんは10月から一橋大に、杉村さんは4月からニュージーランドで家族と合流、目下博士号を取得中です。

「アングロ・サクソン侵略の系譜」―アフリカとエイズ

日時:2021年11月27日(土)10:00~12:00

発表: 赤木秀男: HIV感染と免疫機構について

玉田吉行:ケニアの小説から垣間見えるアフリカのエイズ

*Zoomの招待状です↓

トピック: 玉田吉行 の Zoom ミーティング

時間: こちらは定期的ミーティングです いつでも

Zoomミーティングに参加する

https://us04web.zoom.us/j/79189996934?pwd=SzRJWERGalR4VmVGRmpSZmwzTkZYdz09

ミーティングID: 791 8999 6934

パスコード: 5F77Wk

*問い合わせは玉田まで→ tamadayoshiyuki@gmail.com、☎080-3413-7515

blogでの1回目の報告→「アングロ・サクソン侵略の系譜24:2021年Zoomシンポジウム」(https://kojimakei.jp/tama/topics/works/7426

つれづれに

発表1「HIV/AIDSから社会問題を炙(あぶ)り出す」      赤木秀男

この世界には数多の病気(疾患)がある。その中でなぜAIDSは世界の貧困、搾取、不平等、差別、偏見を炙り出す疾患たりうるのか。AIDSの病気としての特徴に焦点を当てつつ、この疑問について考える。結論を先取りすると、AIDS特有の①歴史、②感染経路、③発現形式、④感染拡大防止方法、⑤治療ゆえに、AIDSは社会問題の1つの切り口になると私は考える。

まずはHIVとAIDSの違いについてであるが、HIVとはHuman Immunodeficiency Virus(ヒト免疫不全ウイルス)との名前の通りウイルスの名前である。AIDSはAcquired Immunodeficiency Syndrome(後天性免疫不全症候群)であり、HIVに感染した人が免疫能の低下により23の合併症のいずれかを発症した状態である。

HIV

① 歴史

AIDSは1981年6月にアメリカで初報告された。1980年10月から1981年3月にかけてカリフォルニア州ロサンゼルスの3つの異なる病院にて5人の同性愛者の男性がニューモシスチス肺炎を発症した。ニューモシスチス肺炎は免疫能が正常である成人男性ではおおよそ罹患し得ない疾患である。この報告からHIV/AIDSに対する研究はスタートした。同性愛者、貧困層、麻薬中毒者という集団から広まっていったという歴史は、HIV/AIDSが社会問題を炙り出す疾患といえる一つの要因であると思う。

それから今年で40年である。2021年6月のWHO統計では、この40年間に世界で3770万人がHIVに感染し、2020年の1年では150万人が新規に感染し、68万人がAIDSで死亡したと推計されている。本邦でも2019年の1年間で891人の新規感染者が報告されている。これらの数字は、後述するAIDSの特徴ゆえに、あくまで推計人数に留まり、実数を捉えることは不可能であろう。

② 感染経路

HIVの感染経路は3つしか報告されていない。(a) HIV感染者との性交、(b) HIVが混入している血液との濃厚接触、(c) HIV感染者の妊娠・出産である。HIVはウイルス自体の生存戦略であろうか、宿主である人を「生かさず、殺さず」に生き長らえさせる。HIVは血液や精液中の濃度が高くなるような戦略を取っている。血液、精液を通じて感染が広がるという特徴は、HIV/AIDSをして社会問題を映し出す一つの理由であろうと考える。

麻薬の静脈注射

③ 発現様式

HIV感染からAIDSに至るまでに数年~数十年という無症候性の潜伏期がある。この点についてはまず、免疫機構について高校生物の範囲で簡単に復習する。

ヒトの体内環境は常にウイルスや細菌などの病原体が感染する危険にさらされている。免疫とは、そんな病原体の感染から体を守るしくみであり、免疫細胞とは、体を守る細胞で、病原体の感染から体を守る細胞のことをいう。血液の細胞の中で免疫にかかわるのは白血球で、その白血球は大きく好中球、マクロファージ、リンパ球に分かれる。好中球、マクロファージは食細胞とも呼ばれ、病原体を食べて撃退する。これは生まれながらに誰もが持っている免疫の働きであり、自然免疫と呼ばれる。リンパ球はT細胞とB細胞に分かれ、樹状細胞が抗原提示することでT細胞が活性化する。T細胞には司令塔でありB細胞に抗原提示をし、マクロファージを励ますヘルパーT細胞と、病原体そのものを殺すのではなく感染した細胞ごと殺すキラーT細胞があり、これらT細胞による免疫を細胞性免疫という。もう一つ、体液性免疫という仕組みがあり、これはヘルパーT細胞から抗原提示を受けたB細胞が抗体を産生し、その抗体が病原体の表面にくっつき毒素を抑え、病原体がそれ以上感染できないように無力化する。

HIVはT細胞(ヘルパーT細胞、キラーT細胞)に入り込んで、T細胞を破壊する。それゆえに細胞性免疫、体液性免疫(2つを併せて適応免疫と呼ぶ)が機能しなくなる。免疫機構が機能しないため、病原体の感染から体を守ることができなくなり、HIV感染者は「免疫不全」の状態となる。「免疫不全」ゆえに、健常人ではおおよそ罹らない弱小病原体にまで罹ってしまう状態になると、AIDSと診断される。

ヒトがHIVに感染すると、体内のHIV数はいったん上昇したのちに、T細胞による作用も相まって減少に転ずる。しかし、決してゼロにはならない。HIVは体内に潜伏する。もともと新陳代謝が激しいT細胞は、病原体であるHIVと闘いながらも、HIVの影響でその数は徐々に減少していく。この間、感染したヒトは無症状である。T細胞数が体内に潜伏するHIVにあらがえないレベルにまで至ったとき、HIVは青天井の増殖をはじめるが、その時はまたAIDSの状態である。間もなく宿主の死を迎えることとなる。

以上に述べたように潜伏期を経るというHIV/AIDSの特徴ゆえに、HIV/AIDSは社会問題を炙り出すのであろう。

④ 感染拡大防止方法

HIVの感染拡大予防のためには、検査と防護が必要である。まず、感染を広げないために誰がHIVに感染していて、誰が感染していないのか、感染している本人も含めて知っておく必要がある。先に述べたようにHIVは無症状の潜伏期があるがゆえに、現に症状がない人(「元気」な人)も含めて、感染の可能性が少しでもあるヒトを広く検査をする必要がある。広く検査をするには、その社会において検査体制のみならずその先の治療まで充実している必要があろう。感染者の立場からすると、仮に陽性と判明しても、治療法がなければ、他人に移さないようにするよう注意する程度で、本人にとって検査を受けるメリットは少なく映るからである。陽性と判明したら社会的偏見にさらされるのであれば、なおさらであろう。

次に、感染者が分かったならば(感染者が分からなくとも標準的な)それを広げないための予防を行う必要がある。3つの感染経路に沿っていうならば (a) HIV感染者との性交に関してはコンドームの使用、(b) HIVが混入している血液との濃厚接触に関しては注射の回し打ちをしない、献血に感染がないかのチェック、(c) HIV感染者の妊娠・出産に関しては垂直感染防止の措置が取られる必要がある。以上に加えて、性教育やHIV/AIDSに対する認知を高めていく必要等もあるだろう。

検査体制と感染を広げないための対策がどこまで可能かという点についても、その社会や階層によって違いが出てくる。つまり、社会・階層の違いがHIV/AIDS流行状況の違いとして出てきそうである。

⑤ 治療

HIVにはそれ自体の予防薬、完治薬はなく、ただAIDS発症を遅らせる治療しかない。薬により体内のHIV増殖を抑え、T細胞数を保つことでAIDSを発症させないようにはできるが、体内からHIVを完全に排除することはできないのである。十分な治療が受けられる社会でのHIV感染者のあり様、十分な治療が受けられない社会でのHIV患者のあり様は大きく異なってくる。治療薬自体に関しても、その知的財産権や価格について様々な議論があったことは記憶に新しいであろう。

抗HIV製剤

 まとめると、HIV/AIDSは1~5ゆえに、世界全体の、社会の中での、さまざまな問題や矛盾を映し出す病気たり得るのだと考える。逆に、病気(HIV)はヒトを選ばない(国籍、人種、年齢)ため、HIV/AIDS患者のあり様はその社会を映し出す鏡とも言える。社会問題を考える際に一つの疾患に着目することは「artificial(人工的)な因子」を排除する観点からも非常に有用なアプローチであろう。

【参考】

・NHK高校講座「免疫のシステム」

https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/seibutsukiso/archive/resume025.html、2021年11月22日最終アクセス)

・MS Gottlieb. Epidemiologic Notes and Reports Pneumocystis Pneumonia — Los Angeles. CDC MMWR Jun. 1981

・厚生労働省「新規HIV感染者・エイズ患者報告数の推移」

(https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/02-08-03-07.html、2021年11月22日最終アクセス)

・ステッドマン医学大辞典編集委員会編『ステッドマン医学大辞典 第6版』(メジカルビュー社、2008年)

・高久史麿ほか『新臨床内科学 第9版』(医学書院、2009年)

・田沼順子「HIVの最新知見」(『臨床とウイルス』49巻1号、2021年)

・WHO「HIV/AIDS」

https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/hiv-aids、2021年11月22日最終アクセス)

・塚田訓久「HIV-世界と日本の動向」(『小児内科』49巻11号、2017年)

・東京都福祉保健局「エイズという病気とその現状」

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/aids/genjo.html、2021年11月22日最終アクセス)

・平井由児「コンドームの歴史的変遷と予防~性感染症から臓器移植まで」(『東医大誌』77巻2号、2019年)

・水越幹雄「ベトナムでの性感染症予防啓発活動」(『バムサジャーナル』32巻4号、2020年)

つれづれに

「アングロ・サクソン侵略の系譜」―系譜の中のHIV感染症とエイズ

2021年11月27日(土)/2021年12月30日作成

目次  はじめに/ 発表/ 参加者の感想/ 資料

目次

 はじめに

シンポジウム「『アングロ・サクソン侵略の系譜』―系譜の中のHIV感染症とエイズ」の報告書(54ページ)である。文部科学省科学研究費(平成30~34年度基盤研究C、4030千円)の交付を受けた「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」の成果を問うための第3回目のシンポジウムで、2021年11月27日(土)にZoomで開催した。

「アングロ・サクソン侵略の系譜」の流れで、既に2回のシンポジウム(↓)をやっているが、今回はエイズに関することでもあったので、医者になった赤木くんに応援を頼み、HIV/AIDSの解説を医者の立場からやってもらい、発表者として参加してもらった。前以上に双方向でやれるように、司会は再度中原さんにお願いした。参加者の感想を寄せてもらって掲載も出来た。Covid19の先行きも見えず大変な時期が続いているが、エイズも大きな問題であるし、病気の話は人ごとではないので、病気や免疫についても考えるいい機会になっていれば幸いである。

1回目(宮崎大学330ホール):「アングロ・サクソン侵略の系譜」:2018年11月30日

発表:

Michael Schauerte:「アングロ・サクソン文化の真意-歴史事実と民族神話の対比」

玉田吉行:「南部アフリカの搾取構造と人々の暮らし」/横山彰三:「イランと米国:蜜月から対立へ」

杉村佳彦:「塗りかえられたマオリの口承伝統――ジョン・ホワイトの原稿と情報提供者ウィリアム・コレンソー――」

寺尾智史(兼司会):「非アングロ・サクソン系植民地におけるアングロ・サクソンの陰影―ギニア湾岸アフリカを中心に―」

2回目(Zoom):「第二次世界大戦直後の体制の再構築」:2021年2月20日(土)

発表

玉田吉行:「体制再構築の第一歩―ガーナとコンゴの独立時」

寺尾智史:「列強による分断の果てに――赤道ギニアのビオコ島、アンゴラ飛地のカビンダの現代史」

杉村佳彦:「マオリの都市化―戦後不況を乗り越えて得たもの―」

つれづれに

2022年が始まった。今年最初の書き込みである。

2021年Zoomシンポジウム6

「アングロ・サクソン侵略の系譜―アフリカとエイズ」(11月27日土曜日)

「ケニアの小説から垣間見えるアフリカとエイズ」6:

『ナイスピープル』と『最後の疫病』

アングロ・サクソン侵略の系譜の流れの中で読めば『ナイス・ピープル』と『最後の疫病』はなかなか興味深い作品である。極めて貴重な歴史的資料でもある。イギリス人の侵略によって、ケニアは「先進国の番犬」となった少数の金持ちと「安価な労働力」としての大多数の貧乏人という歪んだ世界になってしまったが、歴史にお構いなしに、ウィルスは金持ちにも貧乏人にも感染する。『ナイス・ピープル』は「先進国の番犬」となった上流小市民階級の金持ちに焦点を当て、『最後の疫病』は「先進国」と番犬政府に搾り取られ続ける大多数の農民層に焦点を当てている。

『ナイスピープル』

主人公ジョセフ・ムングチ (Joseph Munguti) は、ナイジェリアのイバダン大学の医学部を1974年の6月に卒業後、ケニア中央病院「Kenya Central Hospital (KCH) 」で働き始めるという設定である。卒業論文を性感染症で書いたこともあって、先輩医師ギチンガ (Waweru Gichinnga) の指導を受けながら、ギチンガ個人が経営する診療所で稼ぎながら勤務医を続ける。ギチンガは国立病院では扱えないような不法な堕胎手術などで稼ぎを得ていたようで、やがては告発されて収監される。

イバダン大学

ある日、診療所を引き継いだムングチのもとに年老いたコンボ (Kombo) と名乗る中国人がやって来た。老人は「やあ、先生さんよ、わしは金持ちじゃよ。2万シリング持ってきた。わしのこの病気を治してくれる薬なら何でもいい、何とか探してくれんか」と言って、大金を残して立ち去る。断る理由もなく、謎の病気の正体を突き止めることにしたムングチはケニア中央研究所 「the Kenya Medical Research Institute (KEMRI)」の図書館に入り浸り、2日目に、同年12月にアメリカで発行された以下の症例報告に辿り着く。

「あらゆる抗生物質に耐性を持つ重い皮膚病の症状を呈し、生殖器に疱疹が散見される。下痢、咳を伴い、大抵のリンパ節が腫れる。極く普通にみられる病気と闘う抵抗力が体にはないので、患者は痩せ衰えて、やがては死に至る。病気を引き起こすウィルスが中央アフリカのミドリザルを襲うウィルスと類似しているので、ミドリザル病と呼ばれている。サンフランシスコの男性の同性愛者が数人、その病気にかかっている。」

ケニア中央研究所

意見を求めた元同僚から、未知のウィルスによる新しい性感染症の診断に間違いはなく、既に同病院でも米国人2人、フィンランド人2人、コンゴ人2人が同じ症状で死亡し、ケニア人3人の末期患者が隔離病棟にいる、と教えられた。その一人が依頼を受けたコンボで、確認のために隔離病棟を訪れた際の様子が次ように描かれている。

「私は調べた結果と比較して患者を見てみたかった。目的を説明すると、看護師は3人が眠っているガラス張りの部屋に連れて行ってくれた。私たちを怪訝そうに見つめる救いようのない3人を見つめながら、私は言いようのないわびしさを感じた。そのとき、その老人が目に入った。私の患者、コンボ氏に違いなかった。口から泡を吹き、背を屈め、ひどく苦しそうに繰り返し咳き込んでいた。渇いた咳は明らかに両肺を穿っていた。老人には私が誰かは判らなかったが、隔離病棟の柵を離れながら、後ろめたいほろ苦さを感じた。」

コンボは、以前ムングチの診療所を訪ねてきたルオ人女性の鼻を折った張本人で、ナイロビ市の清掃業を一手に引き受ける大金持ちだった。ルオ人女性は清掃会社の就職面接でコンボから裸になって歩き回るように命令された時に抵抗して暴力をふるわれたのだが、噂では、肛門性交嗜好家の異常な行動の犠牲者が他に何人もいたようだった。ムングチは、コンボの死に際の哀れな姿を思い浮かべながら、神が犠牲者たちに代わってコンボの蛮行への鉄槌を下したに違いないと結論づけた。元同僚の医師Dr GG (Gichua Gikere) は、「スリム病」と呼ばれるこの病気については既に知っており、唯一薬を提供出来るだろうと「ウィッチ・ドクター」と呼ばれる地方の療法師・呪術師を紹介してくれたが、実際の役に立ちそうにはなく、性感染症専門医ムングチのエイズとの闘いが始まったというわけである。

コンボと同じように、医者のムングチも金持ちの階級に属しており、「ナイス・ピープル」とはそんな金持ち専用の高級クラブに出入りする人たちのことである。ムングチも役所や大銀行や政府系の企業の会員たちが資金を出し合う唯一の「ケニア銀行家クラブ」の会員だった。クラブには、ナイロビの著名人リストに載っている人たちが集まって来る。テニスコート5面、スカッシュコート3面、サウナにきれいなプールも完備されており、ナイロビの若者官僚たちの特に便利な恋の待合い場所になっていた。「先進国の番犬」やその取り巻き連中の溜まり場だったわけである。

作品中にも頻出するタスカ―ビール

幼馴染みのメアリ・ンデュク (Mary Nduku) の愛人イアン・ブラウン (Ian Brown) も Dr GG の娘ムンビ (Mumbi) の愛人ブラックマン (Blackmann) も、ムングチが高級クラブで出会った「ナイス・ピープル」である。

ブラウンは南アフリカからの入植者を祖父に持ち、高級住宅街に住む34歳の青年で、ジャガーを乗り回し、一流のゴルフ場でゴルフを楽しんでいる。大手の「スタンダード銀行」の秘書ンデュクと愛人関係にある。エイズを発症して英国で治療を受けるために帰国しようとするが、航空会社から搭乗を拒否されて失意のなかで死んでゆく。

ブラックマンはモンバサの売春宿でDr GGの娘ムンビと出会い、常連客の一人となったフィンランド人の船長で、結果的には、2人の間に出来た子供を連れてヘルシンキまで押しかけてきたムンビを引き取ることになる。エイズに斃れたムンビの亡骸は、ケニアに送り返された。

モンバサ

高級住宅街に住むマインバ夫妻も「ナイス・ピープル」である。妻のユーニス・マインバは、ある日、額から夥しい血を流しながら病院に担ぎ込まれた。その傷が夫の暴力によるもので、のちに、夫とメイドとの浮気の現場を見て以来、精神的に不安定な症状が続いていることが判り、精神科の治療を受けるようになる。数ヶ月後、コンボと同じように肛門性交を好む夫が、HIV感染の疑いで血液検査を薦められていると、ムングチに訴えにやって来る。

ムングチは、メアリ・ンデュクとユーニス・マインバとムンビと、同時に関係を持つ。幼馴染みのメアリ・ンデュクとは高級クラブで再会し、イアン・ブラウンの愛人であることを承知で関係を持ち、一時は同居する。アパートで鉢合わせになったブラウンとは、大げんかをしている。

マインバはムングチの担当患者で、性的な関係を持つようになり、中年マダムのお供で週末毎に豪華な小旅行に出かけた時期もある。夫がHIVに感染した可能性が高いと相談され、恐ろしくなったムングチはマインバと別れている。

ムンビとは父親を訪ねて来たときに診療所で出会い、モンバサで娼婦をしているのを承知で恋人関係になった。一時期同棲をして、子供を身ごもったことを告げられたとき、結婚を決意するが、生まれてきた子供は売春宿の常連客ブラックマンの子供だった。ムンビは逃げるようにヘルシンキへ渡り、エイズを発症して死んでゆく。

ムングチは、のちにエイズで死ぬ愛人を持つメアリ・ンデュクと、HIVに感染したと思われる夫を持つユーニス・マインバと、異国の地でエイズを発症して死んだムンビの3人と同時に性的な関係を持っていたわけである。ムングチは、売春行為を社会の必要悪と捉え、性感染症については治療を優先すべきで、社会の底辺層には国が無料で治療活動を行なう義務があるという趣旨の卒業論文を書いた。診療所では、最低限の料金でその人たちの性感染症の治療に専念した。性感染症の怖さを充分に承知していたわけで、ムングチをはじめとする「ナイス・ピープル」の性や売春に対する考え方を思い合わせれば、この小説の冒頭に載せられた「アフリカの何カ国かはエイズの流行で、ある意味、『国そのものがなくなってしまう』のではないか」という記事が、真実味を帯びて来る。

『最後の疫病』

 華やかな都会を舞台に金持ちたち描いた『ナイス・ピープル』とは対照的に、『最後の疫病』は疲弊する農村を舞台にエイズに苦しむ農民や労働者の姿を描いている。著者メジャー・ムアンギは、厳しい抑圧の時期も国内で作品を書き続けてきた中堅の作家である。

主人公のジャネットは、子供3人と母親と暮らしている女性で、夫が他の女性と家を出たあと、自殺を試みたが死に切れず、子供と母親を抱えて生きるしかなかった。田舎での女性の自立は極めて難しく、生計のために政府のエイズプロジェクトの仕事を選ぶ。無償でコンドームや避妊薬などを配布する仕事で、ジャネットの毎日が次のように描かれている。

「ジャネットは毎日、自分の村クロス・ローヅの丘を何十キロも自転車で越えて、歩き回りました。毎日、たくさんの人に説いてわまりました。コンドームはとても大事なのよ、家族計画のためにも必ず要るし、性感染症からみんなをちゃんと守ってくれるのよ、と自信を持って話しました。なるほどとジャネットの話に耳を傾ける人もいるにはいましたが、大抵は話を聞きたがらず、訪問先で煙たがられる場合の方が多かったのです。ジャネットが来るのを見つけるとそそくさと家に逃げ込む人もいましたが、ジャネットは逃げた人を捕まえて、相手の敵意もお構いなしに、すべきことをし、言うべきことを言いました。それが自分の仕事で、それもとても大切な仕事だったからです。ジャネットは自分を信じて疑いませんでした。」

エイズにやられて今まさに死にかけのケニアの小さな村クロス・ローヅは次のように描かれている。

「見渡す限り、至る所に墓土が盛られていました。かさばって陰気な固まりで、暗くて死の臭いが漂っています。人の無益の忌まわしい残り滓の墓土を一つも盛らなかった家はありませんでした。そして、今日は墓土が一つ、明日は二つになりそうです。、二つが四つ、四つが八つになりました。墓土は増え続けて、突然変異を起こし、遂に怪物になってしまいました。人の生活に墓碑銘を刻み続ける飢えた野獣となったのです。」

ジャネットの級友フランクは村に戻って来たとき、生まれ育った村の余りの荒廃ぶりと変わりように驚いた。村から多大の寄付を受けて大学に行ったが、卒業出来ずに村に戻ってきていた。HIVの検査で陽性であることを知り、やむなく帰郷する決意をして戻って来たのである。次のくだりは、その時フランクが目にした村の様子である。

Eliza検査法器具

「旧の高速道路を横切って村に入りながら、フランクは クロス・ローヅもすっかり変わり果ててしまったなあと感じていました。子供の頃には楽しかった町もすっかりくたびれて、荒廃していました。家の壁や屋根は崩れ落ち、おびただしい数の廃屋から出るごみの山が通りの両脇に積まれていました。壊れた石造建築の山、崩壊する夢の山また山。クロス・ローヅはすっかり意気消沈していました。病気にこっぴどくやられ、回復の見込みもなく絶望の淵にあり、まさに苦痛に苛まれるもの、その苦境に対しえほとんど抵抗すらも出来ずに、鳴き声すら出せずに死にかけている、そんな生き物のようでした。」

ジャネットを捨てた夫ブローカーも村に戻って来る。一山あてて金持ちにはなったものの、HIVに感染し、死に場所を求めて生まれ故郷に戻ってきたのである。ブローカーはモンバサにいっしょに行った女性の家を訪ね、本人もエイズで斃れ、たくさんの子供と祖母だけが取り残されているのを知る。ジェミナの家の荒廃ぶりが、次のように描かれている。

「ブローカーはすっかり当惑した面持ちでジェミナの墓を後にしました。墓を案内してた少年がブローカーの両手を引いて他の少年たちのいる小屋に戻りました。小屋の二つの戸は開いたままになっていました。ブローカーは戸を押しやって暗がりを覗き込みました。薄汚れた室内は小便と貧乏の臭いが立ちこめていました。鼠が何匹も屋根裏にこしらえた巣に戻るために我先に壁をよじ登っていました。部屋には家具らしい家具も見あたりません。床じゅうに麻布やら敷きマットやらが広げられていました。二つ目の小屋も同じように惨めな様子でした。寝床は一日中、鼠の天下ででした。小屋から飛び出して来た痩せこけて、ねじれた角をした乳山羊にブローカーは死ぬかと思うほど仰天しましたが、山羊はそのまま駆けていきました。」

元々ジャネットに好意を寄せていたフランクと、ジャネットへの未練を捨てきれないブローカーはジャネットの仕事を手伝うようになった。ジャネットは二人の助けを借りて懸命に働くが、先ずは村人に染みついて離れないタブーや古い考え方との戦いだった。タブーと旧弊について述べたくだりである。

「意味ある発展をするためには、タブーと旧弊は消え去るべきで、排除しなければなりません。エイズ撲滅の戦いには、凝り固まった信念と思いこみが一番の障害でした。実際には、その人たちには複数の妻、いわゆる安全な連れ合いがいて、売春婦と付き合ったりはしなかったからです。しかし、その人たちの安全な連れ合いにはまた安全な連れ合いがいて、その連れ合いにはまた安全な連れ合いがいる、そんな安全の環が永遠に繋がっていて、実際にはその安全な繋がりが空恐ろしい大惨事を招いているのです。」

偏見や旧弊との戦いは外でだけではなかった。毎日毎日、家でも祖母の凝り固まった偏見と思いこみに苛まれた。結婚をしないで自立をめざすジャネットが祖母には論外で、誰か経済的に援助してくれる男性の何番目かの夫人になるべきだと主張して譲らない。そんな祖母が執拗に、容赦なく「自分のことを考えてみなよ。自分の旦那もいないじゃないか。どうするつもりなんだい?」とジャネットを責め立てる。

目下の最大の問題は、妹の夫カタがエイズで死亡した弟の妻と結婚しようとして譲らないことで、カタはウィッチ・ドクターと呼ばれ、占いをしたり薬草を煎じたりしている金持ちである。弟の妻が亡くなれば兄が妻を引き受ける伝統的な習慣を信じて疑わない。しかし、エイズでなくなった弟妻を夫人に加えれば、ジャネットの妹ジュリアも無縁でいられるはずもなくジャネットは、カタを説得するようにジュリアに言って聞かせる。二人の遣り取りである

「カタに何かを辞めさせるなんて出来ないことくらい知ってるでしょ。あの人がどれくらい伝統を大事にして生きてるかも知ってるでしょ。」とジュリアはジャネットに向かっていました。

「あんた、何もわからないの?カタかサイモンの奥さんを引き取れば、あんただって確実に死ぬんだからね。」とジャネットは諦めきった様子で言いました。

「あんたに死ぬ時期がわかるのかい?」と祖母が愕然として言いました。

「姉さんには、何でもわかるわけ?私にああしろ、こうしろと、もううんざりだわ」とジュリアが開き直って言いました。

「あんたが心配なのよ」とジャネットはジュリアに言いました。

「心配しないでよ。あんた、わたしの母親じゃないでしょ。」 とジュリアは不機嫌そうに立ち上がりました。

「あんたの姉よ。心配をして当然じゃないの。」とジャネットはジュリアに言いました。

「モニカは私には姉妹以上よ。みんな男たちを頼りにしてるわ。わたしたち、売春婦じゃないわ。」とジュリアが言い返しました。

結局、ジャネットの懸命の説得にも応じず、カタは弟の元妻モニカと結婚してしまう

ジャネットは子供に希望を託して、学校を回って性教育をしようとするが教師たちの反応は鈍い。教会を訪れて会衆にコンドームの必要性を説き、使い方を説明するが、こちらも反応がよくない。また、ウィッチ・ドクターを訪ねて、割礼の儀式での血液感染の危険性を説いても、逆鱗に触れ、協力してくれるフランクの動物診療所が壊されてしまう。

ある日、ジャネットが政府から派遣されたオスロからの視察団を、学校や教会、ブローカーの開いたコンドーム販売所などに案内して高い評価を得、財団の援助が決まる。その援助で村をあげてのHIV検査が実施され、フランクが陽性でないことも判明するが、結局は、八方塞がりの中での援助頼みの哀しい結末である。

物語は、性感染症の怖さを教えてくれる。HIVの感染原因は解明されているので、理論的には予防は可能だが、実際には感染の拡大はとまりらない。

ケニアでも他のアフリカ諸国のように、経済搾取の対象は常に農民と労働者である。イギリス人入植者は、アフリカ人から武力で土地を奪って課税した。多くのアフリカ人は税金を払うための現金を求めて村を離れ、出稼ぎに出ることを余儀なくされた。多くの場合、白人の大農園で紅茶を摘んだり、白人家庭の召使いをするしかなかったのである。

ヨーロッパ人による搾取機構の中に組みこまれたアフリカ社会は変容せざるを得ず、かつての自給自足の制度も形骸化してゆく。一夫多妻制も割礼も、乳児死亡率の高い現実に対処して労働力を保つ有効な手段だったはずである。しかし、形骸化した伝統は、弊害をもたらす。ジャネットがたたかわなければならなかったのは、そういった形骸化された伝統やタブーだったのである。

『最後の疫病』には、そういった農民や労働者がエイズにやられて、今まさに朽ち果てようとする様子が描かれていたわけである。

南アフリカからの入植者によって侵略されたケニア社会は、かつての自給自足の豊かな農村社会ではない。土地を奪われ、無産者にされて課税される農民や、都市部で働かされる出稼ぎの賃金労働者に、旧来の制度を踏襲し発展させる力は残っていない。割礼や複数婚の制度が残っていても、かつての共同体を基盤にして機能していた制度とは全くの別物なのである。

大多数の農民や労働者は食うや食わずの生活を強いられ、国全体も、西洋資本と手を組む一握りの貴族やその取り巻きの豊かさと引き替えに、背負いきれないほどの累積債務に喘いでいる。そこにHIVが出現し、猛威をふるい始めたわけだ。二冊の小説はそういうケニアの姿をケニア人の眼を通して、見事に描き出していると言えそうである。

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